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サルバドール・ダリ「記憶の固執」の絵を見て僕はこんなことを考えた


「美術展ナビ」に掲載


2020年4月23日 「美術展ナビ」というコラムに記事が掲載されました。

「スペイン人の目、驚きの日本」というタイトルです。
https://artexhibition.jp/topics/features/20200423-AEJ216044/
どうも、ありがとうございます。


時間とは何だろう


未来や過去を感じさせるものではない

時間とは僕にとって、未来を感じさせるものではありません。だからといって、過去を想起させるものでもないのです。今という時間が、どこから生まれたのだろうと考えることがありますが、考えれば考えるほど、底なし沼に引きずり込まれるような恐怖を感じ、僕は途中で考えることをやめてしまいます。

どれだけ今という時間が楽しいものであっても、悲しいものであっても、起きたことは、すべて過去になってしまうのです。

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過去という時間の行方

それでは、その過去という時間は、どこに行ってしまうのか。

思い出に残るといっても、その人の記憶の中に刻まれるだけで、跡形もなく消えてしまいます。

時間というのは、人がつくった観念です。
僕は、自分が存在している3次元の世界も含め、この宇宙が時間とは別の法則で成り立っているのではないかという気がしてなりません。

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コントロール不可能な記憶


記憶の役割

僕にとっての記憶は、終わってしまったことを、自分の価値観を反映しながら残す、ただひとつの手段だと思っています。

自分のことでありながら、ずっと覚えていられるもの、覚えていられないものがあります。

それを自分でコントロールすることはできず、覚えていると思っていた記憶さえも、他の人の記憶と違っていたり、いつの間にか自分の都合がいいように修正していたりすることから、結局のところ記憶とは、自分が生きるための支えのような役割をしているものだと捉えています。

罪悪感

自分がたどってきた過去や自分がどのような人間なのかということは、すべて記憶に頼っています。

それなら、記憶をうまく修正できれば、人はもっと楽に生きられるはずですが、なぜか記憶を修正してはいけないという良心が、人の心に組み込まれているために、記憶を修正することに罪悪感を抱いてしまうのです。

だから、僕は罪悪感を持たずに記憶を修正する方法がないかを、考えているところです。


「記憶の固執」を見て僕が感じたこと

無時間

サルバドール・ダリ「記憶の固執」の絵に描かれている3つの時計の時間が異なることは、現在の記憶と過去の記憶が入り乱れる無時間を表現しているのではないかという意見もあるようですが、それはどうなのでしょうか。

同じ場所にある時計が、同じ時間を指しているというのは、現実生活での当たり前なので、超現実主義者だと言っていたダリの主張とは矛盾しないように感じます。

ダリ自身もこの絵のすべてを説明できない

常識に縛られている人たちが、自分たちのために、この絵を理解しようとするから、解釈が必要になってくるのだと思います。

絵の手法に対してダリは、「キャンバス上に自分が描き出す絵に自分が一番驚き、そして恐怖の念に囚われました。私には選択の余地はありませんでした。自分の無意識から生まれるイメージをただただ忠実にキャンバスに描くことしかできませんでした。」と述べているようです。

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■万物流転

ダリが描いた「記憶の固執」を見て、僕は「万物流転」という言葉を思い出しました。万物流転の意味は、この世にあるものは、絶え間なく変化してとどまることがないという意味です。

どんなものにも寿命があります。今ある命は、消滅に向かって進み続けているのです。これから生まれる命は、未来への希望なのかもしれませんが、それが自分の幸せに関係のあるものかどうかはわかりません。

自分が死んだ瞬間、自分の見ている世界は終わります。
この世には、美しいものと醜いものが混在しています。もしかしたら、あの世も同じかもしれませんが。

夢を見ていた

この絵を描いたとき、ダリは夢を見ていたような状態だったのではないでしょうか。

深い眠りに落ちたり、瞑想状態に入ったり、自分という存在から解放された瞬間、人は自由を手に入れます。それは、この世とあの世の中間にある世界で、誰もが行き来できるのに覚えていない、そんな世界だと思っています。それをダリは、絵画に残しているような気がするのです。

そのために、僕たちは、「記憶の固執」を見たとき、どこかで見た風景だと感じるのではないでしょうか。

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芸術の存在価値

芸術とは

芸術とは、人であるがゆえに表現せずにはいられない内面を自分なりの方法で他の人に伝える手立てを指すのだと思います。

自分や他の人が生きた証を人間は常に求めていて、多くの人が芸術を大切にすることが人間の価値を高めると信じています。

絵を鑑賞するということは、自分を知ることです。ダリの絵を見た僕の心が、一瞬でもダリと重なったと思えたとき、時空を超えた共感を得ることができたような気がしました。


参考文献:「もっと知りたいサルバドール・ダリ」村松和明著 東京美術
     Artpedia アートペディア/近現代美術の百科事典 



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