見出し画像

幸せになることは簡単。誰でもできるがほとんどの人がやっていないこと

次は、今朝、友人の会社の経営相談に乗っていて、彼の悩みに答えながら、色々と考えたことについて。
僕の人生は中国に行ったところで大きく変わった。そしてそれを決めたのはもちろん僕自身なのだが、NRIが当時はまだ正式に外部に提供していなかったエグゼクティブ・コーチングを受けたことがきっかけになったことは間違いない。
素晴らしいコーチであったことはもちろんなのだが、そこで印象深かったのは、感情に向き合うことだった。
人は常々理性的であろうとして、頭で物事を考えがちだが、彼女は僕に対して、考えることももちろんさせたが、その前に、ある価値判断を行う前提となる物事について、それと対峙した際の感情についてできる限り素直に表現することを求めた(僕がその時に抱いた感情は、その会議室にあった大きな家具をオフィスから投げ出して、階段か窓から捨て去る、という動作がくっついていた事は補足しておくが…)。
人は本来、その人固有の才能を持って生まれてきている。そして、その才能は発揮されることを待ち望んでいる。更に、その才能がまさに発揮されうる場面、発揮された場面で正の感情を引き起こし、それが阻害される、もしくはされた場面において反対の作用を引き起こす。理性が働くよりも速いスピードで。
誰もが経験があるだろう。何かをやろうとした時、もしくはやった後に何らかの感情が理性よりも先に沸き起こることを。「今日はやってみて良かったな」と口に出すよりも先に、身体が暖かくなったり、興奮したり、気持ち悪くなったり、寒気がしたり、そういった感覚的な反応のことだ。
それが自分の宿命であり、業を指し示す魂からの声だ。僕が今日友人に伝えたのは、物事に対峙して感情が沸き起こった時は、それが正であろうが負であろうが、その物事と対にして5秒間でも良いので”意識的になれ”というものだ。その物事と感情を対にして意識するということだ。一瞬でも構わない。とにかく、その対を時間とともに流さないこと、それを伝えた。
この声に従って生きていけば怖いことなどない。そして、不幸になることもない。実はシンプルに直感で判断して構わないってこと。僕は論理的なことをプロとして仕事としているにも関わらず、家や人を決めることを直感的に、しかも衝動的に行っていることは不思議がられたりするが、全く問題がない。マクロ的な分岐についての判断は直感に従い、ミクロは論理で実行する。幸せに生きるための秘訣はものすごくシンプルなこと。
一方でこの声に反して、負の感情であるにもその事象を受け入れて行動すると、魂と身体は離反する。離反したことを認めたくない表面的な自我は、頭で理論武装をしてその(魂の選択とは異なる)判断を正当化していく。結果として身体だけでなく、心も壊れていく。
この世の中の法則は極めてシンプル。
複雑に頭で考えるのは不健康だよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?