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儒教を学ぶ: 論語読みの論語知らず

自称、学び方のプロの堀場英雄です。今回は、東洋思想の中の1つである儒教、つまり論語についてです。

論語って何?学ぶ意味は?

"東洋を知るには儒教を知らなければならない。儒教を知るには孔子を知らなければならない。そして孔子を知るには「論語」を知らなければならない" 

下村 湖人. 現代訳 論語より (Japanese Edition)

そうなんです。論語は東洋思想の重要なピースの1つ。そして恥ずかしながら、孔子と論語と儒教の関係がチンプンカンプンな私が論語を通読してみました。

明治維新にいたるまでの約千五百年間に、儒教は仏教と相並んで(仏教の伝来は儒教に遅れること約二百年)国民生活を支配する最大の精神的基調をなしていた。「論語」は、階級の上下をとわず、文字を知る国民の多数に読まれるようになり、その影響力は、徳川時代以後文字を知らない国民の家庭生活や社会生活にまで及び、「論語」をはなれては、国民の道徳生活を語ることが出来ない観さえ呈するにいたった。

下村 湖人. 現代訳論語 (Japanese Edition)

論語ってずーっと日本で読まれて来てたってことですよね。しかし、明治以降の西欧化で一気に廃れてしまった…とのこと。(でもですね、こういうずーーっと1500年もあったことというのは色々なところに根付いていて消えないんです。だからこそ今一度学ぶ価値があると思います)

実際に読んだ本と読み方について

論語を読むにあたった書籍は2冊
1冊目は、すでに引用もしている"現代訳論語 - 下村 湖人"
こちらは論語について理解を含める参考に
もう一冊は、実際に読んだ"論語 (ちくま文庫) - 齋藤孝"
本文(漢文)・読み下し文・訳文の3セットになっていることと齋藤さんの本が好きなのでこちらにしました。

実際の読み方ですが、これももう下村さんのアドバイス通りにまずは言われたとおりやってみました(この考えとても感銘を受けました)

論語を読むための重要な二点の心得
一、「論語」の言葉のあるものは、今日のわれわれの時代においては、文字どおりに受け容れられるものではなく、また強いて受け容れようとしてはならない
二、だからといって、「論語」をただちに時代錯誤の書として早計にすててしまってはならない

しかるに、
今日から見て少しでも時代錯誤だと思われる表現があったら、それをも遠慮なく消し去って見るがいい。そのあとに何も残らないかというと、むしろわれわれは残るものの多きにおどろくであろう。しかも、それらはすべて古今を貫き東西を貫く普遍の真理でありうるのではないか?

下村 湖人. 現代訳論語 (Japanese Edition)

こんな風に論語を語ってみたくないですか??しびれるわぁ〜。
それでは、実際に私が個人的に刺さった論語を抜粋してみたいと思います!

2021年 第一回目 抜粋

学而(八): 無友不如己者 "己れに如かざる者を友とすること無かれ"
                 →自分よりも劣った者を友にはしないように

為政(三): 道之以徳、齊之以禮、有恥且格 "之れを道びくに徳を以ってし、
     之れを斉(ととの)うるに礼を以ってすれば、恥じ有りて
                 且つ格(いた)る"
                  →(刑罰でなく)徳と礼で導けば民は恥を知り正しい行いをする

里仁(十二): 放於利而行、多怨 "利によりて行えば、怨み多し"
      →自分の利益ばかり考えていると、恨まれることが多い

雍也(十二): 今女畫 "今女は画(かぎ)れり"
     →自分で限界を設定し、諦めてしまっている 

雍也(二十): 知之者不如好之者、好之者不如楽之者
                     "之れを知る者は之れを好む者に如かず、之れを好む者は
      之れを楽しむ者に如かず"
     →スキルがあるより好きである事、更に楽しむ事が最良

顔淵(二): 己所不欲、勿施於人 "己の欲せざる所を、人に施す勿かれ"
                 →自分が望まいないことを、人にはしない

衛霊(二一): 君子求諸己、小人求諸人 "君子は諸れを己に求め、
      小人は諸れを人に求む"
                    → 君子は事の責任を自分に求め、小人は他責となる

(参考)論語の構成について

基本的には、各編は、断片的で、何を主張しているのか不明
第一〜七編は仁について
学而第一(十六): 学問する楽しさを述べ、さらに学問への招待
為政第二(二四): 最初と最後に政治に関する言葉、政治を主題に編纂?
八佾第三(二六): 礼楽の制度の論議
里仁第四(二六): はじめの言葉の「里仁」を篇名
公冶長第五(二七): 歴史上の人物、当世の政治家、弟子など孔子の人物論
雍也第六(二八): 基本的に、公冶第五の続編
述而第七(三七): 孔子自身が自己の学行について語った言葉が中心
泰伯第八(二一): の泰伯をたたえた言葉に始まる。第一章と対照をなす
子罕第九(三〇): 孔子の自叙を中心とし、夫子の行いを記録した述而篇の補遺
郷党第十(十八): 「論語」のなかでは例外で、孔子の行動の記録が主体
先進第十一(二五): 弟子を先進(先輩)と後進(後輩)の二群に分けて記述
顔淵第十二(二四): 顔淵と孔子との仁の問答によって始まる
子路第十三(三〇): 特別の主題を見つけ出すことは難しい編
憲問第十四(四七): 「論語」のなかでの最長篇である.従って内容も雑多
衛霊公第十五(四一): 孔子の短い言葉を収め、内容は憲問篇よりさらに雑多
李氏第十六(十四): 長文の章だが、歴史的現実性はかなり問題視されている
陽貨第十七(二六): 短いが感覚的で新鮮で尖鋭な表現をとった金言を含む
微子第十八(一一): 孔子をおめでたい人物として戯画化、老子学派の影響濃い
子張第十九(二五): 斉学の伝承。弟子・孫弟子による発展・伝承過程を記す
堯曰第二十(三): 孔子が最も語る事を好まなかった「天命」の古代伝承を説明
計 四九九 編
全二十編の編纂の意図は?も、一部解説あり、そちらを参照


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