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悲劇を喜劇に変えるばあちゃん

私は子供の頃、両親が共働きだったので、ばあちゃんと一緒に過ごす時間が長かった。ばあちゃんと一緒に、風呂に入り、寝ていた。私は、所謂「ばあちゃんっ子」である。私のばあちゃんはいつも愛嬌がよく、挨拶が元気だったので、近所に友達がたくさんいた。


時は昭和

毎日、午前午後と、「いやんばいです(いい塩梅です)」(今でいうお邪魔しますの挨拶)と次々と近所のお年寄りがやってきては、主であるばあちゃんの影がなくても、勝手に「茶の間」に上がり込み、コタツを占拠する。

今だったら間違いなく不法侵入並びに不法占拠であるが、昔は縁側というものがあり、猫でなくとも容易に「侵入」できた。それに玄関の鍵を閉めることもなかった。ご近所同士、文字通り垣根がなかったので、ご近所のじいさんばあさんが勝手に家に上がり込もうが、ばあちゃんはお構いなしだ。

茶飲み話

ばあちゃんっ子だった私も、子供ながらにも、ご近所のじいさんばあさんとお茶をすすりながら、「茶飲み話」によく加わっていた。毎日毎日よくも同じような話を繰り返せるものだといつも感心していた記憶がある。一日に、次々といろいろな「侵入者」がお茶を飲みに来るが、話題と言えば、いつもほとんど同じである。

そもそも小さな田舎村なので、そもそも大きな事件なんか起こらないのだから、昨日と同じご近所ネタしかないのだ。

もし仮に地球一周旅行なんて話が飛び込んできたら、じいさんばあさんの反応は、「うちらは宇宙一周旅行、だな」となる。それくらい田舎村は小さくて大きい。きっとペンギン村では、アラレちゃんを発明した則巻千兵衛博士が、宇宙一周旅行を夢でなく現実のものとしていたことだろう。

このように宇宙ネタは一瞬で済んでしまうので、ご近所ネタが一番なのである。「○○さんちの夫婦喧嘩」というオイシイネタがあれば、何度も飲んだ出がらしのお茶のように、その同じネタを擦り切れるほどしゃべり倒すのが、田舎村の井戸端「しゃべくり007」なのだ。

例えば次の会話は、「わかば」をぷかぷか燻(くゆ)らせる近所のじいさんとばあちゃんとのある日の会話だ。ちなみに、「喧嘩」や「入院」は、ばあちゃんたちの「茶飲み話」では、いつも出てくる頻出キーワード10選(ご近所編)に、毎年上位にランクインされていた。

「○○さんとこの婆さん、また入院してさ」と「わかば」のじいさんが切り出す。
「あれ、まあ!」とばあちゃん。
「今度はもう長いこともたないらしい」と「わかば」のじいさん。
「てん!まあ!」とばあちゃん。
「息子も嫁も、見舞いに来ないみたいで...」と「わかば」。
「そうなん、でも、憎まれっ子世のはばかるだからさ。あの人はきっと私より長生きするよ」とばあちゃん。

ばあちゃんの場合、会話のほとんどが相槌だが、「わかば」のじいさんの湯飲み茶碗のお茶を切らすことなく、まめに注いでいる。気配りはちゃんとしている。そして、お茶受けのおしんこうやお菓子にもばあちゃんは注意を払っていて、いつも用意に抜かりはなかった。そして、私は用意してあったお菓子をよくこっそり拝借したものだった。

ばあちゃんを研究

それはともかく、私は孫として、長年ばあちゃんの研究をしてきたが、相槌が元気な時ほど、ばあちゃんは話を真剣に聞いていない。会話を流すように聞いている。しかし、いい加減に相槌を打っているかと思うと、そうではなくて、相槌のタイミングと「あれ、まあ!」「てん、まあ!」「そうなん・・」など、相槌の表現のバリエーションも絶妙なのであった。まさに神業である。

それにしても、入院したご近所の婆さんに対して「憎まれっ子」と言うことはさすがに失礼だろうと思うが、ばあちゃん的には、「入院した婆さんが私より長生きするさ」ということを言いたいがために、「憎まれっ子世にはばかる」と言ったのだろう。孫の私には辛うじてこう理解することはできる。しかし、この言い方の裏には、ばあちゃん自身は、「憎まれっ子」じゃないよといういやらしさが見え隠れする。

しかも、「世にはばかる」とは正しくは「世の中で幅を利かせる」という意味である。「世にはばかる」は「長生きする」という意味だと、私はばあちゃんに長いこと洗脳されていたのである。まあ、ばあちゃんは、ただのノリで言っただけで、難しいことは、これっぽっちも考えていなかったのだろうが・・・

しかし私は大事なことを白状せねばならぬ。このnoteを書く際に、「憎まれっ子世にはばかる」の正確な意味を辞書で確認していなければ、ばあちゃんへの私の盲信ぶりがばれるだけでなく、「世にはばかる」は「長生きする」という意味だという恥ずかしい勘違いがばれるところだった。

悲劇を喜劇に変える

それはさておき、ばあちゃんは、悲劇を喜劇に変える言葉の魔術師だと私は思っている。先ほどの会話のように、相手方が神妙な面持ちで、「○○さん、もう先が長くないらしいよ」と言うのに対して、ばあちゃんは、「てん!まあ!」とまず感嘆詞で返す。この時点で神妙な雰囲気が一気にぶっ飛ぶ。この感嘆詞効果は意外にも効果が絶大だ。

偉才の「喜劇王」チャンプリンが言う。

人生は近くで見ると悲劇だが、
遠くから見れば喜劇である。

チャップリン

このばあちゃんの元気な発言、「あれ!まあ!」「てん!まあ!」は、そこにいる人の視点を事件から遠ざけてしまい、神妙に語るのが不自然になってしまうほどの効果のある発言なのである。ばあちゃんは、暗く落ち込んだり、神妙になったりすることなく、いつも明るかった。およそマイナスな考えから発する言葉は皆無だった。

だが、ただ一言、

「お前が悪いことしたら、化けて出てやるからな」

と、まだ死んでもいないのに、化けて出てやると私を脅すくらいなものだ。

ばあちゃんは、私と二人きりになると、お茶の間では話題にならない、関東大震災や太平洋戦争の時の経験話を秘密裡に私にしてくれた。ばあちゃんの声は明るく元気でよく通るので、悲惨な経験談なのに、どうも悲惨さが私に伝わってこない。しかも声がひそひそでないので、オフレコ感が出ない。

でも、ばあちゃんの実家付近は、大空襲の被害が一番大きかった場所だし、悲惨な場面に相当直面してきたはずだ。仮に具体的で悲惨なお話を私にしてくれても、要所要所で

「オッたまげた!」
「すごかんべ!」

と感嘆詞爆弾を投下してくる。そして、悲劇が影をひそめ、喜劇のファンファーレが鳴り響く。

ばあちゃんの震災や戦争の体験談を聞いても、チャップリンが言う通り、何の臨場感を覚えない私には、喜劇にしか聞こえないのである。その本質的な理由はばあちゃんの能天気な性格によるものだと私はずっと思っていた。

震災や戦争体験に限らず、ばあちゃんは、若くして夫(私のじいちゃん)を亡くしているし、自分でも大病を患ったこともある。そして、いつも病気がちな体だったらしい。もともと能天気なはずがない。

しかし、私が物心ついて知ったばあちゃんは、病気ひとつしないばあちゃんだ。私が知っているばあちゃんは進化後のばあちゃんなのだろうと私は仮説を立てた。

そして、ばあちゃん研究家の私は、「ばあちゃんの生態」についてのひとつの重大な発見をした。私の知っているばあちゃんは、一人でなんでも決断し、なんでも行動していく。人に依存することがほとんどない。ずっと一緒に住んでいる家族に対してもだ。

家族内であってもある種独立した人間だ。だから家族の前でも、うじうじしない。うじうじ・ねちねち担当はどちらかというとオヤジとかあちゃんと私だった。それに対して、ばあちゃんはいつも「スッキリ」とした存在だ。

繰り返すが、ばあちゃんは元々能天気だったのではなかったのだ。ばあちゃんも、私が生まれる前は、すでに解決済みではあったが、所謂「嫁姑問題」の張本人だったとかあちゃんに聞いたことがある。だが、ばあちゃんは私の前では一切「嫁姑問題」のことを口にすることもなかった。

ばあちゃんは色々な経験の末、「心の独立」を勝ち取り、初めて能天気になれたのだろうと、私はそう思うことにした。

そして、ばあちゃんらしいなと思うのは、「お前が悪いことしたら、化けて出てやるからな」という恨み節が喜劇にしか聞こえないことである。私に対して、悪いことをするなという戒めであることは、この私でもわかるが、説得力がまるっきりないのだ。

「ライフ・イズ・ビューティフル」

「ライフ・イズ・ビューティフル」というイタリア映画を見たことがある人も多いだろう。

この映画も、捕虜となって過酷な収容所の環境(ホロコースト)下で虐殺の危機に晒されているにも関わらず、子供(ジョズエ)を明るく守り抜く父親(グイド)の強さと優しさが「ひとつの喜劇」として描かれている。

【ネタバレ注意】「ライフ・イズ・ビューティフル」のなかで、父親のグイドは、虐殺の危険を、これはゲームなんだと幼いジョズエに教える。まだ小さく純粋なジョズエに、恐怖を与えずうまく虐殺を免れように、父グイドはゲームをうまくでっち上げるのであった。

グイドは言う「このゲームのルールには3つの減点がある。1つめは泣くこ。2つ目はママに会いたいって言うこと。3つ目はお腹が空いた、食べるものが欲しいって言うこと。」

「ライフ・イズ・ビューティフル」では、カメラは虐殺の悲惨な世界を示しながら、ホロコーストの現実を子供に直視させまいと、サバイバルゲームの世界へと必死に変えようとする父グイドも映す。そして、父の言うことを素直に信じる子ジョズエはスリリングなゲームを乗り越えていき、ホロコーストを生き抜く。

この映画をして、悲劇を喜劇に変えたのだとは言ってはならないのかもしれないが、少なくとも子ジョズエは父グイドのおかげで悲劇を見ることはなかった。

ばあちゃんが私に震災や戦争の話をしてくれたことを、悲劇を喜劇に変えたと言ってしまったが、もしかしたら間違いなのかもしれない。ばあちゃんは悲劇を悲劇として私に伝えたくなかっただけなのか、もしかしたら遠い過去になってしまった悲劇が、ばあちゃんのなかではもはや悲劇ではなくなってしまっていたのかもしれない。

ばあちゃんは93歳で亡くなった。今となってはばあちゃんの本音を聞く術がない。

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