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シン・ウルトラマン見てきました

公開何日目に見たのかもう忘れたけど、第1週だったのは確か。
まあ、自分は庵野秀明氏と同世代なので、もうあらゆる作為が響きまくりでした。

すでにたくさんの感想や批判、称賛が溢れているので、どれも「まあ、言いたいことはわかるわかる」と言った感じですが、ツイッターで見かけた反応をいつくか紹介します。

初代を見ていた我々からしたら、すでに孫の世代の子どもたちも楽しめたそうだ。良かったよかった(*^^*)

ぜひこのこのツイートの会話をすべて読んでほしいのだけど、訳ありのお母様も楽しんでいただけたようで感涙の嵐(泣)

「警視正」というと「ワイルド7?」と条件反射してしまう昭和生まれなのだけど、そうなのか、神永さんは警視庁公安部からの出向なのね?それがザラブに幽閉された時の解放につながる伏線なのだと。

セクハラだ何だと言われていますが、まあありゃあ「働きマン」の松方だよなあというのが普通のオタクの感想だと思う。

はい、何も知らなくてもちゃんと楽しめるように作ってあると思います。その根底に流れているのが、「そんなに人間を好きになったのか?****」ということ?(後述)。

そうなんですよ、オタクにも響くけど、オタクじゃない人にもちゃんと楽しめる、届くものになっている。それは何故なのか?


自分の感想としては、なんか童心に帰れたな〜という感じで、何もかもが懐かしく、美しく、そして丁寧に作られていた。偽ウルトラマンとの戦いではチョップのあとの「イテテ!」といたがる様子までが再現されていたし(あのモーションアクターは庵野さん本人?)、戦闘態勢に入ったゼットンの巨大な姿はまるで「使徒」だし、最終作戦で神永が帰ってこれないかもと知って猛然と反対の声をあげる西島班長は、なんだか昭和の小林キャップのイメージだし、音楽は昔懐かしい初代からの流用がバンバンながれたし。どれもこれもがツボにはまりまくり。

しかし、そういうオタク的ポイントを押しのけて印象に残っているのは、ちょくちょくインサートされる、公園の親子たちだったり床屋さんの風景だったり、河川敷を散歩する人々だったり、妙に「昭和」を感じさせる日本の情景なのでした。エヴァの序・破にもそういう何気ない日常の光景(モノレールのポイントが切り替わる、通勤する人々、せり上がってくる太陽光反射システムなど、ストーリーには直接関わらないシーン)が挟み込まれていましたね。歳を取ってきたせいか、そういう日常の光景が妙に心に残ります。

1997年に「もののけ姫」を作った宮崎監督と、「THE END OF EVANGELION」を作った庵野監督が、「師弟対決」とか言われてそれぞれが雑誌の取材でお互いの批評をしたときに、宮さんから「自分の知らない人間(一般人のこと?)が出てこない」と指摘されて、庵野監督は「僕の中に人々がいない」と答えたと何かで読んだ記憶がある。

そこから30年経ってみて、庵野氏も「情景としての人々」を意識するようになったということか?

個人的に感じているのは、シン・エヴァでキャラクターたちがシンジと和解していったように、時間というものは、自分を守るため世界や他者に牙を向いていたオタクたちを、他者を受け入れられるように成長させたのだと。こんなハチャメチャで救われない世界ではあるけれど、それでも我々は気がつけば「知らない他者」つまりは社会を受け入れ、全体としての人間を「好きになった」のではないだろうか?

要するに、「そんなに人間(日本人)が好きになったのか、庵野秀明」という映画だったのかなと(*^^*)

オタク的設定やこだわりは知るはずのない子どもたちが夢中になったり、病気の母親が「生きる元気をもらった」と評したり、なにかそういう「人間愛」というべきものが描かれている映画だったと思うのです。ということは、ウルトラマンとは、絶望的な状況に置かれた人間たちに、無償の愛を表す存在だったということなのか!

同世代のオタクにも、ウルトラマンを知らないあらゆる世代の人々におすすめ。

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