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中国人が子供の海外留学に6,000万円以上を投資する中で、日本人は皆カフェをつくる

自分が興味を持って行動すれば、そこには強い”引き寄せ”が働き、意図せずに興味を持った事柄が目の前に現実化する。


ここ数日、”教育”に関わる強烈な出来事が立て続けに2つ目の前で繰り広げられました。

投資先である中国のある学校法人(厳密には学校法人から運営に関する業務を委託されている法人であり、両者は同じ創業経営者)のバリューアップ施策の一つとして、日本の高等教育機関(主に大学)との業務提携、場合によっては資本提携を検討しています。

中国の学校法人は自負する訳でなく、実際に国内でも随一と言えるハードウェアとソフトウェアを兼ね備えています。授業はインターナショナルバカロレア(IB)に基づいて行われ、日本の著名な塾などを連れて行ったこともありますがその施設・設備については彼らも目をみはるほどのものがあります。卒業生たちは欧米の著名な大学へ留学するのが一般的です。

もちろんすべての卒業生たちが欧米のトップクラスの大学に進学できる訳ではありません。また親御さんの中には英才教育をさせつつも、もう少し近くて安心できるところで子供を見守りたいと考える方もいらっしゃいます。

欧米トップクラスの代替案として日本の大学が脚光を浴びているのです。日本の学校は近くて、入りやすく、そして何よりも安い。

北京市や上海市などのいわゆる一級都市部に住む中国人家庭では、欧米の大学に進学させるためにいくらくらいお金をかけるか知っていますか?

100万元です。

1元=15円換算すれば1,500万円です。この中には留学渡航費用や生活費だけでなく学費すら含まれていません。そして欧米のトップクラスに入れば、奨学金の多寡こそあれど、一般的には年間で1,500万円以上かかるのが普通です。これだけのお金を子供に対してかけているのです。子供にとっては非常に大きなプレッシャーになりますが、数千万人単位での競争が行われている以上、歩みを停めることはできません。


話を戻します。この中国の学校法人案件で、日本の最高学府のキーマンに相談しました。その場を設定して頂いた方も中国で日系企業の代表を勤める強いバックグラウンドのある方でした。

その中国人曰く、彼の友人がインターネットとスマートフォンを使った絵画アプリを開発・リリースし、月に10億円の利益を叩き出しているそうです。売上でなく利益というから驚きの数字です。

それを聞いた日本の最高学府に所属しながら自らのビジネスも行っている方曰く、「中国の方が日本よりも早く教育の改革が行われる可能性が高いですね」と。

中国の大学はすべて国立大学であり、中央政府のコントロール下にあるため、教育の改革はトップダウンで一気に進む可能性があること、中央政府も現在の中国における教科内容のインプット型の教育スタイルについて限界を認識している可能性が高いということが理由として、その場で議論されました。

日本でも文科省主導で高等教育機関の変革を主に大学入試・教育を中心として7年後を目処に実現することを目指しているそうです。ペーパーテストによる入試からAOがメインとなり、英語などの国際語学を重視し、在学中での留学やダブルディグリーなどについても積極的に取り入れる方針を採っているとのことです。

今までの優秀なサラリーマン、すなわち業務を遂行するための人間を育成するための教育から、課題を発見しリスクを採っていく人間を育成するための教育に変えていくということです。

この話、最近どこかで聞いたな、と。
そうです。武内さんによる魂の講演です。

中学生や高校生を含めて100人以上が集まったその講演。武内さんは野村證券でキャリアをスタートし、UBSやゴールドマン・サックスなど、ものすごいキャリアを歩んできた方ですが、気さくで、人間臭く、そして誰よりも人に対して優しい方です。彼と会って好きにならない人はいないと断言できます。

彼の思考や行動のベースとなっているのはリベラル・アーツ、その最高学府であるウィリアムカレッジで学び、その後行動してきたことの集大成がそこで語られたのです。場の気温が5度くらい上がったのではと思わされるほどのものすごい熱量とともに。

リベラル・アーツについての詳細を語ることはここではやめておきますが、物事を文脈、大きな法則の中における一つの枝葉として捉える力、そしてその枝葉同士を繋げて捉える力が非常に重要である、ということを語っていらっしゃいました。

古くは数学者は哲学者であり美術家であり音楽家でした

絵を描くこととビジネスで成功することは補助・補完関係になりうるのです。僕がビジネスをする傍らでロードバイクに乗り、DJをし、たまに絵を描くことは息抜きとして捉えられているかもしれませんが、そうではなくて補助・補完関係にあるのです。

他の人はどうか分かりませんが、例えば僕がビジネスについて一つの案件の部分的な事象についてチームメンバーと議論しているとします。その時に僕の頭の中には絵が描かれます

絵というのは”意図した要素を平面上に意図して配置することができる”ものです。しかも、頭の中であれば”平面”という枠を乗り越える次元を手に入れることができます。

ビジネスについて議論されている特定の要素は、その背景にある課題の構造や、その課題を生み出すに至る社会的な要素(人も含まれる)、そしてその要素を生み出してきた価値観や文化・歴史的な経緯が含まれています。その構造が一気に頭の中で絵として表現されるのです。

僕はその絵を俯瞰して、「きれいだな」とか「おもしろいな」とか思いつつ、課題となっている特定の要素が全体の中でどのような文脈で具現化されているのか、その原点に何があるのかまで一気にたどり着くことができます。びっくりされることが多々あります

武内さんの仰っていたのはこういった能力のことだと思っています。中国で絵のアプリが爆発したことも同様のことだと思っています。絵については音楽に置き換えても同じことです。中国で音楽のアプリ、誰かつくれば確実にヒットしますよ。


日本の最高学府の方、自らのお子さんの教育については、塾などには入れず徹底的に周りの学生や大人たちと接触させることをしているそうです。また、幼稚園はインターに入れていたそうですが、小学校は公立に通わせたそうです。「人生において貧しい人たちと一緒に触れ合う機会」を小さい頃に作っておきたかったことが理由です。

自然科学と社会科学の双方の側面について触れる機会を持ちつつ、そういったバックグラウンドを持つ様々な水準の人間と触れ合うことにより、自ら課題を発見し行動をする人間を生み出していく。

インターネットとSNSの負の側面は、ディープラーニングとレコメンデーションエンジンのチューニング失敗による強烈なエコーチャンバー効果です。意識をしないと、自らの抽象・具象空間が非常に狭い範囲に限定されることを強制されるということです。

僕がベンチャー界隈とか、まちづくり界隈とか、いわゆる”界隈”筋が好きではないことの理由はここにあります。職業を含めた社会的背景、教養、文化、学問、所得、そして世代についての幅があまりに狭く、会話していても全く面白く感じないのです。

調達がとか、ピボットがとか、カフェ作りたいとか…ホントに辟易

そういった教育をされてきたのです。そして、そういった教育から欧米はもちろんのこと、中国も抜け出そうとしています。そして、遅れ馳せながら日本もなんとか追従しようとしています。

生きる力を問い、行動するのがリベラル・アーツの本質。
大人が考え方を変えないと、子供が犠牲になります。
皆さん、危機感はあるのでしょうか。

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