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独眼竜ではないマサムネの話

 年を取ると良いことがある。これは、私ではなくて猫の話。

 我が家には7匹猫がいて、うち4匹が10歳を越えている。後期高齢猫社会だ。どの仔も道に落ちているのを拾った。今保護しなければ十中八九死んでしまう、だから保護する方を選択する。そんな出逢いばかり。
 でもそのうち一匹だけ、私が彼らと生きるのを選んだのではなくて、結果的にこの仔に選ばれた、という個体がいる。名をマサムネ、命名の元となった独眼竜政宗に恥じない、武士道を地でいくみたいなちょっと珍しい性格の猫。彼を保護したのは11年前、ヤボ用で駐車した、県庁所在地のコインパーキングでのことだった。

 

 停めていた車の下から仔猫の声がする。

 アスファルトに這いつくばったら、茶白とキジトラの、まだヨロヨロ歩きの仔猫が2匹。見るからに、ケアをされていない、目ヤニと鼻水だらけの顔。
 キジトラは、人と目が合ったことに怯んで、最寄りの住宅の庭の方へトテトテ歩いてゆく。茶白の方は構わずニャアと鳴いている。
 顔を拭いてやりたくて首根っこを掴めば、どうにもヘタクソにジタバタとしたけれど、車にあったティッシュを咄嗟にお茶で湿らせて、拭ってやる。片方の目はまあマシになったけれど、もう片方は固く張りついて癒着が始まってしまっていて、もう…開くことが難しいらしい。
 ……どうしよう。小さくもがく体を膝にのせながら、あてなく周りを見回せば、なんとも恐ろしいことに…さっきキジトラが逃げて行った方、住宅庭のあたりからさらにニャアニャアキャアキャア声が、する。
 ウソでしょう、と思った。嫌な予感しかしない。けれど聴いてしまったら探さないわけにはいかない。
 そうして、恐る恐る覗き込んだゆるやかな斜面の下、垣根のない庭先で…隠れもせずに。

 親子の猫がいる。茶白の小柄な母猫と、その腹部で乳を弄る仔猫が三匹。その傍らに、さっき逃げていったキジトラ、この仔はなぜか乳にありつけていない。乳を与えながら、私をつまらないものでも眺めるように見遣る母猫のシュッとした顔、毛色は、間違いなく今膝に抱いている仔猫のルーツを持っている。
 とってもホッとした。都会の野良さんの子育ての風景だ、お母さんがいるなら大丈夫…!

「…おまえ!この仔あんたの子でしょう?子どもこんなにほったらかしたらダメだよ、ちゃんと顔も舐めてやってよお願いだから…!危ないんだよ駐車場って…!!」

 勝手に説教モードに入る私に、母猫は瞬きひとつしない。腹の据わった、冷めきった風体に少し気圧される気持ちになりながら、私は彼らを…特に母親に近づけずにいるキジトラを怯えさせないように腕を伸ばして、斜面へと茶白の仔猫を下ろした。兄妹猫の気配、母親の乳の匂い、体に馴染んでいるはずの、いつも居る場所の感覚で、茶白の仔猫が元いた場所へ歩いて戻ることを期待した。
 でも、信じられないことに。
 茶白の仔猫はよろめきながら、私を目指して斜面を登ってくる。私は驚いて、片目の彼でも見つけられるようにもう一度、彼を抱いて母猫の方を向かせる。
「お母さん、いるよ、あっちだよ。おっぱいちゃんともらっておいで、お顔も舐めてもらっておいで。降りて行ったら大丈夫、あっちだよ、見えるでしょう?」
 一生懸命話しかけて、斜面へ下ろす。
 同じことを、あと2回繰り返した。
 驚いたことに、母猫はそんな私と茶白の様子に、まったく興味を示さなかった。ネグレクト、という言葉が脳裏を走る。この母猫は、この個体のことがどうでもいいのかもしれない、母猫がいて、そもそも、こんなにケアがされてないこと自体が信じがたいことだから。
 斜面をゆらゆら登ってくる茶白の仔猫に思わず心中で訊く、君は私がマシって今そう思うのかもしれない、でも君は本当にそれでいいの?…母親が居るのに、連れ去ってしまって、…いいの?
 脳裏にはすでに家にいる4匹の猫の顔も浮かぶ。やばいな、これだとつまり年に一回猫を拾ってる計算になる…。
 斜面を登りきって足元にキュウキュウ鳴きながら来た仔猫を…それでも、私は抱き上げた。4回目として土の上に下ろす気にもう、なれなかった。
「連れて帰るよ、良いね?」仔猫にも、母猫にも訊いた。違を唱えてくれそうな者は誰もいなかった。私の脳内で、どこか冷静な私が、あーぁあ、また増やす…と呟いて。

 彼はそうやって我が家に来た。失明するであろうと思われた片目は無事に回復し、両目の眼球に傷痕は残っても本猫は至って平気そうに活動する。
「たぶんね、彼にとってはそんなに不便なことはないはずですよ。」
 ずっとお世話になってる獣医さんは、穏やかな声でそう言った。猫じゃらしとかで遊ぶのは無理でも、仰る通り、生活にはまったく支障がなかった。
 ちょっと不釣り合いに厳めしい名前のまま…いや瞳が無事で本当によかった、足元もおぼつかない様子でそれでも斜面をよじのぼってきた仔猫は、こうして我が家の猫になった。

 彼の名はマサムネ

 独眼になりそこなったマサムネだけど、結果的にとても似合いの名になった。彼は不思議なくらい武士っぽかったから。

 うっかり座った寝転んだりしている時に撫でたりしようものなら『いやいやその御手を煩わせるわけには参りませぬ!』と言わんばかりにシャッキリ立ち上がって、自分から動き回ってしまう。飼い主的には、くつろいでいる瞬間にキュンとして、触れたのにも関わらずである。だから彼を相手には、かわいいなその寝顔。と思う瞬間ほど、グッと手を抑えて、見守る体制を崩さない努力をしないといけない。
 ブラシをかけていてもそんな感じで、ちっともじっとしていてくれないのでかえってやりづらい。動き回る彼を追いかければ家の端から端まで動いていってしまうのには本当に閉口した。
 一言ニャア、と呼びかけてバタリと倒れる、猫特有のあの甘え方を、近くではなくて結構遠くでやったりする。近づいて撫でてやろうとすれば立ち上がって逃げてゆく。ホールドされるのを極端に恐れて、抱っこは全力で拒む。…甘える、ということに関して、とことん拗れた男だった。
 他の猫たちに比べると小柄で、キュッと筋肉質な体、猫のくせに小粒な目で垂れ気味な目。いかにも和風な見た目だから、もう私の中で彼は武士ってことになった。特にあれ…柔道マンガとかで小柄なりに細かい技でのしあがっていくタイプの、あんなイメージの仔。忠義、って背中に書いてそうな猫。

 あとマサムネはごはんを食べるのが妙にヘタクソで、顔中汚す。彼が、あの、痩せ細った母猫に拒まれた背景をなんとなく想ってしまう。乳首を齧ってしまうタイプの子どもだったのかもしれない、乳房に爪を立ててしまうとか。
 ネグレクトして良い理由になるわけがないけれど、体の仕組みで産み落としてしまうもののすべてを、ケアできるわけがないということも、想像はできる。産み育てることは命を削ることだ。よかったよね、お互いに、あそこで会えて、さ。


 そんなマサムネは、膝にステイできるようになるまで6年かかった。
 10歳になった去年、枕元で寝てくれるようになった。
 11歳になった今年、彼は名実ともに我が家の猫コミュニティのボス格にのしあがって、ゴハンくれ番長を立派に勤めている。そういう立場の変化もあってか…去年の年末からは、膝にのせてくれとおねだりするし、もう膝上でまぁ落ち着いてブラシもできるし、布団のなかに入れてほしい、と主張もできるようになった。初めてそうされた時はめちゃくちゃ感動した。
 それでも、奇妙に武士道は彼の中で息づいていて、勝手に丸くなって寝ればいいのに「あのさ…寝な?」って言わないと、いつまでもいつまでも枕元で、丸くもならずに座って私を見つめて(見守って?)いたりする。他の猫たちがそれぞれ好き勝手に一番居心地良いところで、人間を湯たんぽ扱いするのを横目に。なんなんだ。本当に、おかしな猫。


やわらかで しなやかで かっこいい

 彼を見ていると、歳をとるって良いことだなと思う。
 できるようになったね、大丈夫になるね。安心でしょう、良いものでしょう?
 歳を重ねてゆくほどに、こだわりが、違和感が、ゆっくりほどけていって選択肢が増える。そのポテンシャルを、彼はそんなふうに、私に教えてくれる。だから猫の健康寿命が延びていてくれてよかった。10年以上かかって、こんなにリラックスしてくれる彼と暮らせて嬉しい。静かに生きながら、ゆるやかに変わってゆく姿を見れて嬉しい。
 きっと彼のそういうやわらかさに、貰っているものがたくさんある。でも考えたらそうだよね、よっぽど、やわらかでしなやかだからこそ…お母さんじゃなくて通りすがりの腕を選ぶなんてチャレンジングなことが、できたんだろう、あなたは。


 そんな彼に恥じないように、私もゆるやかに、無理のないペースで……こだわりや違和感をほどいて、選択肢を増やしていくつもり、です。
 歳をとるって良いもんだよね。きっとそういうところ、私とあなたは凄く同志だなと思ってるよマサムネ。一番近くで、変わってゆくかっこいい背中を見せてくれて、ありがとう。
 

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