なぜ日本人はルールをきちんと守るのか
日本人は規則(特に法律)に従順だとよく言われる。批評家・柄谷行人は『思想と地震』の中で「日本人はなぜデモをしないのか」(以降「なぜデモ」)という講演録を載せている。デモ参加を呼び掛ける柄谷については批判も多い。しかしこの講演は初期の豊かな文学性はないにしても、「なるほど日本ってそうとこあるかも!」と思ったので紹介する。
◆義務教育がある本当の理由
義務教育って意外に学者から批判されている。たとえばフランスの哲学者・ミシェル・フーコーは義務教育を、一か所に長時間座る習慣を叩きこむための制度と考えた。近代以前はゆったりした時間の中で広大な畑の仕事をしていたため落ち着きがない子でもよかったが、近代以降は工場労働のため一か所で集中して働く必要が出た。義務教育はそのためにできたというのだ。さすがに国への不信感強すぎじゃないかと思うが、ある面納得する。
柄谷は「なぜデモ」の中で政治学者・丸山眞男の著作を引用するかたちで義務教育に触れている。外国に比べても日本は義務教育の浸透がすごいそうだ。
欧米諸国は国と家庭の間に、教会という中間団体があった。この教会の権威が強かったため、国は自分たちの都合の良い「義務教育」を国民に教えられなかった。しかし日本ではヨーロッパの教会にあたるはずの寺が江戸時代に檀家制度によって骨抜きにされてしまった。中間団体の権威がなくなった日本では国の義務教育がスムーズに行われてしまったというのが丸山の指摘だ。
◆成長は早いが、主体性が希薄に
だから何なの?と思うかもしれないが、もし丸山の考えが本当だったら、日本が外国よりルールをきっちり守るということが説明できる。
日本は邪魔な中間勢力がなかったから国の意思決定が早くなり、スムーズな文明開化ができた。しかしその一方で国民は国を疑うという意識が少なくなり、規則に抵抗(デモ)することがなくなっていった。これが柄谷の意見である。
◆「なぜデモ」から何を学べるのか
こうやって見ると、左翼知識人と言われがちな柄谷が保守主義者のように見えてくる。保守主義者は、国鉄や郵政など中間団体をどんどんぶっ壊す政治家を批判し続けた。いくら癒着があろうとも、国の暴走をストップしている中間団体が必要なんだ、と彼らは言う。
柄谷も専制国家を食い止めるためには中間団体が大切だと言う。だからこそ新しい中間組織として、アソシエーション(連帯)をつくってデモしようと主張する。
「とにかくデモをしよう」という結論にはシールズに幻滅した世代として納得できないが、途中までは共感できる。柄谷行人は何作か読んできたが、後期の作品には興味が持てず手を出せなかった。偏見で夢見がちなアナーキズム言ってるのかと思ったが意外にまともだった。
ところで柄谷の弟子にあたる東浩紀が新著『訂正可能性の哲学』を出した。柄谷と東は仲が悪いが、途中まで驚くほど似ている。柄谷と東の到達点の違いについて考えるのも面白い。次回、『訂正可能性の哲学』で思ったことを書いてみたい。
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