見出し画像

映画「首」を見たんやが、命がティッシュ並に軽くてビックリした

ネトフリに遂に北野武監督の首が来ていたので「やびゃあああ!!!」となりながら見ました。メチャクチャ面白かった。これジャンル的にはギャグで良いんだよな?シニカルブラックユーモア?大好きな映画の十三人の刺客以来のグロコア描写で大満足でした✨☺️✨

人の命が、塵芥のように軽い。もは使い捨てのティッシュだ。それは百姓も侍も大して変わらない。それはエリエールか鼻セレブかくらいかの違いしかない。命が軽い。軽いからこそ、自分の命を張った大ギャンブルに一喜一憂している。サムライという生き物は未だに海外の方からした異質で恐ろしいらしい。宗教でもなく武勲でもなくブシドーという理解し難い価値観に重きを置く存在は、憧れであり畏怖なのだろう。作中で唯一日本人でありながらその異質さに眉を顰める秀吉の、実にあっけらかんとした謗り方。彼は百姓上がりだから骨の髄まではサムライになりきれない、だがサムライに成ろうとした異質な存在だ。いや、イレギュラーな存在だからこそ彼は誰しもなしえなかった天下を手に入れられたのかもしれない。

秀吉については大の女好きでありながら子を成すことはなく(私は茶々の子は秀吉の種ではないだろうと思っている)、後年に暴君さながらの残虐な行為がイメージとして大きい。冒頭の村重一族老頭を河原らしき場所で斬首する様は、後に自分の後継者として邪魔になった自身の甥の妻子達を斬首するシーンに繋がる。その日に嫁いだばかりで何も関わりがなかった駒姫すら殺されたというのだから、身内に甘かった信長よりも秀吉に私は狂気を感じる。

その狂気を更に掻き立てるのが、ビートたけしさんの怪演っぷりなのだ。若い人は知らないだろうが、全盛期のたけしさんはとってもおっかなかった。詳しくはフライデー襲撃事件でggって欲しい。あとは以前に何かのnoteでも書いた気がするが、たけしさんの番組で、若い芸人がたけしさんの娘さんを揶揄するような芸を見せた。すると本当かは分からないがキレたたけしさんは芸人を追いかけていった。子ども心に怖かったしハラハラした。当時はたけしさんの名を冠した番組がテレビでは毎日なんやかんやあり、私はよく分からないままに見ていたので、たけしさんのギラついた狂犬さを初めて目にしてブルっちまったのである。さりとてあのコントがマジだったのか仕込みだったのか分からない。だからこそ、作中で「あいつらみんな消しちまうから」と笑う秀吉はマジか冗談か分からない。仕えている人間もヒヤヒヤものだろう。たけしさんという狂気を孕んだ上で研ぎ澄まされた知性や教養から繰り出される演技はマジなのか冗談なのか。つまりは現実なのか虚構なのかすら曖昧にさせてくれる。下町から成り上がってお笑いのレジェンドに上り詰めたたけしさんが、同じように成り上がって上り詰めた秀吉を演じるメタ構造が、たけしさんと秀吉という境界すらもあやふやにさせ目が離せなくなってしまう。

武士の武勲の証である首をかっ飛ばすシーンは、やはり十三人の刺客で稲垣さん演じるクレイジー殿を彷彿とさせる。命が、本当に軽いのだ。最初から最後まで、徹底して軽い。刺して刺されて殺して殺されて、今では考えられない速さで命が消費されていく。昔のGBの電池よりも減りが早い。忠義も誉も信仰心も無く、ただひたすらに天下というアンパン食い競争にくらいついていくサムライという生き物を、全く美化せず描いた貴重な作品だと思う。

余談だが、私の父親は理由が分からないが織田信長が好きだった。私はそもそもとして争いが嫌いであり、歴史にそれほど興味が無かったのでもう少し理由を聞き出してあげれば良かったかも知れない。ただ父とは趣味が全く合わなかったので、この映画の信長を見せたら多分顔を顰めるだろう。父が好きなのは己の中のイデアと化した信長であり、蘭丸達と天守閣ズコバコ青姦を行う信長はあってはならないのだ。あってはならない。

そう、光秀が密かに愛して慕っていた信長も恐らくは己の中で神格化されたイデアの信長、人ならざる天魔王としての信長なのだ。だから、まるで普通の人間のように子を想い跡目を譲るという当たり前の行為に心底絶望したのだろう。まるで首筋にニキビがあったことが許せなかった、魍魎の筺の頼子のように。そうだ、信長は加奈子であり光秀は頼子だったのだ。

光秀は、堕ちた偶像である信長に代わって自分が天魔王に成ろうとしたのかもしれない。頼子が加奈子に憧れ同一化しようとして洒落た喫茶店でコーヒーを頼み、文芸誌を読んでいたように。

信長が自分の思っていたような人間ではないから殺すというのは実に身勝手で甚だしいが、信長という人ならざる人物に仕える自分自身に心酔していたようにも思える。蘭丸に見たてた若者を切り殺したり、家来?を銃の的当てにしてウサを晴らす中で、彼は本当の怪物になってしまったのではないだろうか。最後、京の人に美丈夫と囃し立てられた面影の無い首。時をほぼ同じくして死んだ筈の茂助の首よりも傷が多く腐敗がかなり酷いのは、彼の首を巡って落武者借りの間で激しい争いがあったことが分かる。茂助にほとんど傷がないのは、雑兵だと思われ欲しがるものは居なかったという皮肉だろう。命は軽い、残酷なほどに平等に軽く儚い。だからこそ、命を掛けてまで夢を追いかけられるのだろうか。

残念ながら興行的にはあまり振るわなかったらしいですが、豪華なキャストとこれでもかと金をじゃぶじゃぶ注いだ貴重な邦画だと思います。

やっぱり何度見も家康に若い娼婦を勧める遣手婆(元娼婦がなる娼婦の世話や斡旋をする役目)役のくわばたりえさんが家康に「お前が良い😊」選ばれて「あ、あたしぃ⁈」と声を裏返らせるシーン最高に笑ってしまいます。美の基準は時代や国によって様々ですし、好みも様々ですからね。

当たり前ですが、残酷なシーンやオッサンずラブや天守閣ズコバコ青姦などご家族やお子様にはあまりオススメできません。これ大画面で見たかったな〜くやしい😔






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?