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疎開・帰省を含めた移動の制限について、中国の”一人っ子政策”についてのドキュメンタリーから考える

首都圏での緊急事態宣言を受けて、”コロナ疎開”とか”コロナ帰省”という動きが出てきている。特に都内に住む大学生や比較的若い母親もしくはこれから母親になっていく層など、社会的に弱い立場であり、かつその社会結びつきが弱い人々が、経済的理由や、孤独感、場合によってはそれほど深い理由も無い中で、実家に帰る動きがあるらしい。

この影響により地方で感染者が増加している。今まで感染者を出していなかった地方自治体で初となる感染者がコロナ疎開やコロナ帰省の影響によるものであることも少なくない。

更に自体は恐ろしいことになっていて、Twitterや地方系の掲示板的なものを覗くと、感染者であるかどうかに関わらず、首都圏から地方へ疎開・帰省してきた人間は村社会的な情報網により即時に特定され、インターネット上で拡散されていく。

感染者を出した場合は、その本人や家族の実名が晒され、勤務先も特定可能となっているケースも見られる。鵜呑みにはできないが、特定された感染者の実家に投石があったり、警告めいた張り紙がされているという悪質なものもあるようだ。


さて、下記のような意見もある。

日本は生ぬるいのかもしれない。様々な理由から日本は人権について強権を発動することができないようだ。結果として、上記のTweetのように歌舞伎町では呑みに出かける人も少なくない。それに対して行政は「要請」はできるが強制力はない。

高須先生のような意見もあると思う。そして、日本にいる中国人からも中国のように強権を発動し、人権を一時的に制限することによってウイルスの拡大を防ぐことをしたらどうだ、という意見も多く聞かれる。もちろん、その意見にも道理はある。が、強権発動をし、人権を制限するということはどういうことなのか、ということについて歴史から学んでおくべきかもしれない。


Amazon Prime Videoで”ONE CHILD NATION”というドキュメンタリー映画を観た。

Amazon Prime Video

1982年から35年ほど続いた中国のいわゆる”一人っ子政策”をテーマに挙げている。映画を制作したのは中国出身の女性であり、彼女も含めた制作スタッフ全員が”一人っ子”ということだ(エンドロールより)。

彼女は一人っ子政策の下、長女として生まれた。しかし、両親は女の子が生まれたことだけでは満足できず、結果として弟が生まれた。彼女は中国で幼少期を過ごす中、何かにつけ両親も含めた家族・親戚が弟を可愛がり、更に地域社会が一人っ子政策の下、2人目を生んだ彼女や家族に対して向ける普通ではない視線に傷ついて育った。

今ではアメリカ社会で暮らす彼女は、外の目線から中国の一人っ子政策についての負の側面について、当事者たちを取材していく。もちろんそこには彼女の家族・親族も含まれている。

”党の政策”として強権を発動し、それを徹底した結果として悲劇が生まれた。1人目が生まれたを本人の意思に関係なく強制的に連行し避妊手術を受けさせ、それを頑なに拒否する家を打ち壊し、家畜を取り上げる。また、家族自身も1人目に女の子が生まれたり、同様のケースで2人目にも女の子が生まれたりした場合には、街に出て子どもを捨てに行く。

捨てられた子どもは人身売買業者に1人1〜2万円程度で引き取られ、更に外国に150〜250万円ほどで養子縁組されていく。それは更にエスカレートし、2人目を生んで隠して育てた家族から行政が1人を強制的に取り上げ、”孤児として”記録し、同様に海外に売られていく。この利ざやを誰が持っていくかは自明だろう。


この映画の凄いところは、当事者たちが生の声でしっかりと話していることだ。映画の中では計画生育委員会は加害者側として捉えられるが、彼・彼女たちも個人が望んでやった訳ではない。それは”党の政策”であり”指導”であり”命令”なのだ。命令に従わなければ、どうなるか、普通の人間なら容易に想像ができるだろう。彼・彼女たちは良心の呵責にかられながらも命令に忠実に任務を遂行していく。


皆が同じことを言う。

「酷いことだった。しかし他に方法があったのか?」

と。

監督である彼女は、その現実を目の当たりにして言葉を失う。


人の権利を奪うということはこういうことだ。もちろん大陸で行われたことと今回のウイルスに対する対策について各論をすれば異なる部分はある。しかし、国が強権を発動するということは、オウム返しになるが「こういうことなのだ」。

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