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「ユニットモデル」や「内容モデル (パラダイム) 」に対するジェンドリンの立場: G・H・ミードの時間論から見た遡及的時間

生命プロセスは事前に予測することができないというジェンドリンの発想はもうひとつの重要な発想につながります。それは、過去は現在の視点から「事後的に」見直されるという発想です。しかし、私たちは、後から発見されるはずの要素が、以前からそのままのかたちで存在していたかのような錯覚に陥りがちです。この錯覚を表したのが、彼の用語である 「単位モデル  (ユニットモデル) 」や 「内容パラダイム (内容モデル) 」です。


非ラプラス的連続

以前のブログ記事 (田中, 2024, April) でも取り上げましたが、生命プロセスがどのように進行するかは、古典物理学における決定論のように事前に予測することはできないとジェンドリンは主張しました (*1) 。そこで、彼は90年代初頭に 「非ラプラス的連続」という考え方を提唱しました。この考え方は、ラプラスの「論理的インプライング ― 単一の決められた連続」と「一つの固定的な可能性のシステム」 (Gendlin, 1991, p. 95) に対するジェンドリンのアンチテーゼです。

ここで創発するより複雑なパターンは、非ラプラス的連続である。すなわち、各ステップがインプライングの変化を推進するため、1つのステップから全シリーズを予測することはできない。 (Gendlin, 1991, p. 95)


遡及的時間

事前に予測することはできないため、過去は現在の観点から「事後的に」見直されるのだというジェンドリンの発想が生まれることになります。’80年代前半の物理学論文に戻りましょう。

このモデルはプロセスの一つであり、知識を現実のコピーとしてではなく、「展開 (explication)」として捉える概念から生まれたものである。展開において、「遡及的時間 (retroactive time) 」は異常ではなく、むしろ規則である。人は常に、以前の現象が「だった (were) 」ことを今になって主張する。 (Gendlin & Lemke, 1983, pp. 71-2)

次いで、’90年代後半の科学哲学論文では、この「だった (wereあるいはwas) 」に関する思索を次のように進めるのです。

遡及的な「だった (was)」はリニアな「だった」ではない。…遡及的な「だった」は、過去に戻るのではなく、推進するのである。私たちは、リニアな時間と遡及的な時間を含む、より複雑な時間の図式を新たに生成することができる…。 (Gendlin, 1997, pp. 394-5; 2018, p. 264; cf. ゲンドリン, 1998, p. 183)


G・H・ミードの時間論

こうした発想は、彼ののちの『プロセスモデル』で言えば、「第IV章 身体と時間」における「現在の生きることが過去をどのように変化させることができるのかについて考えることができるモデルを必要としている」(Gendlin, 1997/2018, p.64; cf. ジェンドリン, 2023, p. 109)という考え方につながります。また、この考え方は、ジェンドリンの哲学の先行研究の観点から見ると、ジョージ・ハーバート・ミードの論述に見られたものです。「過去とは現在から溢れ出たものである。過去は現在から方向づけられる」 (Mead, 1929, p. 238 [SW, 348]; cf. ミード, 2018, p. 152) というものです。

私たちが関わっている過去は、取り消し不可能であると同時に、取り消し可能でもある。私たちが絶えず発見を続けている「実在の」過去に依拠することは、少なくとも経験の目的からすれば無益である。なぜなら、その過去は、創発 (the emergent) が現れる現在と重ね合わされなければならないからである。そして、創発するものの立場から見なければならない過去は、異なった過去となるからである。 (Mead, 1932, p. 2; cf. ミード, 2018, p. 614)

しかしながら、ミードは、通常の思考においては、発見が事後的であることを忘れ、過去の出来事は元からあったものと無批判に前提した上で出来事が説明されがちであると論じます。加えて、そうした説明においては、予測不可能に現れるはずの創発性という性格が消えてしまうのだとミードは論ずるのです。

即座に提示される困難は、次のようなものである。創発するものが現れてすぐに、それを合理化しようとすることである、つまり、その出現、あるいは少なくともその出現を決定する条件が、その背後にある過去の中に見出されることを示そうとするのである。こうして、それとは無関係なものとして創発した以前の過去は、それへとつながるより把握しやすい過去へと取り込まれる。 (Mead, 1932, pp. 14-5; cf. ミード, 2018, p. 627)


「ユニットモデル」あるいは「内容パラダイム」

ミードが論ずるこうした「合理化」という我々の思考の癖は、『プロセスモデル』においてユニットモデル (単位モデル) として紹介される従来のパラダイムの前提になっていると言えるでしょう。

私たちは…私が「ユニット・モデル」と呼んでいるものにおいて、時間がどのように仮定されているかを認識する必要がある。時間1の時点で、基本的な要素のセットがすでに存在していなければならず、時間2はそれらの単なる並べ替えにすぎない。このような思考のシステムでは、何も起こらない。何かが起こったとしても、それは恥ずべきことであり、変則的なことである。 (Gendlin, 1997/2018, pp. 37-8; cf. ジェンドリン, 1998, p. 64)

しかし、こうした批判的考察は「ユニット・モデル」という用語をジェンドリンが導入する前からあり、彼の心理療法的著作の中においても論じられています。「ある時間2の出来事を、それ以前の時間1に戻って同じ断片を見つけることで説明する。時間2は、それ以前の時間からあるピースの再配置として『説明』される」 (Gendlin, 1982, p. 29) というものです。

同じ断片の再配置では変化が説明できないという批判的立場は、ジェンドリン初期の著作「人格変化の一理論」 (Gendlin, 1964) にまでたどることができるでしょう。同著の訳書で当初は「内容モデル」と訳された「内容パラダイム (content paradigm) 」の節では以下のように論じられています。

我々に言えることはただ、時間1では試験管の中身はA、Bであったが、時間2では中身はC、Dであったということにすぎない。A、B、C、D、それ自体が究極の説明概念でない場合にのみ、あるものから別のものへの変化を説明できると期待できる。パーソナリティの変化も同様である。もし究極的な説明構成概念が「内容」であるならば、これらの内容の性質の変化だけを説明することはできない。 (Gendlin, 1964, pp. 104-5; cf. ジェンドリン, 1966, pp. 47–8; 1999, pp. 171–2)

以上のように、ミードを踏まえれば、「内容パラダイム」批判から「ユニット・モデル」批判へは、用語の使い方こそ異なるものの、一貫してジェンドリンの問題意識が共有されていることがより際立つでしょう。


このような決定論の根拠としてよく引用される「ラプラスの悪魔」の原文は次の通りです。

…現在の宇宙の状態は、その前の状態の結果であり、後の状態の原因であると考えるべきである。自然を動かしているすべての力と、自然を構成している存在のそれぞれの状況を理解できる知性が一瞬でもあったとしよう。 これらの与件を分析に付すことができるほど広大な知性である。 この知性は、普遍的な身体の動きも、最も軽い原子の動きも、同じ公式の中に包含するだろう。この知性にとって、不確かなものは何ひとつなく、未来も過去と同じようにその目に映るだろう。 (Laplace, 1902, p. 4; cf. 1814/1840, p. 4; ラプラス, 1997, p. 10)


文献

Gendlin, E.T. (1964). A theory of personality change. In P. Worchel & D. Byrne (eds.), Personality change (pp. 100-48). New York: John Wiley & Sons. ユージン・T・ジェンドリン; 村瀬孝雄 [訳] (1966). 人格変化の一理論 体験過程と心理療法 (pp. 39-157) 牧書店. ユージン・T・ジェンドリン [著]; 村瀬孝雄・池見陽 [訳] (1999). 人格変化の一理論 セラピープロセスの小さな一歩:フォーカシングからの人間理解 (pp. 165-231) 金剛出版.

Gendlin, E.T. (1982). Experiential psychotherapy (draft). The Focusing Insititute.

Gendlin, E. T. (1991). Thinking beyond patterns: body, language and situations. In B. den Ouden, & M. Moen (Eds.), The Presence of Feeling in Thought (pp. 21–151). Peter Lang.

Gendlin, E.T. (1997). The responsive order: a new empiricism. Man and World, 30(3), 383–411. ユージーン・T・ゲンドリン[著]; 斎藤浩文[訳] (1998). 現代思想, 26(1), 172–201.

Gendlin, E.T. (2018). A process model. Northwestern University Press. ユージン・T・ジェンドリン[著]; 村里忠之・末武康弘・得丸智子 [訳] (2023). プロセスモデル : 暗在性の哲学 みすず書房.

Gendlin, E.T. (2018). Saying what we mean (edited by E.S. Casey & D.M. Schoeller). Northwestern University Press.

Gendlin, E.T. & J. Lemke (1983). A critique of relativity and localization. Mathematical Modelling, 4, 61-72.

Laplace, P.S. (1902). A philosophical essay on probabilities. J. Wiley. Originally published as Laplace, P.S. (1814/1840). Essai philosophique sur les probabilités (6th ed.). Mme Ve Courcier. ピエール・ラプラス [著]; 内井惣七 [訳] (1997). 確率の哲学的試論 岩波書店.

Mead, G.H. (1929). The nature of the past. In J. Coss (ed.) Essays in honor of John Dewey (pp. 235-42). Henry Holt. ジョージ・ハーバート・ミード [著]; 植木豊 [訳] (2018). 過去というものの性質 G・H・ミード著作集成:プラグマティズム・社会・歴史 (pp. 148–58). 作品社.

Mead, G.H. (1932). The philosophy of the present (edited by A.E. Murphy). Open Court. ジョージ・ハーバート・ミード [著]; 植木豊 [訳] (2018). 現在というものの哲学 G・H・ミード著作集成:プラグマティズム・社会・歴史 (pp. 606–97). 作品社.

Mead, G.H. (1964/1981). Selected writings [Abbreviated as SW] (edited by A.J. Reck). University of Chicago Press.

Tanaka, H. (2024, August). 「理想化された観察者」に対するジェンドリンの立場と「傍観者」に対するデューイの立場:新旧の物理学の見解に基づいて.

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