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長編小説「Crisis Flower 夏美」 第3話

↓初見の方、第1話はこちらです。
https://note.com/hidetts/n/nff951b7d159c

↓前話はこちらです。
https://note.com/hidetts/n/n56ba498b26a3


※週1~3話更新 全18話の予定です。

SCENE 2 本牧ふ頭――倉庫街

 気障男――ホームレス仲間からはそう呼ばれていた――はカップ酒をグイッと飲み、夜空を見上げる。
 あの日から何度もここ、本牧ふ頭の片隅にある倉庫街の一番端に来ていた。
 もしかしたら、またあの男を目撃できるのではないか、と思ってのことだ。
 この間は明け方だった。今日はこれから、飲みながら朝を待つ。
 なぜそんなことをするのか、自分でもわからない。ただ、彼をもう一度見たい。


 ……数日前のことだった。同じこの場所で酒を飲みながら海を見ていた気障男は、不思議な男を目撃した。
 突然、埠頭の突端付近に現れたのだ。まるでどこかから瞬間移動してきたかのように。
 大柄なその男は、海を見ながら仁王立ちした。
 気障男はしばし男の後ろ姿を見つめた。すると、何かその背中から哀愁のようなものを感じた。
 辛いことがあったんだな。それも、激しい悲劇のようなことが……。
 そんな気がした。気障男も、これまでの人生でいろいろなことがあったし、いろんな人間を見てきた。辛い思いをしたり人の悲しみを感じたりもした。
 だからなのか、その時は不思議な男と感情がシンクロしたのかもしれない。
 男はゆっくりと右手を上げ、スマホらしい物をかかげた。
 メールを送っているのか?
 そう思った。以前、まだ会社員をしていた頃、ああやって複数の相手にメールを送ったことがあるので、それを思い出したのだ。
 その男はしばらく海を見つめた後、振り返りゆっくりと歩き出した。
 ふと、立ち止まりこちらを見る。
 見つかった、と思った。しかしその男は何も言わず、また歩き出した。
 そして……。
 突然、現れたときと逆に、すーっとその姿が消えたのだ。まるで空気に溶け込んでしまったかのように……。 


 あの光景は、今でもはっきりと思い出す。そして、あの男への興味は更に募った。
 透明人間なのか、エイリアンなのか、はたまた幽霊か、正体を知りたいという気持ちもあるが、それ以上に、あの男の哀愁を帯びた背中が忘れられなかった。
 哀しみの奧に怒りも感じさせるような、そんなたたずまいだった。あれは、なぜだろう?
 これまで、自分も含め、多くの人間の悲劇を見てきた。今、気障男と関わりのある者は、みんな何らかの辛い過去を持つ。
 もちろん、それをあからさまにするヤツはいない。
 押し隠し、それぞれ気楽に生きていこうと決めたのだ。あの男がまだ哀しみに囚われ続けているなら、こういう生き方もあるんだぞ、と教えてやりたい気持ちもあった。
 今日は日中、それなりに稼いだ。だから、酒を買い込み、少し早めにこの場所に来ていた。何本かをあけ、いい気分になり始めたが、まだ夜のとばりが降りたばかりだ。
 一眠りすれば明け方。この前くらいには目が覚めるかな……?
 そんなふうに漠然と考えていると、急に車のブレーキ音が聞こえてきた。
 見ると、先日あの男が突然現れたあたりに、車が2台停車していた。
 国産の高級車だ。次々と男達が降りてくる。ある種危険な匂いを感じさせる連中だった。ヤクザとか半グレとは違う、もっと機械的に悪さを行うような者達に感じられた。それが、前の車から4人、後ろから3人。
 月明かりにそれぞれの屈強そうな体が照らされた。
 そして、最後に一人、後ろの車から最も身なりの良い男が出てくる。これで8人だ。
 気障男は、倉庫前に雑然と並べられた木箱やドラム缶の後ろに隠れた。
 な、何だ? ヤバイ日だったのかな?
 微かに後悔と怯えを感じ、それでも好奇心に身を震わせながら、様子をうかがった。


 

SCENE 2 本牧ふ頭――倉庫街②

 原木和夫は、車を降りるとまず建ち並ぶ倉庫を順番に見た。
 そして、反対側を向き、月明かりを映す海に目をやる。暗くうねる水面は、そこだけを見ていると、異世界にでも引き込まれてしまいそうな気分になる。
 ふっと息を吐き、最後に部下達を見る。 
 皆、屈強な体格。そして、懐には銃を忍ばせている。元警察官や元自衛官で、今は原木の下で暗躍している者達だ。
 原木自身も、元々は神奈川県警の刑事だった。
 油断なく、それぞれが辺りに視線を巡らせる。
 怪しい者は、今のところいない。
 さっきすぐそこの倉庫の前で、ゴソゴソと隠れる男がいた。ホームレスらしい。だが、気にする必要はない。事が終わったら始末する。うまく使えば喧嘩か何かに見せかけることも可能だろう。
 指定してきた時間まであと僅かだ。そろそろ現れるか?
 しかし、どこから?
 部下達の間に緊張感が漂っている。原木自身も息を大きく吸い込み気を落ち着けようとした。
 数日前、我々の上司である佐々木昌治の元にメールが来た。送ってきたのは「R――REVENGER」と名乗る人物だった。
 復讐者REVENGER――ふざけたネームだ。
 内容がまた輪をかけてふざけていた。
 『3年前の真実を公表せよ。さもなければ、おまえ達全てをこの世から抹消する』
 思い出し、チッと舌打ちする原木。
 3年前とは、おそらく例のことだろう。だとすると、あの時の被害者の親族か関係者か?
 いずれにしても、捨てておくわけにはいかない。
 話し合いたい、と佐々木から返信したところ、この場所と時間を指定してきた。それに応え、原木が代わりに精鋭を連れてきたのだ。


 一瞬、空気が動いた。
 原木だけでなく、部下達も気配を感じて顔を上げる。
 何かが空を飛んでいたような気がした。
 鳥か? いや、もっと大きいはずだ。いったい何が?
 全員の視線が、一番近くに建つ倉庫の天井に集中した。
 夜空――。微かだが星も見える。
 その夜空が、今、一部分だけ歪んだ。
 空間が歪んだ? 違う。我々の目と夜空の間、あの倉庫の上に、何かいる。透明な何かが……。
 そう思った次の瞬間、まさに見ていた場所に、突然人が姿を現した。
 そんな馬鹿な! 唖然とする原木。
 堂々とした体躯。シルエットからすると男だろう。特殊部隊か軍人のような格好をしている。顔にはフルフェイス・マスク。どこかで見たような服装だが、思い出せない。
 「誰だ? おまえがRか?」
 原木が大声で問いかける。同時に、部下達が銃を取り出し構えた。
 すると、男は再び一瞬で消えた。
 それぞれが驚きの声をあげる。行き場をなくした7つの銃口が戸惑いを現すかのように揺れた。
 また、何かが空中を飛ぶ気配。それが流れるように、原木の頭上をかすめた。
 思わず身を屈め、振り返る。
 倉庫から原木達を挟んで海側に、何かが降り立った。
 まさか?
 ゴクリ、と唾を飲み込む原木。
 そこに、突然さっきの男――Rが姿を現した。
 透明人間? 化け物?


 降り立ち姿を現すと同時に、Rは両手にサバイバルナイフをきらめかせる。そして、大柄な体からは思いもつかないほど素早く動いた。
 銃を構え直そうと動き始める部下達。その最も近くにいた者の喉を掻き切る。
 グバァッっと妙な叫び声をあげ、切られた部下が倒れた。血飛沫が舞っている。
 Rは振り向きざま、唖然として立っていたもう一人の心臓を貫く。その男は声も出せずに一瞬で崩れ落ちた。
 「くそっ」と別の男達が銃を構える。
 それより一瞬早く、Rの両手からナイフが放たれた。銃を構えた部下2人の心臓に突き刺さる。
 まさか、と目を見開いたまま、2人ともドウッと倒れた。
 別の者達が体制を整えたところで、再び消えるR。
 ば、馬鹿な。何が起こっているんだ?
 原木は震えながら、ようやく自らも銃を取り出した。とはいえ、どこへ銃口を向ければいいのかわからない。
 残り3人の部下達も、それぞれ別の方に向かって銃を構えているが、恐れからかその先が震えている。
 最も怯えのひどい部下の真横に、Rが姿を現した。
 「うわぁっ」と部下が銃を向けようとするが、Rはその腕を素早くとり、銃の向きを変える。
 他の部下2人が標的となった。乾いた銃声が2つ響き渡り、その2人は倒れた。弾丸は見事に心臓を貫いている。
 唖然とする最後の部下。Rに自らの手を掴まれ銃爪ひきがねをひかされたのだが、それが信じられないとばかり目を見開いている。
 Rは彼から当たり前のように銃を奪い取ると、一瞬のためらいもなく心臓を打ち抜く。
 そして、消えた――。


 もはや声も出せず立ちすくむ原木。
 腕の立つ男達のはずだった。それが、あっという間にみなむくろと化した。
 「おまえの上司は」と声が後ろから聞こえてきた。
 ビクッとなり、顔だけ振り返る。
 スーっと、Rが姿を現した。
 「真実を公表するつもりはないらしいな。予想通りだ」
 冷徹な声だった。何の感情も感じられない。
 原木は恐怖を感じながらも、銃を向けようと勢いよく振り返る。
 だが、その腕はRにがっちりと抑えられた。
 「ま、まてっ」
 目を剥く原木。
 Rのフルフェイス・マスクの奧の目に妖しい光が灯ったような気がした。
 次の瞬間、胸にこれまで感じたことがないほどの衝撃を受け、息を呑む。視線を落とすと、心臓あたりにサバイバルナイフが深々と突き刺さっていた。
 がはっ、と大きく息を吐き出すとともに、原木も命を失った。
 Rは、原木の胸からナイフを引き抜き、悠々と歩き出す。海を背にしばらく進み、ちらりと倉庫の方を向く。
 ホームレスがドラム缶の陰から見ている。視線が合うと、慌てて顔を引っ込めた。
 Rは特に何事もなかったかのように、また歩き出す。そして、スッと空気に溶け込んだかのように、消えた。


 

SCENE 2 本牧ふ頭――倉庫街③

 あ、あわわっ……。
 気障男は腰を抜かしたまま、動けない。
 しばらく座り込んでいた。
 俺も、殺されるのか?
 しかし、いつまで経っても何も起こらない。誰も自分に近づいては来なかった。
 もう一度様子を探る。
 いない……。
 そこには、2台の車が乗り捨てられ、無惨な死体が8つ転がっているだけだ。 
 あの、透明人間はいない。
 呆然とただ座り込む気障男。
 おそらく銃声を聞いたのだろう。複数の人間がやってきた。そして、その光景を見て慌て出す。
 「な、なんだこれは? 何があった?」
 「け、警察をっ!」         
 湾港関係者だろうか。彼らの声を聞きながら、気障男はカップ酒を飲み干した。


 

SCENE  3  Cafe「一花」

 「ね? ひどいと思いません?」
 夏美はそう言ってテーブルの向こう側の2人を見た。
 「ま、まあまあ、落ちついて。コーヒー飲みなよ」
 そう応えたのは、県警交通部交通機動隊に所属する夏川絵里巡査部長。彼女は白バイを駆使し、県内の幹線道路を走りまわっている。夏美の2つ上の先輩だ。
 「いやぁ、あのワイルドな鷹西さん相手に正面切って喧嘩するあなたもすごいよ」
 絵里の隣で呆れ顔をしているのは、神奈川県警総務部広報課の深山早苗巡査部長。夏美より5つほど先輩になる。
 この2人は、県警の女子寮で両隣の部屋だ。珍しく非番が一緒だったので、今日は揃って映画を観て来た。
 「だって、あの人があまりにも無神経だし図々しいから……」
 ますます怒りを強くする夏美。
 「ほらほら、熱いうちに飲みなさいって。そして少し落ちついて」
 早苗が更に言う。
 ここ「Cafe 一花」は県警女子寮のすぐ近くにある小洒落た店だ。ホッと一息つきたいときの憩いの場になっていた。
 こぢんまりとしているが、落ちついた雰囲気のカフェで、軽食やちょっとしたアルコールも置いてある。居酒屋と違って静かに飲めるのが良い。
 映画の後、そのまま寮に帰るのはもったいない気がして寄ることにしたのだが、この勢いだとそろそろお酒へと進んでいきそうだ。
 22才の夏美はまだ酒にあまり慣れていないものの、この2人に鍛えられてだいぶ飲めるようになってきた。
 「それにしても、たった2人で14人もたたきのめしちゃうって、すごいね」
 絵里が溜息交じりに言った。
 「しかも、密輸グループの方には、タイの元軍人や裏社会で活動するプロの殺し屋も混じってたっていう話だよ。あんた達2人、いったい何者なのよ?」
 広報にいる早苗は情報通だ。検挙した者達のことも、すでに伝わっているらしい。
 「あんた達2人って、あんな人と一くくりにしないでください」またしても怒りがこみ上げてくる夏美。「あの人のせいで、私、すごく恐い思いしたんですよ。もう少しで別の世界へ売り飛ばされるところだったんだから」
 「べ、別の世界って……」
 苦笑しながら顔を見合わせる早苗と絵里。
 「何度も呼び捨てにしたり、おまえって呼んだり……。班長も班長だわ。あんな人となんとか1号とか2号とか、ああ、もう、やだぁっ!」
 両手で頭を抱え首を振る。


 「まあまあ。ところで、夏美ちゃん」と早苗が様子を伺うかのようにのぞき込んできた。
 「な、何ですか?」
 「この前の話、どう?」
 「え? イヤだって言ったじゃないですか」
 慌てて首を振る夏美。
 「何? 何? 何なの?」と興味深そうな絵里。
 「週刊誌からグラビアの依頼が来たの。最前線の可憐な刑事って、ドラマの紹介みたいなタイトルだけど、それで夏美を撮りたいって」
 「だから、私そういうの、絶対イヤです」
 首だけでなく、両手も振ってことわる夏美。
 「何でよ? いいじゃない。警察のイメージアップにもなるって、広報課長は喜んでたわよ」
 「え? 夏美に? すごいじゃん。やっぱ、可愛いからなぁ」
 絵里が嬉しそうに夏美の肩を強く叩いた。
 そう言う絵里だが、すでに別の週刊誌でグラビア経験済みだった。華麗なる白バイ隊員、というタイトルで巻頭カラーを飾ったことがあるのだ。 
 「絵里さんがやればいいじゃないですか。前のグラビア、反響すごかったし」
 夏美が叩かれた肩をさすりながら言う。
 「私はもういいや。だって、あの後、写真撮られたりサインねだられたり、めんどくさいこと多くて、しばらく仕事にならなかったし」
 「バイク雑誌からの取材とか、もうことわってるしね。もったいないな」
 絵里を見ながら言う早苗。


 「私もことわってください。全然、やる気ないです」
 強く主張する夏美。
 「一回くらい、いいじゃん」
 「私も見たいな、夏美の水着姿」
 「み、水着ぃ?!」息を呑む夏美。「水着なんて、もっとなし! 絶対なし!」
 「夏美の水着姿見たら、鷹西さん、惚れちゃうかもよ?」
 絵里の言葉に、早苗が「なるほど」と頷く。
 「なっ……」息をのむ夏美。その状況を思い描き、顔が赤くなっていた。「なんで鷹西さんが出てくるんですか?」
 「あ、ヤバイ。その名前、地雷だった?」
 わざとらしく口元を抑える絵里。
 その時不意に、夏美のスマホが鳴った。
 班長からだ。一瞬で表情が引き締まる。
 早苗も絵里も、その様子を見て目つきが変わる。さすが警察官だ。
 「月岡、休み中悪いが事件だ。本牧ふ頭のはずれの倉庫街で、複数の他殺死体が見つかった。うちの班が向かう。来られるか?」
 「行きます」即座に応える夏美。すでに立ち上がっていた。
 詳しい場所を確認すると身支度を始める。着替えている暇はない。身分証も警棒も、常に持ち歩いている。
 「事件?」と早苗が訊いてくる。
 「はい。すみませんが、急行します」
 「まったく。捜査一課ともなると、大変だね」
 やれやれ、という感じで言う絵里。
 ペコリ、と頭を下げ、夏美は急ぎ足で出口へ向かった。
 「なんか、事件となると活き活きしてるよね」
 「ほんと、変わった。外見と中身のギャップがなぁ……」
 「可愛さの無駄遣い、か……」
 早苗と絵里は、苦笑しながら夏美の背中を見送った。

捜査開始の第4話に続く↓


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