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音と人と空間を埋める何かと濃厚接触するのが音楽の楽しさでさ…いつかまたね

いつも自宅兼オフィスで仕事するので、得体が知れないと皆が思っている何か(自体が僕にとって得体の知れない何か)がやってきても自分の生活は基本的に変わらない。

ただ、外でのミーティングが減った。なので、今まで以上に自宅オフィスにいる時間が長くなっているかもしれない(ひねくれ者なので、こういう時にこそ外出したりしてたりするんだけど)。


僕は自宅では常に音楽をかけている。

一方でそれほどオーディオに詳しい訳ではない。自宅のセッティングも自分が気持良く音楽が聴けるようにWebを適当に見ながらノリで揃えていた(友人がシンガポールに赴任するからということでそのオーディオを譲り受けたり)。

その状況を見て、僕にとってオーディオ師匠と呼ぶことができる大先輩がYAMAHAのアンプと、SONYのスピーカー、そしてDENONのCDプレーヤーを貸してくれた。

以前から使って良いよと言われていたのだが、SNSにメッセージが来て、確認したら家のドアの前に一式が置いてあったのを見たときは流石にびっくりしたが(笑)。


話が脇道に逸れた。

アンプの調子がやや悪かったことと、流石にずっと借り続けるのもと思い、自分でアンプやスピーカーを新調した。その際に腰を据えてオーディオに関する情報を自分なりに収集した。

”ピュアオーディオ”と呼ばれる分野のいわゆるベテランの方々による説明では、音質に拘るあまり、音楽本来の楽しみが軽視されているとしか感じられない世界で、強い違和感を感じると同時に、極めて日本的な文化的・社会的な影響も考えさせられた。


細かいことを挙げればキリがないんだけど、ちょうどこのことについて色々と考察していた時に、Twitterでフォロワーがリツイートして回ってきたのが下記の漫画。

素晴らしい描写だよね。リアル過ぎて、昔のことを鮮明に思い出すくらい。

僕が思う音楽はこれ。


日本人は農耕民族特有のダウンビート(表)で、欧米その他は狩猟民族由来のバックビード(裏)とか、もうそういう次の細かい議論はなぐり捨てた上で。

音楽を聴く行為ってのはそこに「楽しさ(驚きや感動も含めたアッパーなもの)」があるはずで、最初は気後れして恥ずかしかったのに、時間とともに自然に身体が揺れ動いて、まず自分の身体の各部分と共振し、そしてその場にいる全く知らない人たちの身体と共振し、いつの間にか自分がグルーヴを構成する一要素となって溶け出していく、あの感覚。楽しい感覚。僕にとっては。

この漫画、その瞬間を見事に切り取ってて神々しい。


もちろん音楽でアガるには音質も大事。でも音楽があってこその音質。僕のオーディオ師匠もこのバランスが取れている貴重な存在。だから信用してる。

僕の環境ではアナログのVinylも聴けるし、デジタルハイレゾ音源を聴くこともできる。当初はAmazon Prime Music HDと契約して他は解除した上でハイレゾ音源で聴こうかと思っていた。

しかし、DENONのネットワークプレーヤーを買ってPCの電源を入れずにiPadから気楽に世界中のFMを聴くことができる環境を手に入れた今では、世界中の様々なジャンルのFMラジオ局の番組を聴いている。そして、これらの音源は128kbps程度といわゆるデジタル音源でも「酷い」とされているものだが、全く気にならない。

なぜか?
それは様々な音楽を気軽に聴くという体験が素晴らしく楽しいから。


僕はピュアオーディオの非常に偏ったところにいる大先輩方を否定することはしない。それは楽しみ方が違うということだと思う。一方で、音楽を純粋に楽しむという行為について、もっともっと世の中に情報や体験があっても良いと思う。

業界ももう少し楽しい音楽の世界を見せる方向に行って欲しい。その発信地が今では中国だったりするから納得もすれど、寂しい気持ちにもなる。日本人はどうしても手段を重視しがちになる。結果として目的が忘れられる。この辺りは良いところと悪いところがあって、バランスなんだけど別途書き起こす。


音楽でもっと楽しみましょう。

そこには本当の自由があるから。

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