Rock'nRollerには、固定観念や先入観はいらない
こんにちは、Hideです!(^^)!
故野村克也氏の名言に、「固定観念は悪、先入観は罪」と言う言葉があります。
このテーマは、まさに私の言いたいことが詰まっている内容です。
満を持して(笑)お送りしていきますね。
私なりの考察と、これまでの経験から得た自分なりの意見等を、お話ししていきます。
固定観念は...思い込み
まず、固定観念とはどういう意味なのかを調べてみました。
*広辞苑➡絶えず行動を決定するように支配している観念だが脅迫観念の様に病的なものでは無い。
*大辞林➡他人の意見や、周囲の状況に応じて変化しない、行動を決めているような観念。
広辞苑の方は、行動を決める観念といったイメージですけど…
私的には、大辞林の方が普段考えているような「固定観念」というものに近いと感じました。
普段、固定観念という言葉を使う時には、凝り固まった古い習慣や考えを指す事が多いですね。
例えば、朝食を食べるか食べないかってことも、私は子供の頃から漠然と毎日食べるものと、何も考えずに思ってきました。
これも一つの固定観念ですよね。
朝食は食べるものといった概念に囚われているだけかもしれません。
力士の人達は、あえて朝食は採らず朝の稽古が終わってから食べています。
その目的は、食べる前に稽古をしてお腹を空かせて、より多くの量の食物を摂取する為です。
そして食後、即眠り体重を増やす事が目的だからなのです。
仕事によっては朝食に対する概念は違います。
つまり固定観念から見たタブーなのです。
なので、一概に朝食を食べるべきという事は言えないのですよ。
お相撲さんは朝食を食べないというより、稽古をしてから朝食を摂るので、一般の私達は、食べた方が健康には良いですよ?
私も朝食はしっかり食べる派です。
それは、知識を組み合わせて出来上がった自分なりの考えであり、それは固定観念とは異なるものだと思います。
何事も状況に応じた判断と行動が必要です。
こうなったらこうという固執した考え方は、了見を狭くしてしまいます。
要するにただ単に”朝食は食べた方が良い”と何の知識や経験も無しに言い放ってしまうこと自体が固定観念であり、そこには根拠も何もない状態です。
それはただの思い込みでしかないのです。
私達は、何気に自分の中にある固定観念で物事を見てしまう傾向がありますよね。
偉そうに語っている私にもありますよ。
しかし、一呼吸おいてから考えると、それってただの思い込みって事の方が多くないですか?
会話の中で「それって普通ならこうするよねぇ~だからそれって違うよねぇ~」とか…あるあるでしょ~
人それぞれ育った環境などで、価値観が違ってくるのは当然。
でも、なぜかちょっと風変わりな言動や行動考えなどすると、周囲から、即”普通じゃない”みたいな意見が出てきます!
自分の感覚だけで、物事を考えてしまう事自体が固定観念なのかもしれませんね。
一概には固定観念とは言い難い部分もありますので、根拠をしっかりとヒアリングすることが必須ですね。
お互いに誤解を生まない為にも、言った方も至った経緯をきちんと説明して、聞く側もなぜそういう考えになったかにしっかり耳を傾ける事が必要ですね。
物事を頭ごなしに、決めつけてしまわぬ様に、日頃から心掛けています。
あまりにも下品な事であったり、逸脱しているような場合は、別ですけど…(笑)
固定観念とは、その人自身が勝手に思い込んでいる事が殆どではないのかと感じています。
固定観念は年代や地域でも差がある
世代でも考え方も変わってきますよね。
育った環境や時代背景は人間にとって、大きく影響を及ぼすものです。
私は高度成長期後半に産まれ、20代の頃は新人類って呼ばれていた世代です。
昭和後期に社会に出て、古い大人達とは大きく考え方が異なっていました。
バブルも終わり、アバウトだったそれまでのやり方が通用しなくなってきたのです。
進化を求める若者と、これまでの精神論を振りかざす大人の戦い、という構図です。
地域性としては、びっくりすることが度々あります。
これは地域の慣習という事かもしれませんね。
例えば、人って亡くなると火葬しますが、日本では土葬は行政の許可が必要で、現代では土葬を禁止している行政が多くあります。
日本の殆ど全てという位、火葬をしています。
火葬後、骨を拾ってまず骨壺に納めます。
地域によっては骨壺が小さいものを使用し壺に収まるくらいだけ入れて、残った骨は処分、つまり廃棄する風習があるようです。
うちの親戚はこれを見て、東北でこんなことしたら親戚一同怒ってしまうとびっくりしていました。
極端な例でしたが、そんな事って意外とありますよね。
うちの地元では、だるまの色が青いのです。
子供の頃から青い達磨を見てきたから、不思議とは感じません。
大人になり他の地域を見たり聞いたりして、赤いのが通常だと知って、驚いたくらいです。
地域により様々な違いがあるってことは、テレビのケンミンショー見ていれば、よくおわかりかと思います。
~演出は若干オーバーに見えますが...
土地柄は仕方のない部分もありますが、やはり時代とともに無理がある事は、変化しているようです。
例えば、娘が三人いたら家が傾くと言われている、名古屋の嫁入りもそうです。
今はかなりなくなってきているそうです。
生まれ育った環境で、その人間に植えつけられた固定観念も様々変わってきます。
ですが、他の土地を見たり聞いたりして、改めて比べてみた時に、残すべき素晴らしいものや、変えていかなければならないものをジャッジする目利きが重要になります。
その為には、自分の中の固定観念を時にリセットする心構えが必要不可欠になってきますよね。
バブルのツケがまわってきた
私達世代は、就職もバブル景気だったので、希望した職種に就けたし、ある程度の規模の企業に入社出来た方も多かったはず。
ぶっちゃけて言うと私達世代は、団塊の世代の定年を想定した企業側が、好景気も伴い、とりあえず採用人員を多めにしておこうといった考えの中で就職した世代でした。
それが就職が楽な方だった裏の理由です。
就職氷河期の人達からよく羨ましがられました。
予備的要素での採用だったので、言葉は悪いのですが、適当に採用になった人達も多かったのです。
スポーツで言えば無駄に補欠選手ばかりいるようなもの、いざ必要無くなった時には真っ先に戦力外宣告を受けますね。
人により仕事が上手く出来ない場合、大企業なら部署異動や出向といったこともありますが、それが難しい中小零細企業だと、退社するしかないシチュエーションも多いものです。
バブルの勢いだけで入社できたので、その後苦労がありましたよ。
バブルが弾けノルマが厳しくならざる得なくなり、ついていけなくてふるいにかけられた人達を何人も見てきました。
私は20代中盤だったので、若かった事もあり、時代の変換にはある程度対応はしてましたが。
当時35~50歳位の方達は、バブルの良い環境から切り替えができず、余儀なく振り落とされてしまったように見えました。
その方達はある程度のポストに就いていたので、かなり良い思いをした事も多かったようですね。
良い思いをした分、厳しくなった時代についていけなくなったのかもしれませんね。
私は80年代前半に社会に出ましたが、現代と比べると人間も物質的もまだまだ色んな面で古かったし発展途上という感じでした。
戦前生まれの方達が社会の第一線で働いていた時代ですから仕方ないのですが、
“気合いと根性” ”古き伝統を重んじる”
みたいなのが蔓延していて、上の言う事は絶対みたいな風潮でした。
商売も、人間関係で成り立っているものが殆どでしたし、現在の様にデータに基づいた理論なんてのは、まだ殆どありませんでしたね。
科学的検知から物事を見ようする動きは一部では有りましたが、現実は軍隊方式で上官の言う事が絶対みたいな雰囲気でした。
そんな今からすれば遅れた社会だったとはいえ、それで成り立っていたのですから、そう簡単に変わっていくはずがありませよね。
先入観は、初めて出会った物の印象
では、先入観というものはどうでしょうか?
広辞苑➡初めに知った事によって作りあげられた固定的な観念や見解
新辞林➡前もって作られた固定的な観念、思い込み
固定観念と先入観は二つとも同じような意味ですが、固定観念の方は、一度正しいと思い込みそれが凝り固まってしまった考えを意味し、先入観は、物事を知ったタイミングが初めてだった事で作りあげられた観念ですね。
どちらも、誤った思い込みという点では同じなのですが、固定観念は自分がこうだと思った事が頭の中で固定してしまう事で、先入観は最初に知った事がその後においても思い込んでしまう事みたいですね。
二つの違いを掘り下げる事はしませんが、思い込みというものは、物事を考える上で決して良い方向にはいかないものだと思います。
ある意味歪んだ思い込みに囚われていると、人を見る目や何かを考案する時や行動する時に、判断に大きく悪影響を及ぼしてしまうからです。
先入観は罪、固定観念は悪
野村克也氏の本を読んだ時に、この言葉に大きく共感を覚えました。
今までの社会人生活は、年上の人達との固定観念や先入観との戦いでしたので。
思い込みはダメだよなぁ、といつも感じていました。
経験上、固定観念や先入観で失敗すると結構痛手を負いますし、後々尾を引く場合があります。
頭の中でもう一度、固定観念と先入観を引っ張り出して、精査した方が良いかもしれませんね。
固定観念と先入観の断捨離です。
周りから言われても、どうしても自分の考えは譲りたくない変えたくないというなら、それは自由です...
成功しても失敗してもそれはその方が覚悟を持って決断した事ならそれで良いと思います。
固定観念に縛られている人達は、本来誤っている事を誤っていると気づかずにいる、いや気づいていても認めたくない。
現在している事が、正しいと思い込んでいるのです。
バブル前は、現代の考えからすると、世の中自体が変な固定観念に縛られていた感じでしたね。
バブル時代に中高年だった方達が年老いてから、昔は良かった~
とか、バブルの頃は良かった~
などと、おかしなノスタルジックな言葉を口にする方々がおられましたが…
それはどうかなぁ~と感じてしまいます。
昔の古いものにも、良いものはありますし、ハイテクが進む現代でも受け継がれている事は沢山あります。
しかし、その方々が口にしてることって、良い夢を忘れられないだけで、妄想や幻想じみた感情にしか聞こえないのですよ!
部下には偉そうに厳しいことは言いますが、いつまでもそんな考え方をしているようでは、前に進めないぞ!
と逆に言いたくなりますよね!
過去の栄光は捨てないといけません。
既に終わったものでしかないのです。
花はいつまでも咲いていません。
萎む前に次の花を咲かせなきゃならないのですよ!
その繰り返しですから!
咲かせられない時もあるでしょう。
それでも未来に輝く花を咲かせる為に、力を注がなければならないのです。
それが出来ないなら、潔く引退すべきです。
もし自分自身でもう花を咲かせる気力が無くなったと感じたらば、潔く現役を引退します。
それが、真の侍魂だと思いますね。
自分で自分の尻を叩いていかないと、人はすぐに怠けてしまいますからね~(笑)
自由を愛し求めている私にとって、固定観念や先入観はいらない
自分の思ったことがルールのRock'nRollerですからね(^^)/
誰かの考えに縛られるなんて、まっぴらです!
いつまでもどこまでも、自由でいたい!
自由を求めるRock'nRollerには、固定観念も先入観もいらないぜ♬
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