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『誰でもわかる精神医学入門』 試し読み第1弾

 このたび、日経メディカルAナーシングで連載していた
「誰でも分かる看護師のための精神医学入門」
を全面改訂、書籍化して「誰でもわかる精神医学入門」として出版させていただくことになりました。そこで今回はその「立ち読み版」として日経BPのご厚意により、一部を一般公開させていただける運びとなりました。ありがとうございます!

 今回ご紹介するのは、第2章、統合失調症編のまとめ
「統合失調症が治る」とはどういうことか
です。
 この回は、ほとんど専門的な用語を使わず、一般の方にも分かりやすい内容になっているので、どなたでもご理解いただけると思います。しかも、Aナーシング2022年年間閲読ランキング2位にもなった自信のある回となっています(ちなみに1位も書籍にある記事です!)。
 この連載の隠れたキーパーソンはかの有名なイーロン・マスクで、重要なところで随所に出てくるのですが、この回が最も活躍しています。ぜひご一読ください。

「統合失調症が治る」とはどういうことか

 本項で、ついに統合失調症最終回、つまり精神医学入門前半戦の最終回になります。これまで、統合失調症の疫学、症状、経過、診断、歴史、原因、薬物治療、法律などさまざまな角度から統合失調 症を見てきました。今回は、予後=どれぐらい治るのかについて説明し、最後に、統合失調症の人への接し方を説明して終わりたいと思います。今回はややこしい話はほとんどありません。薬理と法律でウンザリした方もご安心ください。ほとんど感情論です。いえ、 精神論です。勢いで読み切ってください。

統合失調症の予後を示す「3 分の 1 説」

 以前から精神科医の間で何となく言われている統合失調症の予後はこのような感じです。仮に「3 分の 1 説」と呼びましょう。3 分 の 1 は良くなります。3 分の 1 は良くなりません。残りの 3 分の 1 はその間ぐらいです。
 表現はさまざまですが、大体こんなイメージです。これでは単に重症度を 3 つに区切っただけで、無意味なことを言っているように思われるかもしれません。しかし、これが精神科での現場感覚であり、個人的な実感とも合います。
 実際に治療していると、確かに良くなる人は劇的に良くなります。ほとんど発病前と変わらないぐらいまで良くなる人も決して珍しくはありません。普通に仕事をしている人もたくさんいます。ただし、薬を飲まなくてよい、という意味で治る人はほとんどいません。薬が不要な場合は、むしろ統合失調症ではなかった、と考えた方が自然です。状態維持に薬は必須ですし、逆に言うと、それぐらい薬は効くということです(68 ページ参照)。
 一方で、良くならない人もたくさんいます。薬をいくら増やしても幻覚や妄想は治らないし、思考も緩やかに解体していく、という人も少なくありません。むしろ、精神科単科病院の長期入院患者さんはそういう人がほとんどです。つまり、精神科病院の医療従事者にとってはとてもなじみのある人たちで、全く珍しくはありません。
 そして、上記の両者の間の人もたくさんいます。ある程度良くなったが、調子が悪くなると入院が必要になる、けど、それほど頻回ではないという状態。つまり、普通の外来患者さんですね。
 このように、外来に来ないか安定している人、長期入院の人、外来で不安定で時に入院する人という 3 パターンに大きく分けられるというのが現場感覚です。それが本当に数字として 3 分の 1 かは分かりませんが、心理的には同じぐらいという感覚。それが上記の 3分の 1 説が出てくる理由でしょう。
 では、実際にはどれぐらい治るのでしょうか。諸説ありますが、 例えばこんな論文があります(Jääskeläinen, et al. Schizophr Bull . 2013;39:1296-306.)。2 年間、改善が維持できていることをリカバリー(≒治った)と定義してこれまでの様々な論文を統合して解析したところ、リカバリーした人は 13.5%、つまり約 7 分の 1 でした。しかし、各論文の結果を見ると、0% から 58%まで大きく違います。全く違うと言ってもいいでしょう。このばらつきには研究の問題、定義の問題、色々な要因はあるでしょうが、「どれぐらい治るかは簡単には言えない」ということは言えると思います。

統合失調症が「治る」とは?

 そもそも「治る」とはどういうことでしょう。ここからはあまり厳密な話は求めないで、おおらかに聞いてください。
 上記の論文では、「2 年間改善が維持されること」としていましたが、一般的な感覚では、病気が治るとは、病気が「なくなること」ではないでしょうか。では、病気とは何だったでしょう。大ざっぱに言えば、「困っていること」でした(24 ページ参照)。つまり、「病気が治る」というのは、「困っていること」が「なくなること」とも言えます。しかし、人生においてそんなことあり得ますか? 普通はありませんね。いつでも何かしら困りごとというのはあります。人生とはそういうものです。ということは、そもそも統合失調症に限らず、病気が完全に治る、ということはないわけです。
 じゃあ、全員病気で全員治療しないといけないのかというと、そうでもありません。病気だからといって必ず治さないといけないわけではない、というのは身体疾患も同じです。多少の困りごとはあったとしても、誰しもそれなりに付き合って折り合いをつけて生きています。人生とはそういうものです。
 つまり、統合失調症だろうが何だろうが、困りごとはあるわけですから、それなりに折り合いをつけて生きられたらそれで良しとするしかありません。なぜなら、人生とはそういうものだからです。だから、治るのか、治らないのか、どれぐらい治るか、そんなこと気にしても仕方ないのです。
 何かごまかされている感じですか? そうかもしれません。でももう少し続けて聞いてください。

人間は致死率 100%

 なぜこんな話をしているかというと、一般的な統合失調症に対する偏見、先入観、忌避感があまりに強いからです。統合失調症になったら終わり、人生お先真っ暗というようなイメージを持っている方は少なからずいます。そういう方(本人は病状が重くてあまり理解できないときも多いですが)や家族に、診断名として統合失調症と伝えるとショックを受けてしまうこともあります。その反動で、病気を否定してしまい、病識を持てず、治療が続かないこともあります。そうはなってほしくないという思いからです。
 先ほど、「良くならない人は 3 分の 1」と言いましたが、良くならないと言っても命がなくなるわけではありません。基本的には長生きです(34 ページ参照)。医療の基本はまずは生命を保つことです。死に至る病は数え切れないぐらいありますが、統合失調症は「致命的な」疾患ではありません。そういう意味では、恐るるに足りません。統合失調症になっても人生はまだまだ続くのです。悲観するには早過ぎます。
 とはいっても、それで何も問題がないのかというと、そうではありません。発病前までの生活ができなくなるということは起こり得ますし、社会的な生活水準が落ちてしまうこともあります。それで全く構わないとまでは言いません。
 しかし、もう少し俯瞰(ふかん)で見てください。
 人間は必ず死にます。致死率 100%です。100 歳までは生きられるかもしれませんが、200 年生存率は 0%です。そして必ず老いていきます。必ずです。
 最近は高齢化で認知症が問題になってきていますね。私は認知症の啓発活動をしていて、講演する機会が多いのですが、そこでいつも言っていることがあります。それは、「20 歳台以降、神経細胞は減る一方なので、認知症は長生きすれば誰でもなります。認知症になるのが早いか、他の病気で死んでしまうのが早いかだけの違いです」というものです。つまり、誰しも 20 歳台を過ぎれば、身体も認知機能も精神も老いて衰えていきます。記銘力も思考力も衰えます。それは決して避けられません。誰でもなるのですから、それを悲観しても仕方ありません。うまく付き合うしかないのです。
 そして、統合失調症がかつて「早発性痴呆」と呼ばれていたことも思い出してください。痴呆は今で言う認知症のことです。統合失調症は、誰もが必ずなる認知症が、早く起こるようなもの、という見方もあったわけです。統合失調症であろうがなかろうが、結局誰でも認知症になり得るのです。大差はありません。
 まだごまかされた感じがしますか。そうかもしれません。確かに、誰でも認知症になるとはいえ、早くなるのは望ましくない、という気持ちは否定しません。それ以上に、社会的な生活水準が下がる、ということを避けたいという思いもあるでしょう。それも分かります。では逆に聞きましょう。どうなったら満足ですか?

どんな状況、環境でも「まだやれることはある」

 世界一の資産家といえば、現在はテスラ社 CEO のイーロン · マスクです。宇宙にロケットを飛ばしたり、Twitter を買収した後 Xに改名した、今をときめく大富豪の総資産は約 27 兆円だそうです。
 どうやったらそれぐらい稼げるでしょう。少し計算してみました。古代エジプトの時代、約 5000 年前から今まで、毎日 24 時間、時給 60 万円で働いたとしても 26 兆円。......まだ足りませんでした。イーロン · マスクぐらい稼ごうと思ったら、時給 60 万円という超破格の高収入の仕事を人類の有史以来、ずっと休まずぶっ続けで働いてもまだ足りないそうですよ。どうです? 働く気がなくなりますね。そんなイーロン · マスクみたいな大富豪と比べても仕方ないだろう。と、思いますよね。そうです、私も思います。それでは、あなたは誰と比べたいのでしょうか。
 統合失調症であろうとなかろうと、すぐに死ぬわけではない、という意味では全く問題ないですし、認知機能が衰えるのは避けようがなく、イーロン · マスクと比べたら、どんなに頑張っても金銭的な価値はないに等しい、という意味では誰も何も変わらないのです。誰かと比べても意味はありません。同じような人生です。
 ごまかしでしょうか? いえ、違います。人生の価値は、他人と比べたり過去の自分と比べたりすることではありません。どうやっても変えられない運命というものをある程度受け入れつつ、今ある環境、状況の中で少しでも満足のいく生活を送る、それしかないのではないでしょうか。
 そんなの精神論じゃないか? そうですね。その通りです。私はずっと「精神」の話をしています。しかしこれは決して机上の空論を言っているわけではありません。先ほども言ったように、なかなか良くならない 3 分の 1 の方の多くはどこにいるか、といえば、精神科病院に入院しています。世界的には日本の強制入院が多過ぎることが問題であることを少し前で解説しました。だから、入院している状況が良いこととは言いませんが、それを解決するのも簡単なことではないことも説明しました。どういう形であれ、統合失調症が良くならない人は相当数いる中で、病院が適切かはともかく、どこかに居場所は必要なわけです。そして、これまでの日本の経緯、現状では入院以外に方法がほとんどないのも事実です。そういう統合失調症慢性期の方をたくさん診ているのが精神科なのです。
 そして、こうも考えてみてください。入院しているということは、そんなにも悪いことでしょうか。入院したって外出はできます。レクリエーションもあります。買い物もできるし、コンサートにも行けます。入院という多少不自由な環境の中でも、できることはたくさんありますし、それで人生が豊かになり得るということも実際目の当たりにしています。そのために寄り添う医療者がいます。そのような慢性期の統合失調症の方の様子をコラムと拙著『精神科病院で人生を終えるということ― その死に誰が寄り添うか』にまとめましたのでぜひご一読ください。
 同時に、その中でも書きましたが、漫然と入院を継続することが良いとも思っていません。退院ができなかったのは、医療が不十分だからでもありますし、精神医療の構造の問題もありますが、最も大きな問題は社会的な差別です。退院できるのに社会に受け入れ先がないのです。
 いずれにしても大事なことは、どういう状況、どういう環境であれ、「まだやれることはある」ということです。何よりもそれを理解していただきたいと思います。それが、統合失調症への過剰な忌避感や、偏見、差別を減らすことにつながるはずです。
 もう一度繰り返しましょう。治るとは病気がなくなることです。病気がなくなるとは困りごとがなくなることです。もしも統合失調症になっても困らない社会ができたとしたら、統合失調症を病気と考える必要もなくなります。それこそが、本当に統合失調症が「治る」ということではないでしょうか。
 眼鏡をかけている人、たくさんいますよね。この世界から眼鏡がなくなったらどうでしょう。私も強い近視ですからよく分かりますが、眼鏡がなければ何も見えません。途端に困ります。でも眼鏡があれば、近視という病気は簡単に治ります。統合失調症も同じです。怖い、避けたい、近寄りたくない、そんな色眼鏡を外して、曇りなき眼で正しく見れば、病気と呼ぶ必要もなくなるのです。眼鏡はかけて、色眼鏡は外しましょう。
 どうでしょう。うまいこと言えました? 言えてないですか。そうですね。分かります分かります。そんなにうまいこといきませんよね。世の中、きれいごとだけでは簡単には解決しません。
 では今、私たちは具体的にどうしたらいいのでしょう。

一人の「人」として普通に接する

 ここからが、ようやく「接し方」の説明です。お待たせしました。お待たせし過ぎたかもしれません。しかし、すぐに終わります。とても簡単です。答えを一言で言います。「普通に接すること」です。分かりましたか?
 少しだけ解説しましょう。普通に接するのですが、ただし「その背景を理解して」接してください。その背景とはこれまで、説明してきたこと全てです。それらを理解していれば何も特別なことはありません。ああ、そういう背景の人だな、と普通に接したらいいだけです。
 もう少しだけ具体例を出しましょう。幻聴が聞こえている人に対して、それをむやみに否定してはいけません。なぜなら、その人にとっては幻聴ではありませんから。「ああ、あなたには聞こえるんですね」と受け入れましょう。かと言って、嘘をついて肯定する必要もありません。「私には聞こえませんが」と返すぐらいは良いでしょう。妄想も同じです。「ああ、あなたはそう思えるんですね、私には分かりませんが」と普通に接すればいいのです。
 あと少しだけ専門用語も足しておきましょう。このような接し方を「支持的精神療法」と呼んだりします。「治す」「変える」というより「、支える」という態度です。これが精神療法になります。実際、症状は良くなります。
 これをもう少し日常的な言葉に変えると、傾聴、受容、共感です。これは実は、認知症の方への接し方として講演で説明していることですが、基本は統合失調症でも同じです。というより、対人関係の基本ですね。「相手の言うことに耳を傾け、自分とは見ている世界が多少違っていたとしてもそれを受容し、肯定でも否定でもなくそういう思いであることに共感する」ということです。統合失調症の人への接し方はこれだけと言っていいでしょう。一人の「人」として「普通に接すること」です。
 これで統合失調症各論を終わります。精神医学入門の前半戦が終わったことになります。予定していたより長くなってしまったのですが、それは総論的な内容もたくさん盛り込んだからです。やはり統合失調症は精神医学の根幹なので、これを理解することが精神医学全体を理解する基本になります。逆に言うと、ここまで理解すれば他の疾患の理解はとても簡単になります。
 おめでとうございます。ここからは後半戦、気分症(気分障害)、神経症です。精神医学という大きな山ですが、ここまで登ればだいぶ見晴らしが良くなりました。あとは下りるだけ。楽勝です。

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