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【21世紀の学び方】東洋思想編

東洋思想とは?

東洋思想は、色々あるとは思いますが、まずは入りとして、田口 佳史さんが東洋思想として定義している「儒教、仏教、道教、禅仏教、神道」の5つについて理解を深めることを東洋思想を学ぶと定義したいと思います。
それぞれについては、別のページで学びの実践の詳細をまとめていきます

東洋哲学を学ぶ意義とは?

文化というのは、様々な影響を取り込みながら形成されていくものだと考えています。20世紀のグローバル化(西欧化)、資本主義の時代は終わりを迎えようとしています。少なくとも様々な歪が出てきている。今後21世紀はよりインターナショナルな(多様性のある)社会になっていくとすると、日本人として、「日本文化」とは何かを学ぶことは意義があると思います。

儒教について

現時点では、初学者の私としては儒教=論語を学ぶことと理解しています

【なぜ学ぶのか?】
2021年の大河ドラマでもあった渋沢栄一は「論語とそろばん」を書いておりますが、そこに入っている「論語」も儒教という東洋思想の1つです。

論語について別記事を書きましたので、実際に学んだ見た感想はこちらをお読みください

仏教について

?歎異抄?

【なぜ学ぶのか?】
例えば、なぜ、仏教が理由で戦争(争い)になることがすくないのでしょうか?

①一神教ではないから
一神教であれば解釈違いは許されないので対立につながりやすいですが、仏教は多種多様な宗派が共存しえます。

一神教というのは、ただ一つの神しか認めない宗教。なぜそうなったかというと、キリスト教もイスラム教も元々は砂漠で生まれた宗教。たとえばオアシスを求めて歩くとき、判断が間違えば全員死亡ですので、全員の意思を統一する必要があります。そのため異論を許さない厳しい宗教になったと言われています。逆に仏教は温暖な地域で生まれた宗教です。そのため教義はゆるやかであり、またM&Aで他の宗教を取り込みながら拡大したため、多様な教義になった可能性があります

②殉教の概念がないから
キリスト教には殉教の概念があり、イスラム教にも異教徒との戦いとしてジハードの概念があります。ところが仏教にはそれに相当する概念がないため、異教徒との戦いを推奨する教義がありません。そのため、もし戦争が起こっても宗教を前面に出す理由がありません。

③実は戦争が起こっているが、マイナーな扱いであるから
とはいえ、仏教にも狂信的な連中や原理主義者も存在します。有名なところでは、スリランカのタミル・イーラム解放の虎とか。あとはオウム真理教も、国際的に見れば仏教系テロ集団のひとつです。ところがこれらは国内での活動にとどまり、国際的な問題になることが少ない

道教について

道教は老荘思想、下山の哲学

【なぜ学ぶのか?】
20世紀に主勢であった資本主義も、20世紀末には本質的に成長を求めすぎてしまう資本主義の難しさが顕著に。高齢化が進む日本においては、"下山の哲学”も大切だと考えられっる

禅仏教について

禅は実践の哲学。

【なぜ学ぶのか?】
書道・茶道などにも影響を与えている
マインドフルネスのベースも禅仏教

神道について

神道とは、日本人の自然観とそれに対する敬意の念に起因する日本固有の様々な神様を信仰する多神教と理解しています。アミニズムや八百万の神の信仰といってもいいかもしれません。

神道を学ぶにあたっては、伊勢神宮と出雲大社の関係もおさえておきたいところです。八百万の神が出雲にあつまる神在月(旧暦の10月、現在では11月)に関連して、10月を神無月と呼ぶのはこれに関連しております。

【なぜ学ぶのか?】

また、ここからは私見がさらに多分に入りますが、神道を学ぶことを出雲大社に集まる八百万の神の「考え方」について理解を深めることだとすると、トイレの神様という存在をなぜ日本人は信じるのか?ということになるのですが、それは、「縄文時代」を学ぶことにつながっていくと考えられます。縄文時代は紀元前14,000頃~300年頃の日本における狩猟・採集・初期農耕を一定度の定住によって形成された土器文化で、特に後半期の紀元前3000年頃以降は世界では帝国が成立しだい、文明がどんどん出てきた時期です。日本はその間も、豊かな山・海などの自然に恵まれていたために自然と共存していくという生き方を長く過ごすことができたため独特の文化(縄文文化)が形成された可能性があると考えられます。この自然との共存、一定度の定住というのは、21世紀のSDGsやロケーションフリー(リモートワーク)と通じるものがないでしょうか?なので、このようなフレームで縄文時代の文化、八百万の神(神道)を捉え直し学ぶことは意味があると考えられます。そして、これは人間がすべてをコントロールできると信じ、自然との「戦い」を繰り広げてきたというコンテキストでは、弥生時代以降の農耕、帝国、産業革命と大きな発展を遂げたにも関わらず何かが違うんじゃないか?1970年に日本で「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、77か国が参加し、終戦25周年記念として開催された万国博覧会のメインオブジェに吸えられた太陽の塔は、縄文土器から発想を得ているのは偶然ではないという考え方もあると思います。

神道の学び方としての野遊びと縄文文化

じゃ、どうやって実際に「神道」を学べばいいの?となりますが、個人的には2つの切り口を提案したいと思います


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