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元作詞家とアーティスト “P.J”さん

異色のジャパニーズ・レゲエミュージシャン

穏やかな好青年

 彼とはレコーディング当日が初対面でした。アーティストはレゲエ界で実力派のシンガーと聞いていましたが、当初詞については、これが夕刻ニュース番組のエンディングテーマになることも踏まえ「音のジャンルに拘らず、広い世代に通ずる愛や平和をモチーフに」といったリクエストを頂いたと思います。そこで素直にそれに応えましたが、実際彼にお会いして少々不安になったのを覚えています。ロックシンガーとはまた異なりますが、やはりこういったジャンルのミュージシャンには独特なプライドや拘りがあるはず。その風貌からもそんなソウル感が滲み出ていましたから、彼にとっては少し可愛過ぎる詞になってやしないか?、果たして気分良く唄ってもらえるのか?という思いが頭を過った訳です。
 ところが実際話してみると、とても穏やかな口調で
「良い詞ですね、気に入りました」とお世辞か否か、ご機嫌に臨んで下さいました。イメージの引き出しが豊富で、絶妙なフェイク・アレンジ、とても素晴らしい仕上がりに感嘆。テイク数も然程かけずに、短時間のレコーディングだったように思います。全てが “ お見事 ” でありました。当該楽曲のご紹介は次回に!!

バイオグラフィー

 彼のご紹介についてはこちらから引用させて頂きます。

1969年3月19日 東京生まれ。本名 DONALD PRICE Jr.。
父はN.Y出身の黒人、母は吉祥寺出身の日本人。
アメリカンスクールに通うスポーツ好きの少年の頃に、初めてレゲエ、ボブ・マーリィの歌と出逢う。
'84年にCBSソニーよりP.J&Cool Runnings、アルバム「RISING UP」でデビュー(当時14歳)
翌年ジャパンスプラッシュ出演等の機会を得て、日本のレゲェバンドとして最高の人気を得、その後P.J BAND結成。レコーディングやライブではSly and Robbieをはじめ、Jimmy Cliff、Shabba Ranks、Cleveland 'Clevie' Browne、DANNY BROWNIE、ASWADなどと共演。
91年にはジャマイカにて初のシングル「LOVE ALL THE HURT AWAY」を リリース、レゲエ最大のイベントであるジャマイカのレゲエサンスプラッシュに日本代表として初出演を果たしている。
又、Cinque Lee(Spike Leeの弟)監督による短編映画に出演するなど活動は多岐に渡る。
Last.fm
記入者 DJ_iNori  記入日 2010年 8月 16日

その後の活躍

 この度検索させて頂くと勢力的にライブ活動をされています。


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