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生まれてきた幼女を殺して森を護るのか、弱者を生かして地球を滅ぼすのか?

2019年の5月中旬から糖質制限(カットではない)を開始して8ヶ月が経過、もともと92kgだった体重は76kgとなりトータルで16kg, 月次ベースで2kgずつ体重が落ちた。今まで特に身体の異常はなく、むしろ体感的には快適だ。病院嫌いなので定期健康診断等に行かないため、定量的に検証できないのが歯痒いところだが。

さて、自分が糖質制限を始めたきっかけの一つは下記の本を読んだことにある。

この本を読んで衝撃を受けつつ、非合理的な行動をし続ける現代に生きる人々についての自分の考えに、補完的なヒントが加わったからだ。その考えとは、

農耕文化は為政者にとっての人類支配の都合の良いシステムであり、米はその中でも代表的なツールである。

というものだ。

現代社会に生きる人々が自ら進んで奴隷的な行動をとり、しかもそれを後の世代に強いていくことの不自然さについては幼少の頃から疑問を持ち続けていたことなのだが、その現象から直接的に答えが出るわけでもなく、自分が接することができる事物を観察して精一杯一般化してみたり、本を読み歴史に学ぶということを積み重ねていくしかない。

当時、日本人と欧米人ではそれぞれが持っている「音」や「リズム」が異なるということを地政学的に分析する本を読んでいた。そして、同時に日本の神話についても今さらながら読み進めていた。そのタイミングでこの本と出会い、複合的・重層的に自分の中でイメージが統合されていった。

そしてこの本。

上記は上巻へのリンクであり、上巻はそれはそれで非常に面白いのだが、下巻に書かれている内容は自分が考えていることとほぼ同じ内容であることに驚いた。それは、

農耕文化によって人類が繁栄したのではなく、農耕文化が、特に小麦に代表される穀物が人類を隷属的に支配した。

というものだ。

穀物は糖であり、糖は甘く中毒性が高いものであることは、"炭水化物が…"本に書かれているし、成分的にもその通り。そして、その糖を計画的に育てて、そしてここがポイントなのだが増やすことによって、人類は拡大、すなわち人口を増加させることに成功した。

"サピエンス全史"によれば、農耕文化より前の人類は当然ではあるが狩猟文化に属し、マンモスなどの動物を倒して肉を食べていたのではなく、森に入り木の実や虫を、その日の自然の状況によって選り好みせず採って食べていた。食べるものが計画的に決まっておらず、かつ多様であったために、狩猟民族の知識と思考能力は我々農耕以降の民族よりも優れていた。そして、食が必然的に偏ることがなく、それが故に身体は丈夫だった。

一方で、大人の男が死ねば少女を殺し、動けなくなった老婆を殺し、生まれてきたばかりの幼女を殺した。

狩猟場から採れる食料の量と部族の量のバランスを意図的な殺人で平衡させていたということだ。そして、殺されるのは幼女や老婆など、相対的に狩猟の役に立たない人だった。

そうした部族の人々は非常に明るく、生命力に富み、嫉妬や恨みの感情も極めて少なかったということだ。言わば、究極のエリート優生主義である。

その後に現れた農耕民族は、米や小麦を代表とするエネルギー効率の良い食物を計画的に育て、農地を拡大することによって弱者を殺すこともなく、人口を増大させることができた。

その一方で、稲作というシステムを保つために、ヒエラルキーが生まれ、農地に縛りつけられ、考えることよりも手を動かすことが優先され、妬みや嫉妬の感情が生まれ、さらにその農地の奪い合いとしての戦争が多発し、農地の拡大によって森、すなわち原生林が失われ、家畜や堆肥などを生活の近くに置くことにより疫病が生まれることとなった。

いずれにせよ人は死ぬことになるのだがそれ自体の影響の大きさと、それ以外に生み出される影響の大きさについて冷静に考える必要があるのではないだろうか。

どちらかが優れているからどちらかを選ぶという簡単なことを言っているのではない。我々の生活、社会は歴史の積み重ねにより成り立っていて、その歴史の中で様々な可能性を選択し、別の意味で排除してきた結果であるということについて思いをめぐらせる必要があるのではないだろうか?

食べ物は大事だから、米粒一つまで食べなさい。

と言われて育った日本人は多いと思う。農業は崇高なものであるということもなんとなく感覚的に思っている人が多いのではないだろうか。しかし、地球の深淵なる歴史の中で、もっと言えば、人類の歴史の中ですらそれはある小さな部分に過ぎない。そして、その小さな部分についての思い込みの中で我々は生きている。その思い込みは様々な伝承やことわざ、そして規範などによって出来上がっている。そういったことを一度疑ってみてはどうだろう?

人類を脅かすウイルスは行き過ぎた工業主義の悪い影響だ。だから、農業にもどろう。人が疲れているのは都会で頭脳仕事をし続ける結果だ、だから農業にもどろう。

そういった論は至るところに見られるが、果たして本当だろうか?

歴史を学ぶ意味、本質はここにある。

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