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ジェンドリンの「インタラクションファースト (相互作用が最初にある)」とデューイの「トランザクション (取引作用)」

ジェンドリンは多くの著作で「インタラクション (相互作用)」という用語を使っていますが、『プロセスモデル』 (Gendlin, 1997/2018) では「インタラクションファースト (相互作用が最初にある) 」という用語を使っています。なぜ 「相互作用 (インタラクション) 」だけでは彼の言いたいことが十分に伝わらず、「最初にある (ファースト)」を加える必要があると彼が感じたのか、その歴史的背景を概説しました。


古典的プラグマティズムにおける「相互作用」

ジェンドリンは『プロセスモデル』の中で、「身体と環境との相互作用」について論じていますが、これはジョン・デューイやジョージ・H・ミードの「有機体と環境との相互作用」の議論から徐々に彼の哲学に発展していったものと思われます。

デューイが有機体と環境との相互作用についてどのように論じていたかを具体的に見てみましょう。

生命とは、有機体と環境が一体となった機能、すなわち包括的な活動をさす。反省的に分析することによって初めて、生命は、外的条件 — 呼吸される空気、摂取される食物、歩かれる地面 — と、内的構造 — 呼吸する肺、消化する胃、歩く脚 — とに分解される。 (Dewey, 1925/1929, p. 9 [LW 1, 19]; cf. デューイ, 2021, p. 14)

この文面からは、反省的分析以前には、まず呼吸・摂取・消化・歩行などの生命活動があり、二次的に空気と肺へ、食物と胃へ、地面と脚へと分解されるのだという順序で論じられていることが分かります。ここで否定されているのは、外的条件と内的構造が予め独立自存しており、その後で双方向に影響を与え合うという発想です。そうではなく、デューイの盟友だったミードが次のように簡潔に述べているように、有機体と環境は互いをなくしては元々成り立たない相互依存の関係にあるのだと言えるでしょう。

有機体は…ある意味、環境に責任を負っている。そして有機体と環境は互いを決定し、その存在を相互に依存しているのだから、生命プロセスを適切に理解するためには、両者の相互関係の観点から考えなければならないということになる。 (Mead, 1934, p. 130; cf. ミード, 2018, pp. 335–6; 2021, p. 139)

このような環境との相互作用の視点は、『体験過程と意味の創造』 (Gendlin, 1962/1997) が公刊される前に、ジェンドリンがシカゴ大学の「カウンセリングセンター・ディスカッションペーパー」に寄稿した論文「関係のプロセス概念」 (Gendlin, 1957) に見ることができます。

有機体は…環境の中で、環境との相互作用の中で生きている。したがって、生理的、情動的、心的プロセスは、環境と相互作用している、あるいは環境に向かっている。 (Gendlin, 1957, p. 23)

当時のジェンドリンは、環境と相互作用するものを身体ではなく有機体と呼んでいました。その点で、デューイやミードの用語法をまだ彼は保持していたと言えるでしょう。


「相互作用」という用語の不十分さ

以上のように、「相互作用」はデューイの哲学の基本概念でした。しかし晩年、デューイは「相互作用 (interaction)」という語に含まれる “inter-” という接頭辞に不満を持つようになりました。

残念なことに…常識的な区別に、特別な哲学的解釈が無意識のうちに読み取られてしまうことがある。そうなると、有機体と環境は独立したものとして「与えられた」ものであり、相互作用は最終的に介入する第三の独立したものであるかのように思われてしまう。 (Dewey, 1938, p. 33 [LW 12, 40]; cf. デューイ, 1968, p. 423; Schoeller & Dunaetz, 2018, p. 135)

用語法に対するこうした不満は、のちのジェンドリンも共有しています。

相互作用が最初である (Interaction is first) ― それが…端的に示す方法なのである。実在そのものを相互作用のプロセスとした方がよい。interという接頭辞でさえも、2つのものが先行することを前提としている。しかし、もし私たちが現実の仮定について無邪気でないなら、なぜ現実はまず別々に存在し、それから初めて相互作用する空間上のもののようでなければならないという単純な仮定を持ち続けるのだろうか? (Gendlin, 1993, pp. 5–6)

...私たちにはまず少年と少女とがいなければならないようである。そうすれば、彼らは相互作用できるのだという。私たちは相互作用が最初にあることはできないようなのである。「相互作用 」という言葉は、あたかも最初に2つがあって、それから初めて “inter-” があるかのように聞こえる。私たちはまず2つの名詞を必要とするようである。 (Gendlin, 1997/2018, p. 31; cf. ジェンドリン, 2023, p. 52)


デューイの代替用語、「トランザクション (取引作用)」

最晩年のデューイは、インタラクション (interaction)の代わりに、「トランザクション (transaction)」という言葉で自身の言いたいことを表現しました。

セルフアクション: 事物がそれ自身の力で作用していると見なされる場合。
インタラクション: 事物が因果的な相互接続の中で事物に対して均衡を保っている場合。
トランザクション: 作用の局面や様相を扱うために用いられる記述や命名のシステムであり、「要素」や、切り離し可能または独立していると推定される「実体」、「本質」、「現実」に最終的に帰属させることなく、また、切り離し可能であると推定される「関係」をそのような取り外し可能な「要素」から切り離すことなく行われる場合。 (Dewey & Bentley, 1949, p. 108 [LW 16, 101-2])

「トランザクション」という言葉は本来、商業における取引を意味します。

借り手は貸し手がいないと借りることができず、貸し手は借り手がいないと貸すことができない。貸し借りは、実際に起こっている事柄である十分な法的商業システムのより広範な取引においてのみ識別可能なトランザクション [取引] なのである。 (Dewey & Bentley, 1949, pp. 133–4 [LW 16, 126])

…貿易や商取引…によって、参加者の一方が買い手であり、他方が売り手であると規定されるのだ。それぞれが従事しているトランザクション [取引] の中でなければ、またそれゆえに、買い手としても売り手としても存在しないのである。 (Dewey & Bentley, 1949, p. 270 [LW 16, 242])

つまり、まず「取引」という活動があり、二次的に貸し手と借り手とに、もしくは、売り手と買い手とに割り振られるという発想です。


ジェンドリンの代替用語、「インタラクションファースト (相互作用が最初にある)」

ジェンドリンはデューイの言い換えをそのまま採用したわけではありません。しかし、「相互作用」という言葉を彼流に言い換えて、それに「最初にある (first)」という言葉を加えることによって、不十分な点を改善しようとしたのです。

相互作用が最初である―これがこの点を端的に表している。実在そのものを相互作用のプロセスにしたほうがよいのだ。 (Gendlin, 1993, p. 5)

構造体としての身体を形成するプロセスは、まず身体-環境の相互作用であって、二つの事物になりうる前のことなのである。 (Gendlin, fair copy, p. 6; 2012, pp. 146–7; 2018, p. 117)

これはもちろん奇妙な言葉の使い方である。この 「相互作用」は、二つの別個の事物が相互作用するために最初に出会うことに先立つものである。私はこれを「インタラクションファースト (相互作用が最初にある) 」と呼んでいる。(Gendlin, fair copy, pp. 24–5; 2012, p. 163; 2018, p. 135)

これにより、『プロセスモデル』において、予め独立自存した二人が双方向で作用し合うというのとは異なるかたちの発想自体はデューイを継承するのです。

あなたが私に影響を与えるとき、あなたはどうなっているかというと、それはすでに私の影響を受けているのであり、普段の私ではなく、あなたと生起する私の影響を受けているのだ。 (Gendlin, 1997/2018, p. 31; cf. ジェンドリン, 2023, p. 53)


おわりに

環境との相互作用という考え方は、大学院生であったジェンドリンの頭の中にはすでにありましたが、十分には発展していませんでした。その後、デューイの発想を受け継ぎながら、ジェンドリンは「相互作用が最初にある (インタラクションファースト) 」という独自の概念を生み出しました。こうして彼は、「生命活動が最初にあり、身体と環境との区別は二次的なものである」という考え方を徹底的に推し進めたのです。


文献

Dewey, J. (1925/1929). Experience and nature (2nd ed.). Open Court. Reprinted as Dewey, J. (1981). The later works, vol. 1 [Abbreviated as LW 1]. Southern Illinois University Press. ジョン・デューイ [著]; 栗田修 [訳] (2021). 経験としての自然 晃洋書房.

Dewey, J. (1938). Logic: the theory of inquiry. Henry Holt. Reprinted as Dewey, J. (1986). The later works, vol. 12 [Abbreviated as LW 12]. Southern Illinois University Press. ジョン・デューイ [著]; 魚津郁夫 [訳] (1968). 論理学 : 探究の理論  上山春平 [編] パース ; ジェイムズ ; デューイ (pp. 389-546).

Dewey, J. & Bentley, A.F. (1949). Knowing and the known. Beacon Press. Reprinted as Dewey, J. (1989). The later works, vol. 16 [Abbreviated as LW 16]. Southern Illinois University Press.

Gendlin, E.T. (1957). A process concept of relationship. Counseling Center Discussion Paper (The University of Chicago), 3 (2), 22-32.

Gendlin, E. T. (1962/1997). Experiencing and the creation of meaning: A philosophical and psychological approach to the subjective (Paper ed.). Northwestern University Press. ユージン・T・ジェンドリン [著]; 筒井健雄 [訳] (1993). 体験過程と意味の創造 ぶっく東京.

Gendlin, E.T. (1993). Human nature and concepts. In J. Braun (Ed.), Psychological concepts of modernity, (pp. 3–16). Praeger/Greenwood.

Gendlin, E. T. (1997/2018). A process model. Northwestern University Press. ユージン・T・ジェンドリン [著]; 村里忠之・末武康弘・得丸智子 [訳] (2023). プロセスモデル : 暗在性の哲学 みすず書房.

Gendlin, E.T. (2012). Implicit precision. In Z. Radman (Ed.), Knowing without thinking (pp. 141–66). Palgrave Macmillan.

Gendlin, E.T. (2018). Saying what we mean (edited by E.S. Casey & D.M. Schoeller). Northwestern University Press.

Mead, G. H. (1934). Mind, self, and society: from the standpoint of a social behaviorist. (edited by C.W. Morris). University of Chicago Press. ジョージ・ハーバート・ミード [著]; 植木豊 [訳] (2018). 精神・自我・社会. G・H・ミード著作集成:プラグマティズム・社会・歴史 (pp. 199–602). 作品社. ジョージ・ハーバート・ミード [著]; 山本雄二 [訳] (2021). 精神・自我・社会. みすず書房.

Schoeller, D. & Dunaetz, N. (2018). Thinking emergence as interaffecting: approaching and contextualizing Eugene Gendlin’s Process Model. Continental Philosophy Review, 51, 123–140.

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