見出し画像

何故…作詞家だったのか? ③

回り出した運命の輪

アポイント

 「作詞家志望なんですね? わかりました、お会いしましょう。」
の言葉と共にアポイントが成立しました。電話を切った後も何だかピンと来ない心持ちで、今何が起きているのか頭の中で整理が付かない状況でした。冷静になって確か思ったことは、「会うまでは意外と誰でも会ってくれるものなのかもしれない。要はその後の実力ってことなんだろうな…」だったかと。何れにせよ、高望みの志望校に不合格前提の上臨む受験生の気分でした。

無言の一時間弱

 封筒一杯になった原稿用紙を携えて、当時は飯倉片町にあったSMA社を訪ねました。「プレゼンにしては数を持って来過ぎたな」と反省しつつ…。
 入り口から社長室に通される間の記憶は全くありません。多分、丁寧目な挨拶に簡単な自己紹介をしたのだろうと思います。
 若松氏は小柄でメガネを掛けた、とても穏やかな雰囲気の方でした。記憶に誤りがなければ確か福島県のご出身で、言葉の端々にたまに感じられる
東北アクセントが、尚更にお人柄の暖かさを醸し出していました。
 それなりに広い社長室だったと思うのですが、面白いのが、何故か社長のデスクチェアーのすぐ脇に置いた簡易の椅子に腰掛けるよう促され、とても至近距離での会話が始まったことです。そしていよいよ持ち合わせた原稿用紙をお見せする段になり、迷いながらも厚みのある全てを封筒から出すと、社長はその全てを受け取り、デスクに置いて読み始めたのです。一枚じっくりと読み、それを一番下に流し込み、また一枚じっくりと読み一番下に流し込む……その無言の作業はほぼ一時間、紙を捲る音だけと共に続きました。横に座った私は気不味さと緊張から、結果はともかく、直ぐにでもその場を立ち去りたい気分でしたが、背筋を伸ばし膝に手を置いて、じっと次放たれる言葉を待っていました。後にも先にも、こんな経験はそれ以外にありません。

緊張の末~涙

 「面白いものを持ってますね」がその後の第一声だったと思います。
「面白いもの……?」に返ってきた答は「感性、感覚、見方、感じ方」だったと思います。「そういうものか」としか思えませんでしたが、ダメ出しではなかったことだけが救いでした。
 「是非応援してあげたいとは思うけれども、自分はもう制作の現場を退いた立場故、あまり貴方の役には立てないと思う。でも、多分貴方をもっと具体的に助けてくれるであろう人物が一人思い当たるので、彼を紹介しようと思う。もしもそれで良ければ、自分から話をしてこの資料を渡しておくよ。
今でも現場でバリバリやってるSONYの酒井という人物。長い間お互いライバルとして切磋琢磨した関係だから。何らか連絡を待つように。」とおっしゃり、私はただただ恐縮しながらも全てをお任せしたのです。そして別れ際に言われた言葉だけは今でも鮮明に覚えています。
「物書きになりたいなら、とにかく書き続けなさい。また何か困った時にはいつでもいらっしゃい。」
帰路に着きながらちょっぴりジーンと来ました。一応一次試験は通過しましたが、その誠実な対応に対して、元々適当だった志望動機にどこか申し訳無さを感じ、もっと真面目に、もっと真摯に取り組まなければと反省を致しました。
 後にその時のことを若松氏に質問したことがあります。見ず知らずのど素人相手に、何故あれだけの枚数を全て、しかもじっくりと読んで下さったのかと。
「一生懸命やってる様に見えたから、真面目に対応しないのは失礼でしょ。」
と笑っておられました。

さあ、二次試験へ!…しかし

 SONYの酒井氏、一体どんな人物なのか。まだググれる時代ではありませんでしたから、楽をしようと、先述のディレクターさんに経過の報告も兼ねて電話でお尋ねしました。実はこのディレクター、同じくCBS SONYにいらした杉本さんとおっしゃる方で、その当時、杉真理氏、浜田省吾氏を担当されていました。
先ずは若松氏にお会いした内容に驚かれましたが、酒井氏については
「マジで? 酒井さんは業界では神だよ。郷ひろみ、山口百恵、キャンディーズ、あともっともっと…鉄人プロデューサーだよ。」
頭が真っ白になりました。どうやら自分なんかには手に負えない、エラい領域に足を突っ込み掛けている…嬉しいを通り越した恐怖を感じました。

また続きを書きます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?