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鬼の棲みか

地獄には
恐ろしい鬼が棲むという

残虐な道具で
罪人たちを切り刻み、火で炙り、
恐怖と苦痛を与え続けるという


地獄には
恐ろしい鬼が棲むという

色の違う鬼たちは
互いに啀(いが)み合い
罪人を奪い合っては
鬼同士、殺し合うことさえあるという


地獄とは
何と恐ろしいところだ

自分も死んだら
地獄に堕ちるのだろうか

絶望感に近い感情が
心を支配してゆく

もしも地獄に堕ちたなら

罪人として 
無窮の責苦を
受け続けるのか

それとも

鬼として
非道な責苦を
与え続けるのか


それは 
僕には分からない

だけど、

そのどちらだとしても、

地獄になんか、絶対に行きたくない!

「さあ、もう夜も遅い
みんなそろそろおうちへ帰りなさい」

長老牛爺の話を聞き終えた子豚たちは、
いつになく真剣な眼差しで、夜空の彼方
ある一点をじっと見つめていた。

その視線の先には、

 青く美しい惑星が
  妖しく輝いていた……


今年は日本中を「鬼」が席巻した一年となりましたね。現代においても、昔話や節分などで、日本人には非常に馴染みの深い鬼。この「鬼」の概念は、「わびさび」などにも通じる、どこか日本人独特のものではないでしょうか。

鬼を英語にすると、a demonやan ogreとなりますが、日本人が「鬼」という言葉の響きから受け取る印象とはだいぶ違った感じがいたします。鬼は恐ろしいものであると同時に、「絶対悪」の象徴として、最後は必ず「正義」に「退治」されたり「成敗」されたりしなければならない、そんなどこか悲しい存在でもあるのです。


この詩は、【あきやまやすこ】さんの「桃太郎伝説のある岡山にて 吉備津神社参拝」という記事から着想を得て書いたものです。あきやまさんは、いつも示唆に富んだすばらしい記事をたくさん書かれる方です。彼女の出身地である「桃太郎伝説」で有名な岡山県には、鬼にまつわる伝説も多く残っているそうです。

鬼ノ城の伝説の語り手の間では、鬼は、鬼にされてしまっただけなのではないかと言う人が多い。

確かに鬼は、「鬼にされてしまっただけ」の悲しい良心の持ち主だったのかも知れません。しかし、本当の鬼とは何なのでしょうか?鬼は一体どこにいるのでしょうか?改めて考えさせられました。鬼とは「鬼にされてしまったもの」のほうではなく、自身の罪悪を省みず、他者を鬼という絶対悪に仕立て上げる無意識で身勝手な正義感、そしてそんな自分を鬼とも思わない自己中心的な「人間の恐ろしい腹底」のことではないかと思います。私はあきやまさんのこの記事を読んで、自分自身の心の奥底にも恐ろしい鬼が棲んでいるのだなと実感せざるを得ませんでした。

さて、皆さんの心の奥にはどんな「鬼」が棲んでいますか?

それとも、「私にはそんな鬼の心なんて無い!」と、胸を張って言えますか?

例えば、日々人間の「食べ物」として生まれ、産まされ、殺される家畜の気持ちになって、「地獄」を「地球」と言い換えて、もう一度読んでみて下さい。鬼の棲みかは案外すぐそこにあるのかも知れませんね。


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