田中秀男 (Hideo TANAKA)
最近の記事
Self-consciousness emerging from gestural communication (Symbolic process beginning with “animal gestures”—Gendlin and Mead: 6)
The “self” accounted for in terms of the social processG. H. Mead had the following high opinion of W. Wundt: Meanwhile, Mead criticized Wundt’s view of the self as a substance or entity that exists independently of communication with oth
ジェスチャーによるコミュニケーションから創発する自己意識 (“動物のジェスチャー”から始まるシンボリックプロセス — ジェンドリンとミード: 6)
社会プロセスの観点から説明される「自己」G・H・ミードはW・ヴントを次のように高く評価しています。 その一方で、ミードは、他の個体とのコミュニケーションから独立して「自己 (the self) 」が実体として自存するというヴントの見解を批判しました。 この批判的な立場は、ジェンドリンに引き継がれました。 ジェスチャーの進化と自己意識の創発『プロセス・モデル』の「VII‐A シンボリックプロセス」の中でも、「(a)身体の見え」の節の “動物のジェスチャー ” と、「(f
How we know what our bodies look like (Symbolic process beginning with “animal gestures”—Gendlin and Mead: 5)
In the section “c) Representation” in “Chapter VII-A: Symbolic Process” of “A Process Model,” Gendlin discusses the difficult question of “how I can know what my body looks like” in the context of discussing “empathy” and argues that G. H.
どうやって自分の身体の見え方を知るのか (“動物のジェスチャー”から始まるシンボリックプロセス — ジェンドリンとミード: 5)
『プロセス・モデル』の「VII‐A シンボリックプロセス」の「(c)表象(リプリゼンテーション)」の節で、ジェンドリンは「共感」を論じる文脈において、「自分の身体がどのように見えるかを知ることができるのか」という難問を論じ、G・H・ミードが従来の順序を逆転させたと主張しています。 私が知る限りでは、彼の代表的著作である『精神・自我・社会』 (Mead, 1934) には、このテーマを深く論じた節はありません。しかし、それ以前の著作ではこのテーマについて論じられているようです
マガジン
記事
Fighting does not occur in a “truncated act” (Symbolic process beginning with “animal gestures”—Gendlin and Mead: 4)
When Gendlin uses the example of a “threat gesture” and says, “Fighting is focally implied, but fighting is not occurring,” this would correspond to what Mead calls a “truncated act”: It is thought that this “Fighting is not occurring” lea
闘いが生起しない「切り詰められた行為」 (“動物のジェスチャー”から始まるシンボリックプロセス — ジェンドリンとミード: 4)
ジェンドリンが「脅威のジェスチャー」を例に挙げて「闘いは焦点的にインプライされるが、闘いは生起していない」と言うのは、ミードが言うところの「切り詰められた行為」に相当すると思われます。 この 「闘いは生起していない 」ということが、「休止 (pause) 」という概念につながると考えられます。休止はミードの用語でいえば「抑止 (inhibition)」に相当すると思われます。 しかし、ジェンドリンに比べると、ミードは動物から人間への進化をこのように漸進的に論じることはなか
相手の動物がいてこその“ジェスチャー” (“動物のジェスチャー”から始まるシンボリックプロセス — ジェンドリンとミード: 3)
ジェンドリンとミードの両者にとって、「身体の見えや音や動き」といった “動物のジェスチャー” は、それに相手の動物が反応して初めて可能になるジェスチャーなのです。他の動物がいないときに同じように手足を動かしても、のちに人間の言語へと進化するという意味での “動物のジェスチャー” とは呼べないのです。 ジェンドリンが「最初のダンス」とも呼ぶ “動物のジェスチャー” は、ジェンドリンとミードにとって具体的には次のようなものです。 いずれにせよ、 このような「身体の見えや音や動
“Gestures” do not exist without the other animal (Symbolic process beginning with “animal gestures”: Gendlin and Mead: 3)
For both Gendlin and Mead, “animal gestures” such as “body looks, sounds, and moves” are gestures that are only possible when the other animal responds to them. Moving their arms and legs in the same way without the other animal cannot be c
The three-step “order” beginning with “animal gestures” (Symbolic process beginning with “animal gestures”— Gendlin and Mead: 2)
“The three-step order” and MeadIn the section “(c) The order” of “VII-B Proto-Language” in “A Process Model” (APM), Gendlin briefly discusses the three-step order that begins with “animal gestures” and continues on the way to a primitive l
“動物のジェスチャー”から始まる3段階の「順序」 (“動物のジェスチャー”から始まるシンボリックプロセス — ジェンドリンとミード: 2)
「3段階の順序」とミード『プロセスモデル』の「VII‐B 原言語」の「(c)順序 (The order) 」の節において、ジェンドリンは、“動物のジェスチャー” から「原言語」と呼ばれる原始的な言語に至る途上の3段階の順序を簡潔に論じています。また、『プロセスモデル』では、第2段階について議論する際にミードを参照していますが、私がミードの著作を実際に読んでみた限りでは、第2段階についてはあまり詳しく論じられていないようです。 まず、ジェンドリンが提唱した3段階の順序を見て
Animals don’t “express” each other (Symbolic process beginning with “animal gestures”—Gendlin and Mead: 1)
Gendlin’s theory of “animal gestures” has its roots in the previous studies of Charles Darwin (1809–1882), Wilhelm Wundt (1832–1920), and George Herbert Mead (1863–1931). Here, I would like to focus on how Darwin’s theory of the expression
-
-