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MITは廃墟の中で多くの偉大な研究成果を世に出した - Building 20が創り出したカオス -

この本を少し前に読んだ。

その少し後で自分のソーシャルネットワークの中で上記のような記事がシェアされてきた。これもまた何かの偶然。

"セレンディピティ"という言葉を知っている人も多く、感覚的に「正しい」と思っている人も多いのではないだろうか。自分は感覚的なことについては、そこでそのまま流すのではなく、統計的に確からしいかどうか、またその背後に統一的な物理的なメカニズムが働いているのではないかということを検証したくなる。

自分の人生そのものでもあるし、日頃からこういった議論をすることが増えてきたこともあって、この本を購入した。面白いこと、新しいこと、思いもつかなかったことが具現化される背後には、非日常的な要素の中における偶発的事象が起こる、すなわちカオスがベースになっているのではないかと思ったからだ

この本の中で紹介されるマサチューセッツ工科大学(MIT)にかつて存在した研究棟"Building 20"についての分析が非常に面白かった。

第二次世界大戦中に急仕上げで造られた「仮の」施設であったのだが、結果的には1998年まで現役で存続することとなったこの建物。そのかりそめの姿からは想像し難いと思われるが、現在でも有効に使われているアプリケーションの基礎となる研究が数多く行われた。そして、多くの人がこの建物の取り壊しについて今でも思いを馳せている。

建物自体は突貫工事で設計思想なども抜きに造られたもので、複雑で非効率的な造りとなっており、かつ居住した研究者たちはそれぞれのメインストリームにおける異端者ばかり。彼らは建物を自分たちの思い通りに「勝手に」改造していった。MIT側も誰もそれを咎めなかった、というより関心がなかった。

建物で誰かに会いに行こうと思えば、複雑な道を探索しながら進まなければならないし、その途中でそれまで知らなかった驚きの研究者の成果物、それは研究対象だけでなく研究室そのものであるかもしれないが、を目の当たりにすることになる。研究者は個別の専門分野の垣根を超え、好奇心で繋がり、そこからインスピレーションが生まれ、面白い、新しい、思いもしなかったもののタマゴが世の中に登場することになる。

Building 20が取り壊された後に、著名なデザイナーによって"デザイン"された新しい研究棟については賛否両論あるようだが、かつてのカオスは再現されていないようだ。誰かひとりの意図と手によってカオスを創造することは難しいということなのかもしれない。

上記で紹介したWeb記事のように、東京の電車の中で他人と話をすることを何か病原体について考えるように忌避していては、あなたの日常は凪となって、何も変わらない。ということなのかもしれない。

僕が最初に入った会社はまさにそういったカオスの坩堝だった訳だが、それはまたの機会に紹介することにして、筆を置く。

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