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解釈と選択を他人に委ねることは死を意味する - 自分の人生を生きるとは -

”越境者”による”越境思考ハック”、今日のテーマは「仮説思考の福利的効果」について。
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直近、あるプロジェクトで学生と仕事をすることを考えていて、自薦・他薦で手が挙がった学生を選抜することになった。その時に
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「聞いていいですか、仮説ってあまり今まで使ってきていない言葉なのですが、具体的にどのようなことなのでしょうか」
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という質問が出た。そして、複数の学生から同じような質問が出た。
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これには結構僕も面食らった。仮説・検証は演繹的な思考であり、何かを探求する際の基本となるやり方のひとつであり、学問に身を投じる学生が、そこから遠いところにいるということに驚いた。そして、それは今の学生だけのことではなく、自分が学生だった頃と実はあまり変わっていない、ということでもあるのかもしれない。
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僕は、人生は”解釈”と”選択(判断)”そのものだと思っている。
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今、この瞬間に目の前で繰り広げられる物事について解釈をして選択肢をいくつか手元にカードとして持ち、そのカードから何を繰り出すのか、ということを積み重ねていき、結果として時間が流れる(流れたことになる)ということについて、人はそれを人生と呼ぶ。
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そして、解釈と選択を人に任せると、それは他人の人生を生きるということになる。
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何を馬鹿な、他人に解釈と選択を委ねるなどということがあるか、と思う人がいるかもしれない。では、昨日1日の中で、解釈と選択が必要となる場面を列挙した上で、その中で自分が主体的に解釈、選択をした場面がどのくらいの割合を占めるかを書き出してみると良い。それが100%に近ければ僕は何も言うまい。
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近代から現代にかけて、世の中はどんどん便利になっている。家にいながらにして、モノや道具、娯楽や情報を手に入れることができる。それも、昔では考えられなかったような低価格で。
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そして、驚くなかれ、モノや道具、娯楽や情報は「自ら」やってくる。スマートフォンで何となくいつものアプリを開き、何となくモノや道具、娯楽や情報に触れ、消費する。その後、向こう側から自然に次に消費すべき内容が推奨され、そして「半自動的に」消費される。テレビにしても同じこと。
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それは常に「誰かの解釈」と「誰かの判断」を伴っている。
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スマートフォンであれ、テレビであれ、そこで提供される内容を何となく消費するということは、「他人の解釈と判断の中で生きる」ということになる。自分の解釈と判断を放棄した時点で、その人は自分の時間を進めて(人生を生きて)”のいない。だから、ふと気づくとあっという間に時間が過ぎたような気になる。他人の解釈と判断に身を委ねると、その時間は抜け落ちてしまう。
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また、他人に解釈と判断を委ねると、他人の現実が目の前で展開される。今、この瞬間の現実というのは無限に解釈することができる。解釈をすることで、脳に認知され、それが「その主体にとっての現実」として目の前に展開される。
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コロナウィルスにおける様々な二次情報に触れて、それを鵜呑みにして酷いことだと解釈すれば酷いことが自分の認知空間に広がり現実として再投影されて展開され、新しいチャンスだと解釈すればそのチャンスを実現するための選択肢が目の前に広がるだろう。
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では、ポイントを書いておく。
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1. 今、この瞬間に主体的な解釈と選択を行っているかを意識する
2. 視点を常識の外に置く(解釈を越境する)
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1. 今、この瞬間に主体的な解釈と選択を行っているかを意識する

今、この瞬間に意識することはなかなか難しいので、前述したように、1日の終わりに、その日を無事に過ごせたことについて感謝するとともに、解釈、選択(判断)の場面を思い出し、その中で主体的な解釈と選択が何%であったかを振り返る。余裕があれば、他人の解釈・選択に委ねた部分について、もう一度解釈・選択をしてみる。
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ただ、それだけ。後は、そのサイクルをどんどん短くしていけば、いずれ今、この瞬間にそれができるようになる。
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2. 視点を常識の外に置く(解釈を越境する)

主体的な解釈、選択を行う際に、視点を複数持つことを心がける。物事に対する視点というものは、それまでの解釈、選択の積み重ねの結果としての前提条件が固定されている。固定された条件は、自分の中での常識・規範となり、解釈をする際に自由ではなくなる。自由ではない解釈の中で選択をすると、例えそれが自主的な解釈・判断であったとしても、過去の自分に縛られたものとなる。そして、それは今、この瞬間の自分にとって、「自由に生きる」ということから離れることになる。
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国、歴史、思想、価値観、文化、言語、常識としての性別などを越えた人生を送ってきた越境者は、文字通り、ある国や歴史、思想、価値観等における常識を越えた視点に身を置いて物事を解釈し、選択するという行為を繰り返してきている。だから、彼・彼女たちは、過去の前提条件が永続するとは考えず、それも含めて、今、この瞬間に様々な視点から解釈、選択をする。結果、自由に生きることができる。
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外国人として物事を見る。異教徒として物事を見る。性的マイノリティとして物事を見る。宇宙人として物事を見ても良いかもしれない。
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とにかく、自分(自我)を越境して、その立場で物事を見て解釈をする。その結果としての選択肢を手持ちのカードとする。そして選択をする。これを意識する。1と同じタイミングで振り返る際にこのテクニックを使っても良い。
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これは他人の解釈、選択に委ねることとは違う。自分(自我)から抜け出して、越境して、物事を見ることによって、従来の(過去に基づく)自分(自我)の解釈や選択肢に、ともすると反対側にあるような解釈、選択肢を加え、そこから自主的に選択する行為に繋がる。過去の蓄積に基づく常識人と、非常識としての象徴としての越境者の解釈をぶつけ合うことにより、より良い選択をする。昔の人はこれをアウフヘーベン(止揚)と定義した。
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今、この瞬間に、どれだけ自分を越境できるか。
そうすることで、自分の人生を生きる。
そうすることで、自分の時間が流れ出す。
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#越境者 #越境ニュータイプ #越境思考


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