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お祭りの始め方教えてくれませんか?

お祭りってどうやって生まれてきたの?

お祭りの始まり方について、ずっと考えてます。

「そんなこと考えたって一銭にもならんで」とか
「なんとなくや、祭りの始まりなんて」とか
「祭りの始まり?そんなのノリや、ノリや」いうご意見もおありかと思いますが

お祭りの作り方、始め方。

わかりたくて気が狂いそうです。(笑)

お祭りと言っても、私が大好きな〇〇映画祭とか音楽フェスとかエンタメ的なものでも、興味を持っている地域活性化や観光促進のためのイベント的なものでもありません。

ここで言うお祭りは、地域に根差したいつ始まったかもわからないような伝統的な意味でのお祭りです。青森のねぶた祭りや京都の祇園祭もそうですが、名前はないけれど大昔からずっと続いているお祭りは世界中にはたくさんあります。

ですが、現代になって始まったお祭りはありません。と思います。

少し前に私は、現代人は「神話を編み出す能力」や「社会を動かすような大きな影響力をもった物語」を作り出す能力を失ってしまったと書きましたが、お祭りを生み出す能力も失ってしまったのでしょうか?

現代人のお祭り生成能力の有無の問題はともかく、お祭りの発生の仕組みがわからないので、とりあえず


頭の中でとりあえずお祭りを始めてみる

お祭りの始まりのイメージ by DALL·E 3

満天の星だが、海面を照らしているのは太陽とも月とも見える、薄気味悪い空。

とある海辺。原始時代なのか古代なのかはわからぬが、人々は布切れを身にまとっている。

人々が焚火を囲って、踊っている。焚火のまわりでは数人で小さな輪を作って何やら語り合っている。焚火に近づいてみると、体格のいい男が火に薪を投げている。焚火の少し離れたところでは、女性が目を静かに閉じて手を合わせている。その女性の背中に子供がもたれかかる。

焚火が燃える音が耳をつく。少し耳を澄ますと波打ち際から海の音が、ゆっくりと聞こえてくる。

☆☆☆

食料を求めて険しい山を越えてようやくたどり着いたこの海の集落は魚が豊富で、山の向こうからの外敵が来ない恵まれた環境だ。

しかし、海と山の間のわずかな土地に住み着いた人々は時より襲ってくる嵐に恐れを抱いている。嵐は簡単にこの集落を飲みこんでしまうからだ。

ある男が「海の神を呼ぶんだ。海の神が我々を嵐から守ってくれる」と言う。
男の弟が「海の神はどうすれば来てくれるの?」と兄に聞く。
兄「火をたくのだ、そして火に歓喜の祈りを捧げるのだ」
弟「歓喜の祈り?」
兄「火の熱を全身で受け、心の歓喜を全霊で燃やし、踊ればいい。その歓喜のもとに海の神は神は必ず訪れ、我々を守ってくれる」
弟「お兄さん、」と兄に真剣な眼差しを向ける。

この兄弟は船使いができ、魚捕りの名人で、集落の人々ための魚のほとんどを兄弟が収穫している。この兄弟への集落の信頼は厚かった。

☆☆☆

兄は海の変化、波の変化、風の変化、日の変化をよく知っていた。

嵐など来るはずないと誰もが思う穏やかな日。

兄が突然「明日嵐が来るぞ」と言う。
弟「集落のみんなを呼んできます!」

このお祭りにまつわるシーンは私の勝手な想像ですが、決して邪な気持ちはなく、神聖なる儀式だったに違いないと思って作ったものです。そこでは神話(神を召喚する物語)を心に思い描く者もあったかもしれないし、自然の怒りをおさめたいと鎮魂の祈りを捧げる者もいたかもしれません。そして、焚火の温もりや仲間とともに過ごすことに心の安寧を感じていた人も少なくなかったでしょう。


自然を敬う(自然崇拝)、神々を呼ぶ(物語崇拝)、祖先を敬い、子孫繫栄願う(祖先崇拝)ためにお祭りが生まれた

日本でも古来から豊作を祈って、田植えや収穫の時期に「田の神」を呼ぶお祭りが各地でありました。また、「八百万の神」があらゆるところに宿っていることを知っている日本人にとって、神を召喚する物語を想像するのはそれほど難しいことではないのかもしれません。

ナゴシドン(鹿児島県大隅半島岸良海岸):肝付町のホームページより

この写真は鹿児島のお祭りナゴシドンです。ナゴシドンとは夏越し祭で、大隅半島の岸良海岸の浜辺で海の神に神踊を奉納し、除災招福を祈願するお祭りです。

青森のねぶた祭りは、悪霊を追い払うために始まったとされ、京都の祇園祭りも疫病退散を祈るために始まりました。

日本に限らずだと思いますが、古来から神話を敬い(物語崇拝)、自然を敬い(自然崇拝)、祖先を敬い、子孫繫栄を願う(祖先崇拝)ためのお祭りはたくさんあります。

ですが、引き継ぐ人がいなくなったり、その場がなくなったり、どんどんお祭りが減っています。私の生まれた埼玉の地元でも子供の頃あったお祭りが、今ではなくなり寂しいです。

だから新しいお祭りが生まれてほしいなと思っています。


助け合いと分かち合いがお祭りの始まりだったと、とりあえずそう思うことした。

ともあれ、人間はひとりでは生きていけません。だからお互い助け合うことが必要です。人間はひとりでは寂しくて心もとない。だから分かち合うことに渇望します。

だから、お祭りが必要だった。

そして、このnoteをお借りして、頭の中で勝手にお祭りを始めてみたら、お祭りの始まりは、助け合いと分かち合いからだったのではないかと、私は勝手に思うことにした。

そう割り切ったところで、私のモヤモヤは解けません。

フェスとかイベントとかは企画を練って準備をすればできそうな気がします。でも、お祭りの場合、企画とか戦略とかそういう今風の言い方ではしっくりこないのです。

そもそもお祭りは計画を練って始めたものではなく、自然発生的なものだったのかもしれません。現代人は自然発生するようなものを待つことができないくらいせっかちに生きているから、お祭りが作れないのでしょうか?

とにかくお祭りの作り方、始め方を知りたいのです。ちなみに、Chat GPTに「お祭りの起源」とか「お祭りがどうやって始まったのか?」とか聞いてみましたが、お祭りが始まった理由や動機については答えてくれたものの、納得のいく回答が得られませんでした。

☆☆☆

このnoteは下記の関連として書かせていただいたものです。


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