休息と勇気

ここ最近、毎日遊びまわっている

一人のときはカフェに、友人とはカラオケやサウナなど

連日の、容赦ない外出!

年末の土日もイベントなどに参加しまくる予定

意識しているのは「我慢しないこと」「葛藤しないこと」

これはひとつ、堕落しているのではないか?と思われる方もいるかもしれない

でも僕は、自分が会社を辞めるまでに追い込まれたうつ状態になってわかったことがある

我慢せずに、遊びまわっている結果、エネルギーはいい感じに循環していて

我慢していたころは、気分は常に憂鬱で、誰かと何かを楽しむことも無く、世間で成功している人たちを羨んでいた

働いているが、土日はベッドの上から動けない状態

生きているとはおよそ思えなかった

心が死んでいると誰にも何も提供できない

遊ぶことにより貯まったエネルギーがなければ、労働だってできない

また、エネルギーが枯渇している状態だと、人の誘いを断れなかったり、何かに対して「否!」ということができなくなる
(少なくとも私の場合はそうなった、ということだが)

つまり、善悪の判断さえ怪しくなるのだ

もし自分が、毎日つらく悲しく、死にそうな状態の教師だったとして、目の前で複雑でわかりにくいいじめが発生したとして、介入していけるかということである

間違いなく回避したくなるだろう

善悪の判断にも、何かに責任を取ることにも、勇気を出すことにも、エネルギーがいる

毎日イライラしている夫婦の子供が、のびのびできないのと一緒で

僕がアドラーや自己啓発書が苦手な理由もここら辺にある

正しい理論を説明できたとしても、人間の心的なエネルギーが無ければ実行は難しいのだ

熱中症でぶっ倒れているひとが「水をくれ」と言っている状況で

「では上手な水分補給の方法を教えましょう」と言ったって相手は死ぬ

「俺が水を得たときの話をしてやろう」と言っても相手は死ぬ

まず相手の体を日陰に引きずっていって、「自分が持っている水」を飲ませてやる必要がある

これが僕がいつも持っている違和感の正体でね

話は少し変わるが

最近、勇気についても同じようなことを思う

勇気を出せ!決断しろ!と人は言う

でもね、とにかくエネルギーが無いときに勇気を出したり決断をしたりすることはほぼ不可能なんだよ

新しい場面に対応するエネルギーが無いから、自然にそうならないようにセーブしているわけで

だから、勇気や決断力で悩む人は、一旦休んで力を貯めてみることをおススメしたい

間違っても自責なんてしないでくれと

今、仕事を辞めて4ヶ月

やっと勇気も出せるようになってきた

少し前に書いたが、11月に、僕は海外で働く切符を自分で捨てた

その後、激しく後悔した

なんて自分は勇気が無いんだ、決断力が無いんだ、臆病者なんだ、優柔不断なんだ!こんな俺なんて死ねばいい!!

と本気で思っていたが

あれはまだ回復してなかったから決断自体が不可能だったのだな、と最近自然に思えてきている

人間関係の悩みだって多くはそうだろう

その選択肢しか取れないほど、弱っているのだ

だからこそよく休んで、よく遊ばなければいけない

ストレスのはけ口としての遊びではなく、エネルギーを満たす遊びをさ

いずれにせよ

無理せずぼちぼちやっていきましょうや(唐突な語りかけ)

休むと自然に前向きになってくる、というのがここ一年で最大の発見です

では今日はこの辺で

皆様におかれましても、寒いので体調には気をつけて

おやすみ

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