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日本企業の弱体化は”家族“の崩壊と関係が深い - 反ポリティカル・コレクト論序章として -

北京時代に大変、いや言葉にできないくらいにお世話になった中国東北人の大先輩が東京に出張されていて呼び出されて、神田の肉バルにて軽く食事をしながら近況について語り合った。

中国における日本企業からは後ろ向きの話しか出てこないと言う。ガバナンスという名前で正当化された、必要以上のコンプライアンスの話ばかりだそうだ。コンプライアンスの名の下に、日本人は本当に働かなくなったとも言っていた。

一方で、中国、日本の両国について、永続する企業や組織の 条件とは一体何なのかという話にもなった。僕が挙げた日本の代表はもちろん京都企業。任天堂、村田製作所、島津製作所、ローム、京セラ、枚挙にいとまがない。

とある本で読んだが、京都企業の特徴は、「一見さんお断り」、「家族経営」、「のれんわけ」の3点に凝縮されていると言う。

外部の人間に冷たいのではなく、内部・近しい人間には徹底的にサービスする。家族ほどコミュニケーションの頻度・密度が高い関係性は他にはなく、継続性を高いレベルで担保するためには他に優れた方法はない。一方で、スタッフがチャレンジしたいと考える場合も追い出すのではなく、あくまでも継続性の中で“分家”というかたちで緩い連帯の中で支援していく。

こういった話をしたところ、中国企業でも成功している企業は、オーナーシップを持ち、24時間365日会社のことを考え続け、誰よりも時間を捧げて働くトップを持っているという。また、ファミリー企業であるからこそ、苦しい時に“カリスマ”を登場させることができるとも言っていた。

日本はこの“家族感“の崩壊に伴い、全国総サラリーマン化が進み、結果としてサラリーマン経営者、スタッフしかいない世界になってしまったのではないだろうか。

日本と中国とを比べると家族との近さ、関係の濃さが全く異なる。中国人から言われるのは、日本人は家族に対して非常に他人行儀であり、冷たいという感想だ。近年、ポリティカル・コレクトの名の下に、日本の古い家族的価値観は悪いものとして淘汰していく論調も見られる。

リバタリアン、リベラル的価値観の導入が、個の離散化を推し進め、結果として日本という地域に住まう人々、もしくはアジアという地域に住まう人々にとっての伝統的な価値観やそれに基づく強みを削ぎ落としてしまったのではないだろうか。それを戦後支配の中でアメリカが上手くコントロールしたのだとしたら、それは非常に戦略的であり恐ろしく、そして最高に上手くいったということになるだろう。

男女平等、家族と言えども礼儀あり、聞こえは良い。しかし、生きにくい世の中の本質的課題がそこにあるかと言えば甚だ疑問だ。上記を解決して、完全に自由な世の中になった後、個は何をするのか。そこは個の力の差が明確に現れ、ウィナーテイクオールの欧米型価値観の実現された世界が繰り広げられているのではないか。

その辺り、真剣に考えて生きてますか?

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