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杜の都のRocknRollerが青春時代に聴いた邦楽ROCK名盤 70年代後期~80年代前半編

こんにちは、Hideです♬

前回に引き続き、私が聴いた70~80年代のロックアルバムをご紹介します。

日本のフォークやロックがニューミュージックと呼ばれ、大衆に受け入れられてきた頃です。

それぞれ個性のあるアーティスト達でした。

⑥マイジェネレーション / 甲斐バンド 1979年10月5日リリース オリコン最高週間順位1位

この年時計メーカーのSEIKOのCMソングに起用された「HERO」でオリコン1位に輝き、一躍ブレイクした甲斐バンドが、勢いをそのままに、700時間を費やして制作された一枚。

当時、ニューミュージックと呼ばれた日本のフォークやロックのアーティスト達は、テレビへの出演を拒否する事が多かった。

ライブで直接オーディエンスに思いを伝える為、というのが主な理由。

その後、甲斐自身のFM番組から中継という形で「ザ・ベストテン」に出演。

甲斐バンドも矢沢永吉や松山千春同様に、当時人気歌番組だったTBS「ザ・ベストテン」からの出演依頼を断っていた。

そのテレビ局とのやり取りを曲にした「噂」というアコースティックな曲を収録。(地元の博多でレコーディングされた)

79年10月から始まった「3年B組 金八先生」の不良をテーマにした回で挿入歌として収録曲の「特効薬」が起用された。

当時NHKFMのサウンドストリートのDJをボーカルの甲斐よしひろが担当しており、私も毎週聴いて、良い曲はカセットテープに録音していました。

オープニングの「三つ数えろ」は沖縄風のギターアレンジを取り入れ、”~満足できなけりゃ戦争でもおっぱじめるさ”という過激な歌詞で評論家の間で物議を醸しだした。

ロックバンド初のNHKホールでのライブや日本武道館2日間を含む年間85本のライブを行い、20万人を動員。

この年から82年まで、ライブでの観客動員数No.1を誇っていた。

アルバムラストの「熱狂 ステージ」はライブ終了後の会場で、客出し曲として流された。

結成当初からのメンバーであるベースの長岡和弘が、この年体調不良の為、脱退。

当時中学3年生だった私の友人は、受験勉強中に聴いていたラジオから流れる甲斐よしひろの声が私にそっくりだと言っていた。

「お前が歌っているかと思った」と言っていたが、それはかなりのリップサービスだと感じました(笑)

このアルバムは私も購入して何度も聴いていたので思い出深いですね。

⑦RHAPSODY / RCサクセション 1980年6月5日リリース オリコン最高順位週間47位

1968年から忌野清志郎を中心にフォークバンドとして活動していたが78年よりロックバンド編成に移行。

前作から4年を経てのアルバムだったが、当初スタッフ関係者からはスタジオ録音盤を出す事を進められたが、清志郎の「ライブの勢いをそのまま出した方が良い」との意向からライブ盤を発売。

1980年4月5日久保記念講堂のライブを収録。

オリコン47位とランキングでは、上位にはいかなかったたものの、私の周りではかなり評価が高く、RCサクセションのライブの魅力が伝わってきたライブ盤の最高傑作。

夜のヒットスタジオに出演した際に、司会の古館伊知郎から、”海の向こうにローリングストーンズあれば、日本にはRCサクセションあり”と言わしめた。

当時のまさにKING OF ROCKと呼ばれた日本一のロックバンドだった。

私も81年に地元で開催されたフェス、”ロックンロールオリンピック”で初めて観た時、かなりの衝撃を受けました。

私自身も野外で、ロックを見るのが初めてで、RCの衣装やパフォーマンス、演奏能力どれをとっても、聴いてる側を熱くさせてくれるバンドだった。

スタジオ盤で音をいじられる事を嫌い、ロックのライブ感で勝負した清志郎はやはり偉大なロックンローラーだったと思います。

2009年喉頭がんで亡くなられましたが、天国で坂本龍一氏と再会して、二人でまた楽しく演奏してると良いですね。

偉大なミュージシャン二人に改めてご冥福をお祈り申し上げます。

⑧Woman & I... OLD FASHONED LOVE SONGS /柳 ジョージ&レイニーウッド 1980年7月25日リリース

レイニーウッドでボーカル・ギターの柳ジョージは、ミッキー吉野が在籍していた、ゴールデンカップスの後期メンバーで当時はベースを弾いていた。

1978年柳ジョージとレイニーウッドでデビュー。

ショーケンこと萩原健一氏のドラマの主題歌「雨に泣いている」が大ヒット。

その後も「さらばミシシッピー」や資生堂CMソング「微笑みの法則」がヒット。

しゃがれた声質とギタープレイから、”和製クラプトン”と呼ばれた。

他の日本のロックバンドとは違い、ブルース色が強く男の渋さを感じさせるバンドでした。

このアルバム以前に4枚目のアルバム「RAINY WOOD AVENUE」は初登場1位を記録するなど日本のブルースロックを世に広めた。

今回選んだ「Woman & I... OLD FASHONED LOVE SONGS」は2枚組版でオリジナル曲と、オールディーズナンバーの混合の曲編成で構成されている。

「テネシーワルツ」や「チェンジゴナカム」は柳節になっていて聴きごたえがある。

私個人としては「青い瞳のステラ、1962年夏・・・」が好きでした。

歌詞の中で「沖を走る貨物船眺め テネシーワルツ歌おう♬」の部分が好きでしたね。

芝生の丘の上から海を見ていた情景が目に浮かびます。

和製クラプトンと呼ばれてはいたものの本人自体はクラプトン好きではなかったそうです。

1981年レイニーウッド解散。

その後ソロになりましたが、かなりポップな曲調になりましたね。

ソロになってからも良い曲出してまして「星空の南十字星サザンクロス」や「フォーユアラブ」などヒット曲を世に送り出す。

私もカラオケで良く歌いました。

2011年10月10日腎不全の為、63歳で逝去。ご冥福をお祈り致します。もっとあのしゃがれた声の歌を聴きたかったです。

⑨A LONG VACATION / 大瀧詠一 1981年3月21日リリース 累計売上枚数300万枚 オリコンLPチャート2位 オリコン1981年度年間順位2位 オリコン1982年度年間順位26位

もうこれは、私が高校2年生の時にめちゃくちゃ売れたし、当時の若者なら誰しも聴いたアルバムでしょう。

私も今でも聴いている不朽の名盤です。

しか~し、何故これほどのアルバムが1位になれなかったのでしょうか?

おわかりでしょうか?これを上回る怪物アルバム、寺尾聡の「リフレクションズ」があったからです。

ベスト10入りしたシングル曲3枚が収録されていました。

「ルビーの指輪」でレコード大賞まで獲りましたからね。

ある意味不運なのか、いや5年も不遇な時代を味わった大瀧詠一が大ヒットアルバムを放つ事自体、当時は音楽界の奇跡とまで言われたそうです。

このアルバムは前年の大瀧の誕生日の7月に発売予定だったが、作詞を依頼していた松本隆が妹の死去を理由に、詩を書けないと言われ、なら待つという大瀧の意向から発売日が伸びた。

寺尾聡の様にテレビに出るわけでも無くCMやテレビドラマのタイアップも無い中でのこのセールス記録は凄いとしか言いようがない。

それまでCMソングの曲を制作してきた事が大瀧の基礎になっているのではと思います。

出身は岩手県の現在の奥州市、世界の二刀流大谷翔平と同じである。

収録曲「さらばシベリア鉄道」は太田裕美もカバー、「君は天然色」は現在でも多くのCM曲として使用されている。

山下達郎氏と並んでエンジニアとしても、ナイアガラサウンドという音を何重にも重ね音に厚みを出す録音手法を編み出した。

作家としても松田聖子の「風立ちぬ」や森進一の「冬のリヴィエラ」、小林旭「熱き心に」等数多くのヒット曲を世に送り出した。

曲も良かったが、永井博氏による、アルバムジャケットも良かった。

夏向きでおしゃれな感じで、私もポスターが欲しかったです。

2013年に65歳で亡くなられています。

近いところだとドラマ「ラヴジェネレーション」で「幸せな結末」が有名です。

この方も日本の音楽クリエイターとして音楽界に影響を与えた一人です。

⑩SOMEDAY / 佐野元春 1982年5月21日 オリコン最高順位週間4位 1982年度年間順位38位

佐野元春は立教大学卒業で在学中に学費を稼ぐ為広告代理店に勤めていた。

1978年ヤマハのポプコンに出場、本選会で優秀曲賞を受賞。

1980年にデビュー、沢田研二等に楽曲を提供している。

佐野はこのアルバムが売れなければ活動を辞めると話していたらしい。

自身も意気込みを掛けて制作されたアルバムであった。

このアルバムのタイトル曲でもあるSOMEDAYは、和製ブルーススプリングスティーンと呼ばれた。

イントロ前の街の雑踏の音が印象的。

ブルースの「ハングリーハート」にコード進行が似ている。

白井貴子もカバーしている。このアルバム収録曲「アイムインブルー」を吉川晃司がカバー。

沢田研二への提供曲もセルフカバーとして収録されている。

軽いロックンロールの曲調は当時の若者の心を捉え、女性からも人気があった。

当時佐野元春のライブには美人が多いと評判だった。

桑田佳祐に並んで字余りソングを日本の音楽界に浸透させたシンガーソングライターでもあり、後のミスチルや尾崎豊等にも影響を与えている。

ロックンロールに日本語を乗せる事への終着点を見出したミュージシャンと言える。

「ロックンロールは心の落書きみたいなもの」と石橋貴明のコメントにも同意しており、日本の新たなロックンロールのスタイルを確立した功績は大きい。

収録曲「ロックンロールナイト」は都会で寂しさを抱えながら、はいあがってやるという強い意志を感じる名曲です。

先述の甲斐よしひろと同じNHKFMのサウンドストリートのDJも担当していた。

私は、最初に白井貴子のSOMEDAYを聴いて良い曲だなぁ~と感じて本家を聴いたら、もっと違う曲も聴いてみたくなった。

ロックンロールのイメージを都会的でしゃれた雰囲気で歌う佐野元春に、これまでとは違うロックンロールシンガーのイメージを持たせてくれました。


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