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死と再生の年、27歳。

今月末に28歳になる。僕の憧れる人たちは27〜28歳の頃、何をしていたのだろうと興味があり調べた。


◆ピュアな27クラブ

音楽だと「天才は27歳で亡くなる」という嫌な都市伝説が見つかった。僕が学生時代にコソコソ聞いていた、カートコバーンや尾崎豊、ジムモリソンなどは27歳前後で亡くなっている。もちろん27歳を過ぎて活躍する天才歌手なんてざらにいるが、「27クラブ」とくくられるくらいアーティストの厄年のようである。

僕自身を振り返ってみると、まだ生き方を決めかねてウジウジしている。学生時代より成長したと思えるのは自分が善人ではない気付いたことくらい。(23歳頃まで自分のことを性格的に良い奴だと思っていた)。仕事でも生活でも、自分の弱さ、ずるさ、意地汚さに直面する。

「もっと楽できないものか」「なんでこいつがこんなに評価されているのか」「あんな奴どうにかなってしまえばいい」なんて軽い愚痴から、とてもここでは書けないようなどす黒い情念まで、ふと思い、それを何かに消化することもできず、会社では小さくまとまってしまっている。

ときどき嫌になるが「こんなの俺じゃない!」なんて自己否定して、純粋に生きようとしたら、27クラブの連中のように折れてしまうかもしれない。かといって「まあこれが大人っしょ」なんて自分に言い聞かせる生き方もしたくない。


◆小林秀雄はなぜ長生きできたのか

そんなとき好きな作家の小林秀雄や柄谷行人の生き方が救いになった。彼らは人一倍強い感性を武器に27〜28歳の頃、作家デビューしていた。画家のゴッホもこの年に絵を描き始めている。

しかし小林も柄谷も神経症に悩み続けた。ゴッホも下手な絵を描き始めるまでに仕事、信仰、恋愛、親子関係、やることなすこと全部挫折している。彼らは27歳のころ、一般人の何倍も自意識で苦しんでいたのだろう。逃げたいと思っていたのだろう。ではなぜ彼らは戦う道を選んだのか。


◆それも自分である

27クラブと小林秀雄らの違いは自分の内面を受けいれられたかどうかだと思う。人間27年も生きていると(まして非凡な感性もった人ならなおさら)自分が善く生きられないと痛感するのではないだろうか。

誰だって最初は「正直で純粋にかっこよく生きたい」と思っている。しかし正直に自分を見つめていけばいくほど、自分が正直ではないと知ってしまう。だがそれも自分なのだ。自己正当化とは紙一重だが決定的に違う。絶えず自分の内面の脆さに注意して、「自分はすぐ間違う」と思わなければ、すぐに堕落する。

具体例のないふわふわした話になってしまったが、自分への戒めのつもりで書いた。僕自身はただの凡人だ。それでも見せかけだけのピュアさを蹴っ飛ばし、このどうしようもなさを引き受けて、とにもかくにも目一杯生きていけば、秀雄のくるぶしくらいは考えられるかもしれない。そう自分に言い聞かせている。いずれにせよおっさん街道ばく進で生きてまいります。


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