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【世に棲む日日】司馬遼太郎を久しぶり読んでみた

司馬遼太郎の『世に棲む日日』を手に取った。
吉田松陰と高杉晋作が主人公のいわゆる「幕末もの」。

「司馬遼太郎ほど大衆に愛され、知識人から軽視されている作家はないであろう」と司馬っぽく言ってみる。

半世紀前の大衆小説が今も読まれていること自体スゴいことだが、読者層も20代から70代まで幅広い。ビジネスパーソンを中心に熱烈な信者がいる一方で、専門家からは独特の「史観」に疑問も寄せられている。

と、まあここまではよく聞く紹介。
確かに司馬の小説は、
・誇張表現が多い。
・出典がどこかわからない。
・フィクションなのか事実なのかわからない。
など論文としては致命的な箇所が多い。

ただ改めて言う必要もないが司馬は「小説家」だ。
司馬作品を出典に論文を書く人はいないし、
疑問に思った箇所は専門書を読めばいい。


◆司馬の文章の上手さ

ぼくが久しぶりに読んだ司馬遼太郎の感想は、
「めちゃくちゃ文章が上手い!」

三島由紀夫みたいな美文にあこがれていた高校時代にはわからなかったが、飾らず簡潔な文体。しかし無味乾燥というわけではなく、盛り上がる場面では情熱的になる。さすが一時代を築いた作家だと思った。(気づくの遅いよ。)

だが気になることもあった。
わかりやすすぎるのだ。
司馬の小説は難しいテーマもスラスラ読めてしまう。
読者をなんだかわかった気にさせてしまう。
しかしよくよく読んでみると、司馬は説明の難しい思想の話は巧みに回避していた。たとえば吉田松陰が自説を演説することでやくざな看守の心を打つというシーン。

「長州浪人吉田寅次郎であります」松陰は、老人が気候のあいさつをしあうようなおだやかさでいった。
「名はわかっている。なにをしたのだ」牢名主は、その罪状をききたくなったらしい。
松陰はうなずき、日本はいまほろびようとしている、とまずいった。次いで海外の情勢を説き、外夷のおそるべきことを説き、国内の防備がまったく貧弱であることを説いた。
この連中を前に、この種の硬質な内容のはなしを一時間にわたって説き、しかも咳ひとつさせずに傾聴させたというから、松陰のその才能は、まず咄にあるらしい。さらには囚人をして講説にひき入れしめたこの若者の人柄そのものの魅力もあったであろう。
司馬遼太郎.世に棲む日日(二)(文春文庫)(pp.49-50).文藝春秋.Kindle版.

この後、松陰がおおよそなにを語ったのか要約があるが、松陰の思想がなぜあらくれた人の心を打ったのかよくわからない。要約と感動はまったく別物だ。なぜ松陰は人々の心をつかめたのかという問いに、ただ「才能」としか説明されていないのだ。このような場面は散見された。


◆新聞小説の限界

思想を回避する司馬の態度はある意味しょうがなかった。司馬遼太郎の作品の多くは新聞や雑誌に載るものだった。

特に『竜馬がゆく』なんかは新聞でめちゃくちゃ読まれた。今で言えば週刊少年ジャンプの連載漫画みたいなものだろう。
毎号、毎号それなりに見せ場がなければならないし、難しい思想を何週にも渡って解説していたら読者は読んでくれない。

そんな中で動きの少ない吉田松陰を描くことは難しかっただろう。『世に棲む日日』では2巻の中盤にあっさりと退場してしまう。

吉田松陰(1830‐1859)
ぼくとそんなに年離れていない。


◆「思想」を嫌う司馬遼太郎

しかしこの態度は連載小説だったからだけでは片付かない。
そもそも司馬は松陰をそんなに好きではなかったのではないかと思う。

思想とは本来、人間が考えだした最大の虚構──大うそ──であろう。松陰は思想家であった。かれはかれ自身の頭から、蚕が糸をはきだすように日本国家論という奇妙な虚構をつくりだし、その虚構を論理化し、それを結晶体のようにきらきらと完成させ、かれ自身もその「虚構」のために死に、死ぬことによって自分自身の虚構を後世にむかって実在化させた。これほどの思想家は、日本歴史のなかで二人といない。
司馬遼太郎.世に棲む日日(二)(文春文庫)(pp.179-180).文藝春秋.Kindle版.

「これほどの思想家は、日本歴史のなかで二人といない」というのは当然皮肉だ。司馬に言わせれば思想とは「大うそ」にすぎないのだから。この箇所は作中で異質だった。とても幕末という一点の話ではなく、現代まで通ずる皮肉を言っているように読めた。

なぜ司馬はこのような発言をしたのか。
長くなってしまったので次回この辺について書いてみたい。

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