田中秀男 (Hideo TANAKA)

専門はフォーカシングとジェンドリンの哲学。国際フォーカシング研究所認定フォーカシング・トレーナー。Ph.D. https://focusing.org/civicrm/profile/view?reset=1&id=239&gid=14

田中秀男 (Hideo TANAKA)

専門はフォーカシングとジェンドリンの哲学。国際フォーカシング研究所認定フォーカシング・トレーナー。Ph.D. https://focusing.org/civicrm/profile/view?reset=1&id=239&gid=14

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最近の記事

Self-consciousness emerging from gestural communication (Symbolic process beginning with “animal gestures”—Gendlin and Mead: 6)

The “self” accounted for in terms of the social processG. H. Mead had the following high opinion of W. Wundt: Meanwhile, Mead criticized Wundt’s view of the self as a substance or entity that exists independently of communication with oth

    • ジェスチャーによるコミュニケーションから創発する自己意識 (“動物のジェスチャー”から始まるシンボリックプロセス — ジェンドリンとミード: 6)

      社会プロセスの観点から説明される「自己」G・H・ミードはW・ヴントを次のように高く評価しています。 その一方で、ミードは、他の個体とのコミュニケーションから独立して「自己 (the self) 」が実体として自存するというヴントの見解を批判しました。 この批判的な立場は、ジェンドリンに引き継がれました。 ジェスチャーの進化と自己意識の創発『プロセス・モデル』の「VII‐A シンボリックプロセス」の中でも、「(a)身体の見え」の節の “動物のジェスチャー ” と、「(f

      • How we know what our bodies look like (Symbolic process beginning with “animal gestures”—Gendlin and Mead: 5)

        In the section “c) Representation” in “Chapter VII-A: Symbolic Process” of “A Process Model,” Gendlin discusses the difficult question of “how I can know what my body looks like” in the context of discussing “empathy” and argues that G. H.

        • どうやって自分の身体の見え方を知るのか (“動物のジェスチャー”から始まるシンボリックプロセス — ジェンドリンとミード: 5)

          『プロセス・モデル』の「VII‐A シンボリックプロセス」の「(c)表象(リプリゼンテーション)」の節で、ジェンドリンは「共感」を論じる文脈において、「自分の身体がどのように見えるかを知ることができるのか」という難問を論じ、G・H・ミードが従来の順序を逆転させたと主張しています。 私が知る限りでは、彼の代表的著作である『精神・自我・社会』 (Mead, 1934) には、このテーマを深く論じた節はありません。しかし、それ以前の著作ではこのテーマについて論じられているようです

        • Self-consciousness emerging from gestural communication (Symbolic process beginning with “animal gestures”—Gendlin and Mead: 6)

        • ジェスチャーによるコミュニケーションから創発する自己意識 (“動物のジェスチャー”から始まるシンボリックプロセス — ジェンドリンとミード: 6)

        • How we know what our bodies look like (Symbolic process beginning with “animal gestures”—Gendlin and Mead: 5)

        • どうやって自分の身体の見え方を知るのか (“動物のジェスチャー”から始まるシンボリックプロセス — ジェンドリンとミード: 5)

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        • Philosophical background
          30本
        • Written in English
          73本
        • 『プロセスモデル』に先立つ哲学者たち
          18本
        • ジェンドリンの哲学
          74本
        • フォーカシング・ワークショップで使う話
          13本
        • 自己紹介
          8本

        記事

          Fighting does not occur in a “truncated act” (Symbolic process beginning with “animal gestures”—Gendlin and Mead: 4)

          When Gendlin uses the example of a “threat gesture” and says, “Fighting is focally implied, but fighting is not occurring,” this would correspond to what Mead calls a “truncated act”: It is thought that this “Fighting is not occurring” lea

          Fighting does not occur in a “truncated act” (Symbolic process beginning with “animal gestures”—Gendlin and Mead: 4)

          闘いが生起しない「切り詰められた行為」 (“動物のジェスチャー”から始まるシンボリックプロセス — ジェンドリンとミード: 4)

          ジェンドリンが「脅威のジェスチャー」を例に挙げて「闘いは焦点的にインプライされるが、闘いは生起していない」と言うのは、ミードが言うところの「切り詰められた行為」に相当すると思われます。 この 「闘いは生起していない 」ということが、「休止 (pause) 」という概念につながると考えられます。休止はミードの用語でいえば「抑止 (inhibition)」に相当すると思われます。 しかし、ジェンドリンに比べると、ミードは動物から人間への進化をこのように漸進的に論じることはなか

          闘いが生起しない「切り詰められた行為」 (“動物のジェスチャー”から始まるシンボリックプロセス — ジェンドリンとミード: 4)

          相手の動物がいてこその“ジェスチャー” (“動物のジェスチャー”から始まるシンボリックプロセス — ジェンドリンとミード: 3)

          ジェンドリンとミードの両者にとって、「身体の見えや音や動き」といった “動物のジェスチャー” は、それに相手の動物が反応して初めて可能になるジェスチャーなのです。他の動物がいないときに同じように手足を動かしても、のちに人間の言語へと進化するという意味での “動物のジェスチャー” とは呼べないのです。 ジェンドリンが「最初のダンス」とも呼ぶ “動物のジェスチャー” は、ジェンドリンとミードにとって具体的には次のようなものです。 いずれにせよ、 このような「身体の見えや音や動

          相手の動物がいてこその“ジェスチャー” (“動物のジェスチャー”から始まるシンボリックプロセス — ジェンドリンとミード: 3)

          “Gestures” do not exist without the other animal (Symbolic process beginning with “animal gestures”: Gendlin and Mead: 3)

          For both Gendlin and Mead, “animal gestures” such as “body looks, sounds, and moves” are gestures that are only possible when the other animal responds to them. Moving their arms and legs in the same way without the other animal cannot be c

          “Gestures” do not exist without the other animal (Symbolic process beginning with “animal gestures”: Gendlin and Mead: 3)

          The three-step “order” beginning with “animal gestures” (Symbolic process beginning with “animal gestures”— Gendlin and Mead: 2)

          “The three-step order” and MeadIn the section “(c) The order” of “VII-B Proto-Language” in “A Process Model” (APM), Gendlin briefly discusses the three-step order that begins with “animal gestures” and continues on the way to a primitive l

          The three-step “order” beginning with “animal gestures” (Symbolic process beginning with “animal gestures”— Gendlin and Mead: 2)

          “動物のジェスチャー”から始まる3段階の「順序」 (“動物のジェスチャー”から始まるシンボリックプロセス — ジェンドリンとミード: 2)

          「3段階の順序」とミード『プロセスモデル』の「VII‐B 原言語」の「(c)順序 (The order) 」の節において、ジェンドリンは、“動物のジェスチャー” から「原言語」と呼ばれる原始的な言語に至る途上の3段階の順序を簡潔に論じています。また、『プロセスモデル』では、第2段階について議論する際にミードを参照していますが、私がミードの著作を実際に読んでみた限りでは、第2段階についてはあまり詳しく論じられていないようです。 まず、ジェンドリンが提唱した3段階の順序を見て

          “動物のジェスチャー”から始まる3段階の「順序」 (“動物のジェスチャー”から始まるシンボリックプロセス — ジェンドリンとミード: 2)

          Animals don’t “express” each other (Symbolic process beginning with “animal gestures”—Gendlin and Mead: 1)

          Gendlin’s theory of “animal gestures” has its roots in the previous studies of Charles Darwin (1809–1882), Wilhelm Wundt (1832–1920), and George Herbert Mead (1863–1931). Here, I would like to focus on how Darwin’s theory of the expression

          Animals don’t “express” each other (Symbolic process beginning with “animal gestures”—Gendlin and Mead: 1)

          動物たちは「表現」し合わない (“動物のジェスチャー”から始まるシンボリックプロセス — ジェンドリンとミード: 1)

          “動物のジェスチャー” に関するジェンドリンの理論は、チャールズ・ダーウィン (1809-1882) 、ヴィルヘルム・ヴント (1832-1920) 、ジョージ・ハーバート・ミード (1863-1931) の先行研究にそのルーツがあります。ここでは、ダーウィンの情動表現理論が後の世代にどのように批判されたかに着目したいと思います。 『プロセスモデル』の「VII‐A シンボリックプロセス」には、「(e)表現」という皮肉めいたタイトルの節があります。この節で最終的に論じられてい

          動物たちは「表現」し合わない (“動物のジェスチャー”から始まるシンボリックプロセス — ジェンドリンとミード: 1)

          「アジアの純真」 (PUFFY) の歌詞、気になってたんで

          「アジアの純真」 (PUFFY) の歌詞、気になってたんで

          時差に正確な「朝のリレー」

          詩人の谷川俊太郎さんがお亡くなりになったとのこと。 鉄腕アトムの作詞で有名ですが、私としては子供のころ教科書に載っていた「朝のリレー」という詩を思い出します。「経度から経度へ」と「朝をリレーする」というのは、コロナ禍以降にzoomで時差を越えて会話するようになってからというもの、よりリアルに感じたものです。 詩には門外漢の私ですが、おそらく韻を踏む心地よさが命なのだろうし、それに想像力の賜物なので、あくまでフィクションとして読めばいいものと思っていました。例えば、歌の歌詞

          時差に正確な「朝のリレー」

          「共感的理解」を必ずしもともなわないリフレクション (伝え返し)

          カール・ロジャーズとその後継者が築いたオーソドックスなパーソンセンタード・アプローチ (PCA) のトレーニングを受けたセラピストと傾聴の練習会を共にしたことがあります。私が聞き手を担当したセッションのあと、次のようなコメントをいただいたことがありました。「フォーカシングの人たちって、特定のワードやフレーズをリフレクションするんですね。PCAではそれはあんまりないかなあ」。なかなか自分自身では見えないフォーカシング的傾聴の特徴を傍から指摘してもらったことは、私にとって大きな刺

          「共感的理解」を必ずしもともなわないリフレクション (伝え返し)

          だいたいこんな距離

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