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【書籍】『致知』2024年7月号(特集「師資相承」)読後感

 致知2024年7月号(特集「師資相承」)における自身の読後感を紹介します。なお、すべてを網羅するものでなく、今後の読み返し状況によって、追記・変更する可能性があります。

「師資相承」とは?

 今月号のテーマである、師資相承(ししそうしょう)とは、師匠が弟子に教えや技術、学問などを伝え、弟子がそれを受け継いでいくことを意味します。これは単なる知識や技能の伝達にとどまらず、師匠の人格や精神、価値観なども含めた総合的な「教え」の継承を指します。

 特に、日本の伝統芸能や武道、工芸などにおいて、師資相承は非常に重要な概念です。例えば、能楽や歌舞伎の世界では、家元が代々受け継いできた芸風や演出を、弟子に口伝や実演を通じて伝えていきます。また、茶道や華道、書道などでも、師匠の流儀や作法を忠実に守り、後世に伝えていくことが重視されます。

 師資相承は、単に過去のものを保存することではありません。弟子は、師匠から受け継いだものを土台として、自分自身の創意工夫を加え、新たな発展を目指します。これにより、伝統は常に新鮮さを保ち、時代に合わせて変化していくことができます。

師資相承の例としては、以下のようなものが挙げられます。

  • 能楽:観阿弥・世阿弥親子による能楽の創始と発展

  • 歌舞伎:初代市川團十郎から続く歌舞伎役者の家系

  • 茶道:千利休から始まる茶道の流派

  • 華道:池坊専慶から続く華道の家元

  • 武道:宮本武蔵から始まる二天一流の剣術

 これらの例からもわかるように、師資相承は、日本の文化や伝統を支える重要な要素です。現代においても、師匠と弟子の関係は、様々な分野で受け継がれています。それは、単なる知識や技能の伝達にとどまらず、人格形成や人間関係の構築など、幅広い意味を持つものとなっています。

 師資相承は、過去から未来へと続く「教え」のリレーです。それは、私たちが先人たちの知恵や経験を学び、より良い社会を築いていくための、かけがえのない財産といえるでしょう。以下、具体的に学んでいきます。


巻頭:己を克めて礼に復るを仁と為す 高千穂神社宮司 後藤俊彦さん p4

 後藤氏は、礼節や思いやりの重要性を説き、現代社会におけるその意義を深く掘り下げています。冒頭では、明治天皇の御製を引用し、日本人が古くから自然の美しさに心を寄せ、和歌を通して天皇の御心や人々の心情に触れてきた歴史が紹介されています。これは、日本文化における礼節や思いやりの根底にある、自然への畏敬の念や他者への共感の心を示唆しています。

 さらに、タウンゼント・ハリスの『日本滞在記』を引用し、江戸時代の日本人が物質的には豊かではないものの、礼儀正しく秩序ある生活を送っていたことが記されています。これは、物質的な豊かさよりも精神的な豊かさ、つまり礼節や思いやりを大切にする生き方が、真の幸福につながるという考え方を示しています。

 しかし、近年はそうした美徳が薄れているという懸念も示されています。著者は、夏目漱石の『草枕』や『論語』の一節を引用し、現代社会の複雑さや困難さの中でこそ、人と人、国と国との間で思いやりと礼節が潤滑油として機能することの重要性を強調しています。

 また、歴史上の大事件や異変、そして現代の国際紛争に触れ、平和を維持するためには、個人間の礼節だけでなく、国家間の相互理解と信頼関係が不可欠であると訴えています。孔子の「己の欲せざる所を人に施すことなかれ」という教えや、吉田松陰の「兵を学び、兵を用いる者は強い倫理観や道徳心をもつ必要性」という思想を引用し、真の文明国とは、武力ではなく、道徳心と礼節をもって近隣諸国と友好関係を築く国であると述べています。

 最後に、後藤氏は、現代社会において「真に守るべき価値とは何か」を深く考えることの重要性を強調しています。戦争や自然災害、そして環境問題など、私たちが直面する様々な課題に対して、人間としての尊厳と地球への配慮を忘れずに、礼節と思いやりの心を持って生きていくことの重要性を訴えかけています。これは、私たち一人ひとりが、地球という一つの共同体の一員としての自覚を持ち、持続可能な社会を築くために、互いに尊重し合い、協力していくことの必要性を示唆しているものでしょう。

リード:藤尾秀昭さん 特集「師資相承」p10

 2024年7月号の特集「師資相承」では、師から弟子へと教えや道を伝える「師資相承」の重要性が様々な角度から掘り下げられています。単なる知識や技術の伝達にとどまらず、師の生き方、考え方、心の持ち方といった精神的な側面も受け継がれていくことが強調されています。

 東洋教学における「滴骨血」や仏教における「瀉瓶」という言葉は、師が心血を注ぎ、弟子がそれを余すところなく受け取るという、師弟間の真剣勝負の様相を伝えています。これは、茶道や華道などの伝統芸能における「守破離」の精神にも通じるものであり、弟子は師の教えを完全に吸収した上で、それを自分なりに発展させていくことが求められます。例えば、茶道では、師の所作を忠実に再現する「守」の段階を経て、師の教えを基に自分なりの工夫を加える「破」の段階へと進み、最終的には師の教えから独立し、独自の境地を開拓する「離」の段階へと至ります。

 記事では、東京電力の社長・会長を務めた平岩外四氏と、円覚寺管長の横田南嶺氏の二人の人物が、師資相承の具体例として取り上げられています。 
 平岩氏は、木川田一隆氏のもとで秘書課長を務めた経験を通じて、経営者としての視点や見識を養いました。平岩氏は、木川田氏の考えを先読みし、常に一歩先を行く行動を心がけることで、木川氏からの信頼を勝ち得ていきました。
 横田氏は、先代管長の足立大進老師に長年仕え、老師の何気ない言動から禅の教えを深く吸収していきました。横田氏は、老師の起床時間に合わせて布団の中で待機したり、隣室から老師の目覚めを察知してすぐに駆けつけるなど、老師への細やかな気遣いを通じて、禅の精神を体得していきました。

 二人の逸話からは、師を深く尊敬し、その心を理解しようと努めることの大切さが伝わってきます。それは、単に教えを請うというだけでなく、師の背中を見て学び、その生き方に感銘を受けるという、より人間的な交流によって成り立つものです。このような師弟関係は、知識や技術の伝達にとどまらず、人格形成にも大きな影響を与えます。

 さらに、哲学者・森信三氏の「人間を形成する三要素」の一つとして「師匠運」が挙げられています。これは、どのような師に出会うかによって、人生が大きく左右されるということを示唆しています。私たちも、尊敬できる師との出会いを大切にし、その教えを深く心に刻むことで、より豊かな人生を歩むことができるのではないでしょうか。師との出会いは、人生における貴重な財産であり、その教えは、私たちを成長へと導く羅針盤となるでしょう。

哲学者森信三師は、人間を形成する要素として三つを挙げている。
一つは「先天的素質」、二つは「逆境による試練」、三つは「師匠運」。
人格を形成するには師匠運がもっとも大事であり、どういう師匠に出会うかで先の二つも影響されると述べ、こう結ばれている。
「尊敬する人がいなくなった時、その人の進歩は止まる。 尊敬する対象が年とともにはっきりするようでなければ、真の大成はしがたい」
私たちも終生、仰ぐ師を持ち、その教えを相承していく人生を歩みたいものである。

『致知』2024年7月号 p11より引用


孔子とその弟子たちの物語 宇野茂彦さん(斯文会理事長)數土文夫さん(JFEホールディングス名誉顧問)p13

 中国古典研究の大家である宇野茂彦氏と、実業界を牽引してきたJFEホールディングス名誉顧問の數土文夫氏によるビック対談で、大変興味深いものでした。この対談では、時代を超えて読み継がれてきた孔子の教えをまとめた『論語』を軸に、現代社会におけるその意義や解釈を深く掘り下げていました。

 數土氏は、長年にわたり日本の産業界を牽引してきた経験から、現代社会における倫理観の欠如を深く危惧しています。彼は、技術革新が急速に進む現代において、AIやITなどの発展が倫理観を見失わせる危険性を孕んでいると警鐘を鳴らします。その上で、心のバックボーンを形成するための教育の重要性を強調し、家庭や学校で古典の知恵を学ぶ機会を増やすべきだと訴えています。

 一方、宇野氏は、中国古典研究の第一人者として、『論語』の成り立ちや解釈について詳細な解説を加えています。彼は、『論語』が時代や場所を超えて読み継がれてきた理由を、その普遍的な教えにあると分析します。例えば、「仁」という概念は、孔子が弟子たちとの対話を通じて深化させていったものであり、時代や状況に応じて解釈できる柔軟性を持っていると指摘しています。

 対談では、孔子の弟子たちの個性や役割にも焦点が当てられています。弁舌に長け、外交手腕に優れた子貢は、孔子の教えを広く世に広める役割を担いました。また、勇猛果敢な子路は、孔子の身辺を守り、時には率直な意見を述べることで、孔子の思想を深める一助となりました。そして、仁徳に厚い顔回は、孔子の理想とする「仁」を体現する存在として、他の弟子たちの模範となりました。

 數土氏は、孔子の弟子たちの生き方や言動を、現代のビジネスリーダーたちが見習うべき点が多いと指摘します。例えば、子貢の巧みな応対辞令や、顔回の自己を律する姿勢は、現代のビジネスシーンにおいても大いに参考になるとしています。
 さらに、孔子の教えが現代の政治や経済にも通じるものであることを強調します。特に、「信なくんば立たず」という言葉は、リーダーと国民、あるいは企業と顧客との間の信頼関係の重要性を説くものであり、現代社会においてこそ深く心に刻むべき言葉だと述べています。

 宇野氏は、孔子が生涯を通じて「学ぶこと」を大切にした姿勢を高く評価し、私たちも年齢を重ねても学び続けることの重要性を説いています。彼は、古典を学ぶことは過去の知恵に触れるだけでなく、現代社会の課題を解決するためのヒントを得ることにもつながると指摘し、「温故知新」の精神で古典に学ぶことの意義を強調しています。

こ の対談は、単なる古典の解説にとどまらず、現代社会が抱える課題を解決するためのヒントを、孔子の教えから見出そうとする試みでもあります。倫理観の欠如、リーダーシップの不在、格差の拡大など、現代社会が直面する様々な問題に対して、古典の知恵は私たちに新たな視点を提供してくれることを改めて感じたところです。

 対談の最後には、今回のテーマである「師資相承」の精神を大切にし、古典の知恵を学ぶことを通じて、一人ひとりの未来、そして日本の未来を切り開いていくことの重要性が改めて強調されています。このメッセージは、私たち一人ひとりが、自らの生き方や社会との関わり方を問い直すきっかけとなるのではないでしょうか。

この対談からの「師資相承」をさらに探る

宇野氏、數土氏のビックな対談から、さらに「師資相承」を探ってみたいと思います。

(師資相承の連鎖)

  • 孔子とその弟子たち
     
    孔子は、顔回、子路、子貢など、個性豊かな弟子たちに対して、それぞれの性格や能力に合わせた指導を行いました。弟子たちは孔子の教えを深く理解し、それぞれの立場でそれを実践し、さらに後世に伝えていきました。

  • 宇野家三代
    宇野氏は、祖父、父と続く中国哲学の研究を引き継ぎ、斯文会の理事長として古典の普及に努めています。これは、学問における師資相承の典型的な例といえます。

  • 數土氏と古典
    數土氏は、幼少期に読んだ小説をきっかけに古典に興味を持ち、独学で『論語』などを学びました。彼は、古典から得た知識や教訓を、経営者としての経験と結びつけ、独自の解釈を深めています。これまた「師資相承」の形といえましょう。

(師資相承の意義)

  • 知恵の伝承と発展
    師資相承は、先人の知恵や経験を次の世代に伝えることで、文化や学問を発展させる原動力となります。孔子の教えは、弟子たちによって受け継がれ、解釈され、時代に合わせて発展してきました。

  • 個性の尊重と育成
    孔子は、弟子たちの個性を尊重し、それぞれの長所を伸ばす指導を行いました。これは、現代の教育においても重要な視点であり、多様な才能を引き出すためのヒントとなります。

  • 自己成長と社会貢献
    師資相承は、個人の自己成長を促すと同時に、社会への貢献にもつながります。孔子の弟子たちは、師から学んだことを活かして、政治、経済、教育など、様々な分野で活躍しました。

(現代社会における師資相承)

  • 教育の重要性
    現代社会においても、師資相承は教育の根幹をなすものです。学校教育だけでなく、家庭や地域社会においても、子供たちが先人の知恵や経験に触れる機会を設けることが重要です。

  • 多様な師との出会い
    現代では、インターネットや書籍など、様々な方法で学ぶことができます。しかし、直接人と関わることで得られる学びも重要です。メンターやロールモデルとなるような人との出会いを大切にすることで、自己成長を加速させることができます。

  • 古典の再評価
    古典には、時代を超えて読み継がれてきた普遍的な知恵が詰まっています。現代社会の課題を解決するためのヒントを得るためにも、古典を学ぶことの意義が見直されています。

(この対談自体がまた、「師資相承」ではなかろうか)

 読み終えて見て気づいたのですが。今回の対談自体がまた、師資相承の一つの形といえないでしょうか。宇野氏は、古典研究の専門家として、數土氏に『論語』の解釈や背景知識を伝えています。一方、數土氏は、実社会での経験を踏まえて、古典の教えを現代社会にどのように活かすかという視点で、宇野氏との対話を深めています。このように、異なる分野の専門家が対話を通じて互いに学び合うことは、新たな知見を生み出し、社会をより良い方向へと導く可能性を秘めています。「師資相承」は人と人との関係において、あらゆる局面にて応用されるものです。非常に刺激を受けた内容でした。

數土:先ほど人生百年時代ということを申し上げましたが、年を取っても決して遅くはない。 命ある限り学び続けることが大事だと受け止めることもできますね。自分が意識しさえすれば、周りにいくらでも優れた人はいる。そのくらい謙虚でいるべきだと私は思います。たとえいまの世の中にいなくても、古典の中には数え切れないほどいます。 ですから師資相承で一番重要なことは、「温故知新」です。古典を読み、歴史を学んで現実の諸問題に対処していくこと。そういう姿勢を貫くことによって、この大転換期に道を開くことができると私は思います。

宇野:確かにいまはデカルト的な世界になってしまって、理性を信過ぎる傾向があります。しかし、自分の頭の中だけで考えたことはどこかに間違いがあるかもしれない。個人の経験には限りがありますからね。しかし『論語』をはじめとする古典というのは、多くの批判に耐えて二千年以上にわたっ読み継がれてきたわけですから、それだけの価値があるわけで、それに学ぶことが大事。 「学んで思わざればく、思いて学ばざれば殆し」です。師資相承という言葉を心に刻み、『論語』をはじめとする古典の知恵に学ぶことを通じて、一人ひとりの未来、そして日本の未来が大きく開けていくことを願うばかりです。

『致知』2024年7月号 p21より引用

己のコスモを抱いて生きる 後藤光雄さん(葆里湛シェフ)、奥田政行さん(アル・ケッチァーノオーナーシェフ)p24

 後藤・奥田両氏は、単なる師弟関係を超えた深い絆で結ばれています。後藤氏は世界初の遠赤外線調理法を確立したパイオニアであり、奥田氏は山形県鶴岡市を「ユネスコ食文化創造都市」へと導いた立役者です。二人の歩みは、料理界における師弟関係の理想的な形を体現しています。

 奥田氏がまだ若き料理人だった頃、後藤氏のもとでの修行は、まさに「生きるか死ぬか」の厳しいものでした。後藤氏は、食材の選び方から調理の技術、そして料理人としての心構えまで、一切の妥協を許さず、奥田氏を厳しく指導しました。例えば、皿に指紋がついているのを見つけただけで、後藤氏の手が飛んでくることもあったといいます。しかし、奥田氏は後藤氏の厳しさの中に、深い愛情と料理に対する真摯な姿勢を感じ取っていました。

 後藤氏は、奥田氏に「一所懸命」「真剣勝負」「夢中」という三つの言葉を繰り返し伝えました。これらの言葉は、単に料理の技術を磨くためだけでなく、人生を生き抜く上での指針となるものです。「一所懸命」とは、自分の置かれた場所で全力を尽くすこと、「真剣勝負」とは、常に最高の結果を出すために努力を惜しまないこと、「夢中」とは、目の前のことに没頭し、他のことを忘れられるほど集中すること。後藤氏は、これらの言葉を体現することで、奥田氏が料理人としてだけでなく、人間としても大きく成長することを願っていました。

ああそうか、「夢中」になればいいんだ。一所懸命、真剣勝負、そして夢中になれば、自ずと先を読む。相手の考えていることを考えるようになる。こうすれば勝負に勝てると気づいたわけです。好きになれば吸収できる

『致知』2024年7月号 p25より引用

 また、後藤氏は、奥田氏に「常に先を読み、相手の考えていることを考える」ことの重要性も説きました。これは、料理を提供する相手であるお客様の期待を超えるためには、常に一歩先を見据え、お客様のニーズを先回りして満たす必要があるという教えです。例えば、お客様が何を望んでいるのか、どんな料理に感動するのかを常に考え、それを実現するために努力を重ねることが、一流の料理人になるための道であると後藤氏は信じていました。

 一方、後藤氏は、料理人としての成功には、オリジナリティ、すなわち「コスモ」を持つことが不可欠だと考えていました。他の料理人の真似をするのではなく、自分自身の感性と創造性を活かして、独自の料理を生み出すこと。それが、後藤氏が考える「コスモ」であり、料理人としての真の価値であると信じていました。後藤氏は、奥田氏の内に秘めた才能と可能性を見抜き、「ここにコスモがあるんだよ」と語りかけ、彼自身の「コスモ」を開花させることを期待していました。

 奥田氏は、後藤氏の教えを深く胸に刻み、それを糧に成長を遂げました。後藤氏のもとで培った技術と精神は、奥田氏が鶴岡市で「アル・ケッチァーノ」をオープンし、地元の食材を活かした独創的なイタリア料理で成功を収める原動力となりました。

 二人の対談からは、師弟関係を通じて互いに影響を与え合い、高め合ってきた軌跡が浮き彫りになります。後藤氏の厳しくも温かい指導は、奥田氏にとってかけがえのない財産となり、奥田氏の成功は、後藤氏にとって自身の教えが正しかったことの証となりました。

 現在、奥田氏は自身のレストランで若い料理人たちを指導し、後藤氏の教えを次の世代に伝えています。それは、単に料理の技術を伝えるだけでなく、料理人としての心構え、そして人生を豊かにするための知恵を伝えることです。このように、師から弟子へ、そして弟子からさらに次の世代へと受け継がれていく「師資相承」の精神は、料理界のみならず、様々な分野でその重要性を増しています。

 後藤氏と奥田氏の師弟関係から、師資相承の観点で以下の学びが得られると考えられます。

  1. 技術だけでなく、心構えや哲学も伝える
     
    真の師資相承は、単なる技術の伝承にとどまらず、仕事に対する心構えや人生哲学までを伝えることを意味します。後藤氏は、奥田氏に料理の技術だけでなく、「一所懸命」「真剣勝負」「夢中」といった精神的な教えを授けました。これにより、奥田氏は技術面だけでなく、人間的な成長を遂げることができました。

  2. 個性を尊重し、自主性を育む
     
    後藤氏は、奥田氏の個性を尊重し、「コスモ」を持つことの重要性を説きました。これは、個人の才能や能力を引き出すためには、画一的な指導ではなく、それぞれの個性を尊重し、自主性を育むことが重要であることを示しています。

  3. 目標設定とフィードバックの重要性
     
    後藤氏は、奥田氏に対して定期的に目標を設定し、その達成度を確認することで、彼の成長を促しました。明確な目標設定と定期的なフィードバックは、個人の成長を促進するための重要な要素です。

  4. 多様な能力を持つ人材の育成
     
    後藤氏は、料理人としての技術だけでなく、幅広い知識や教養を持つことの重要性を認識していました。これは、現代社会において多様な能力を持つ人材が求められることを示唆しています。

  5. 過去の経験を糧にする
     
    後藤氏は、自身の過去の経験を反面教師として、奥田氏に教訓を伝えました。過去の失敗から学び、それを成長の糧にすることは、師資相承において重要な要素です。

  6. 相互成長の関係
     
    師弟関係は、一方的な指導ではなく、互いに学び合い、成長していく関係です。後藤氏と奥田氏の関係は、まさにこの相互成長の好例と言えるでしょう。

 これらの学びは、企業における人材育成や組織文化の醸成にも応用できます。技術の伝承だけでなく、心構えや哲学を伝え、個性を尊重し、目標設定とフィードバックを行い、多様な能力を持つ人材を育成し、過去の経験を糧にする。これらの要素を組み合わせることで、より効果的な師資相承を実現できるでしょう。

人生の師・鍵山秀三郎氏に学んだこと 白鳥宏明(白岩運輸社長)p46

 白鳥氏は、家業の白岩運輸に入社した当初、会社が抱える深刻な問題に直面しました。社員同士の不仲、経営者の不在、ずさんな財務状況など、会社は崩壊寸前でした。新参者で若輩の白鳥氏が専務として改革に乗り出そうとしても、社員からの反発は強く、無視されたり、嫌がらせを受けたりすることも日常茶飯事でした。

 それでも白鳥氏は諦めず、打開策を模索する中でトイレ掃除を始めました。これは、会社の中で最も地位の低い者が行う仕事であり、自らが率先して行うことで、社員の意識を変え、信頼を得たいという思いからの行動でした。しかし、当初は「当てつけだ」と反発され、孤独な闘いを強いられました。

 そんな中、白鳥氏は「掃除に学ぶ会」(現・日本を美しくする会)の創始者である鍵山秀三郎氏と出会います。鍵山氏の講演や掃除への姿勢に触れ、白鳥氏は深く感銘を受けました。特に、鍵山氏の「掃除を通して心の荒みをなくし、世の中を良くしていきたい」という理念に共鳴し、白鳥氏自身も掃除を心の拠り所とするようになりました。

 鍵山氏の影響を受け、白鳥氏はトイレ掃除を継続し、その姿勢は徐々に社員にも伝わり始めました。8年越しに初めて社員が掃除を手伝ってくれた時の喜びは、白鳥氏にとって大きな転機となりました。その後も、少しずつ協力してくれる社員が増え、社内の雰囲気は徐々に改善していきました。

私がやっていたトイレ掃除に関心を持つ社員は当初誰一人いませんでしたが、始めてから八年目にようやく一人の男性社員が箒を持って掃除をしてくれるようになりました。私よりも年上の人で「いろいろな人間関係があるけれども、専務のことは応援しているよ」と言ってくれました。 一緒に掃除をしてくれる人のいることがこんなにも心強いのか、と思うほどの喜びでした。それから四年ほど経つと、私が声を掛けたわけではないのに一人、二人と掃除を手伝ってくれる社員が出始めたのです。それまで幅を利かせていたボス的な番頭が会社を去ったこともあり、そこから社風は少しずつ変わり始めてきました。

『致知』2024年7月号 p48より引用

 さらに、白鳥氏は鍵山氏との交流を通じて、人に対する深い慈愛と、目の前の人を大切にすることの重要性を学びました。例えば、鍵山氏がシリアの少年との出会いをきっかけに、少年を再び訪ねようとするエピソードは、白鳥氏にとって忘れられない出来事となりました。このエピソードから、白鳥氏は困っている人を見過ごさず、手を差し伸べることの大切さを深く心に刻みました。

 これらの経験を通して、白鳥氏は社員との信頼関係を築き、社内の意識改革を進めることができました。そして、鍵山氏の教えを胸に、会社経営だけでなく、「日本を美しくする会」の活動にも積極的に取り組み、社会への貢献を目指しています。白鳥氏の歩みは、困難な状況下でも諦めず、努力を続けることの大切さ、そして、人の心を動かすのは、地位や権力ではなく、誠実な行動と深い慈愛であることを教えてくれます。

 白鳥氏の経験を人事視点で考えると、企業文化の変革と従業員エンゲージメント向上の重要性を示唆しています。

  1. リーダーシップと企業文化変革
     
    白鳥氏は、当初は反発を受けながらも、自らが率先してトイレ掃除を行うことで、行動で価値観を示し、徐々に企業文化を変革していきました。これは、トップダウンの改革だけでなく、リーダー自らが模範となり、地道な努力を続けることの重要性を示しています。

  2. 従業員エンゲージメントとモチベーション
     
    白鳥氏の経験は、従業員のエンゲージメントとモチベーション向上が、企業の成長に不可欠であることを示しています。社員が会社に貢献したいという気持ちを持つためには、経営層が社員を尊重し、信頼関係を築くことが重要です。白鳥氏は、鍵山氏の教えである「人を大切にする」という姿勢を実践し、社員のエンゲージメントを高めることに成功しました。

  3. 人材育成と価値観の共有
     
    白鳥氏は、鍵山氏との出会いを通じて、掃除という行為を通して、社員の意識改革と価値観の共有を進めました。これは、社員教育において、知識やスキルだけでなく、企業理念や価値観を共有することの重要性を示しています。共通の価値観を持つことで、社員は一体感を持ち、より高いパフォーマンスを発揮することができます。

  4. 長期的な視点と持続可能な成長
     
    白鳥氏は、短期的な成果を求めるのではなく、長期的な視点で企業文化の変革に取り組みました。これは、持続可能な成長を目指す企業にとって重要な教訓です。社員のエンゲージメントを高め、企業文化を醸成することは、長期的な企業価値向上に繋がります。

 これらの視点から、白鳥氏の経験は、人事的視点においても、従業員エンゲージメント向上、企業文化変革、人材育成、長期的な視点での組織開発など、様々な示唆を与えられ、参考になるものでした。

師資相承の要諦は直心にあり 河野太通さん(龍門寺長老) p50

 河野太通老師は、94歳という高齢にもかかわらず、今なお禅の道を歩み続けています。老師の健康法は坐禅の呼吸法ですが、それは健康や長生きを意識して行っているわけではなく、禅の修行の一環として自然と身についた習慣でした。
 老師は、深い呼吸をすることで全身に酸素が行き渡り、心身が整うと感じていますが、それをことさら健康法として意識しているわけではないのです。むしろ、坐禅を通して生死を超越した境地に至り、生と死の区別がなくなる感覚を体験しています。毎朝の坐禅は、老師にとって生死の繰り返しを経験し、死を恐れない心を育むための貴重な時間となっています。

 老師は18歳で出家し、仏教を学ぶ中で禅の道に進みました。禅の師としては、まず松巌寺の今井道勧和尚に師事しました。しかし、道勧和尚は禅の教えを言葉で説くことはなく、その日々の生き方を通して老師に禅の心を伝えました。和尚は日常生活において非常に生真面目で、老師はその姿を見て、禅の教えは言葉ではなく、実践を通して体得するものだと悟りました。老師は、師の言葉だけでなく、その生き方から学ぶことの大切さを実感し、それが師弟関係、師資相承の本質だと考えています。

 その後、花園大学に進学した老師は、近代の名僧と称された山田無文老師と運命的な出会いを果たします。無文老師との出会いがなければ、禅の道に進まなかったかもしれないと語るほど、老師にとって大きな影響を与えた存在でした。無文老師もまた、言葉による教えではなく、人々のために尽くすという生き方を通して禅の心を体現していました。無文老師は普段は無口でしたが、人々のために法を説き、書を書くことに日々を捧げていました。老師は無文老師の生き方に深く感銘を受け、その姿勢を自身の禅の修行に取り入れました。

 無文老師の教えを継承する上で、老師は師への絶対的な信頼と自己を無にすることの重要性を強調しています。師の教えを疑ったり批判したりせず、素直な心で受け入れることで、初めて真の教えが理解できると考えています。後進には、何事にも邪念なく取り組むこと、つまり「直心是道場」の精神を伝えることを大切にしています。これは、禅の修行だけでなく、人生や社会のあり方にも通じる普遍的な教えです。老師は、この「直心是道場」という言葉は、人間としての正しい生き方、師資相承、そして人生や社会のあり方など、あらゆることの根本をなすものだと考えています。

 老師は、師として最も大事にしていることは、自分自身のあり方だと考えています。人格が立派な人のもとには良い弟子が育つという信念のもと、自らも常に自己研鑽を怠らず、禅の道を歩み続けています。そして、生涯現役で禅の道を歩み続けることで、一人でも多くの弟子を育て、禅の心を広めていきたいと願っています。老師は、「直心是道場」の言葉を胸に、これからも真っ直ぐに禅の道を歩み続け、多くの人々に禅の教えを伝えていくことを誓っています。

河野:やはり師である自分自身のあり方に尽きるでしょうな。何も禅の世界だけではなく、歴史を紐解けば、やはり人格が立派な人のもとにはよき弟子が育っていますわな。だから、弟子が育たないと嘆く前に、自己のあり方を省みることが大事だと思います。
―師においても、弟子においても、最後は自己、自分自身のあり方がすべてを決める。
河野:私自身、何歳になっても「直心是道場」の言葉を胸に、これからも生涯現役で禅の一道を真っ直ぐ歩み続けていくと共に、一人でも多くの弟子たちを育てていきたい。そう念願しております。

『致知』2024年7月号 p50より引用

 老師の言葉から、私たちは師資相承について以下のように考えることができるでしょう。

  1. 師への信頼と尊敬
     
    師の教えを素直に受け入れるためには、師への絶対的な信頼と尊敬が不可欠です。師の言葉を疑ったり批判したりするのではなく、謙虚な姿勢で教えを乞うことが大切です。

  2. 師の生き方から学ぶ
     
    師の言葉による教えだけでなく、その生き方、姿勢、態度からも学ぶべきことがたくさんあります。師の日常の振る舞いや、困難に直面したときの対処法など、言葉では表現しきれない教えを、観察し、模倣することで、より深く理解を深めることができます。

  3. 自己を無にする
     
    師の教えを真に受け入れるためには、自分の先入観や固定観念を捨て、心を空っぽにする必要があります。自己中心的な考えを捨て、師の教えに素直に従うことで、新たな気づきや成長を得ることができます。

  4. 直心是道場
     
    何事にも邪念なく、純粋な心で取り組むことが大切です。目の前のことに集中し、誠実に取り組むことで、師の教えを深く理解し、自身の成長につなげることができます。

  5. 師弟関係の双方向性
     
    師資相承は、師から弟子への一方的な伝達ではなく、師弟間の相互作用によって成り立ちます。弟子は師の教えを深く理解し、実践することで、師の教えをさらに発展させることができます。また、師も弟子の成長を通して、自身の教えを深めることができます。

 私たちも、これらの点を心に留め、師との出会いを大切にし、師の教えを深く理解し、実践することで、自己成長を遂げ、より良い社会を築いていくことができるのではないでしょうか。


紛れもない私を生き切れ——師と弟子が語り合う「日本人にいま伝えたい魂のメッセージ」行徳哲男さん(日本BE研究所所長)、松岡修造さん(スポーツキャスター)p58

 人間開発の分野で長年活躍してきた行徳哲男氏と、その教え子であるスポーツキャスター松岡修造氏の対談は、現代社会における人間の在り方、生き方について深く切り込んだ内容となりました。

 92歳という高齢にもかかわらず、衰えることのない情熱と洞察力を持つ行徳氏は、虚構や見せかけが蔓延する現代社会において、本当に大切なのは「感性」や「実感」であると説きました。例えば、SNSでの「いいね!」の数やフォロワー数に一喜一憂するのではなく、自分自身の心の声に耳を傾け、本当に大切なものは何かを見つめ直すことの重要性を強調しました。

 また、行徳氏は、現代人が抱える「アイデンティティクライシス」は深刻であり、周囲の期待や社会の価値観に振り回されるのではなく、自分自身の価値観や信念に基づいて「紛れもない私」を生き切ることが重要であると語りました。これは、まさに現代社会が抱える大きな課題の一つであり、多くの人が共感する部分ではないでしょうか。

行徳 どうも私のバックボーンをつくった人物の一人はこの哲学者だ。で、彼には野生の鴨という哲学もある。これをやると長くなるからきょうは言わないけど(笑)。しかしやっぱり決定的に大事なのは存在だよ。いまは存在が不鮮明だ。一人ひとりが曖昧で半端だもの。我われ現代人は自分を生きとらんよ。もう自分が不確かだ。紛れもない私を生きてるっていう証がない。やっぱり独立した自分生き切らなきゃ。だから、修造君も実感すると思うけど、現代の人間に襲いかかっている危機は資源の枯渇ではない。あるいは人種問題でもない。一人ひとりの人間が自分を生き切ってないというアイデンティティクライシス以上の危機はないと思う。

『致知』2024年7月号 p60より引用

 松岡氏は、20代の頃にスランプに陥り、テニス選手としての将来に迷いを感じていた時に、行徳氏のBE研修に参加した経験を語りました。そこで自分自身の弱さと向き合い、行徳氏の「弱さを知ることこそが本当の強さである」という教えに感銘を受けたといいます。この経験は、松岡氏がその後、世界的なスポーツキャスターとして活躍する上で大きな支えとなったのです。

 行徳氏は、自身の生い立ちや経験を交えながら、「弱さ」を受け入れることの重要性、そして「憎しみ」さえも「愛」へと転換させる力について語りました。例えば、幼少期の貧困や父親との確執を乗り越え、後に良好な関係を築けた経験を例に挙げ、憎しみや怒りの感情も、自分自身を成長させるためのエネルギーに変えることができると説きました。

 また、行徳氏は「煩悩」を否定するのではなく、それを受け入れ、糧とすることで、人間はより深く、豊かに生きることができるという独自の哲学を展開しました。これは、仏教の教えにも通じる考え方であり、現代人が忘れがちな「心のあり方」について深く考えさせられる内容です。

 ウィンブルドン選手権での松岡氏の活躍の裏には、行徳氏からの叱咤激励がありました。行徳氏は、真剣さと深刻さを混同してはならないと説き、真の真剣さには明るさが伴うと教えました。この教えは、松岡氏のプレーに大きな影響を与え、プレッシャーに押しつぶされそうな状況でも、笑顔を忘れずに戦い抜く力を与えたのです。

 行徳氏は、現代人が抱える「言い訳」の多さや「真剣さ」の欠如を嘆きながらも、若者たちの可能性に希望を見出しました。Z世代と呼ばれる若者たちは、社会問題に対して積極的に声を上げ、行動を起こす姿が見られます。行徳氏は、彼らのエネルギーや情熱に期待を寄せ、未来を担う存在として高く評価しました。

 さらに、行徳氏は自らの師である田里亦無氏から学んだ「無礙自在」の境地について語り、囚われのない心で、何事にも動じない生き方を説きました。これは、禅の思想にも通じる考え方であり、現代社会のストレスや不安に押しつぶされそうな人々にとって、心の安らぎを見つけるためのヒントとなるでしょう。

 松岡氏は、自身の師であるボブ・ブレット氏との最後の交流を振り返り、師の生き様から学んだことを語りました。ブレット氏は、闘病中も松岡氏にテニスの指導を続け、最後まで情熱を失わなかったといいます。このエピソードは、師弟関係の深さ、そして「生きる」ということの意味を深く考えさせられます。

 対談の最後には、行徳氏の「死生観」にも話が及びました。行徳氏は、死を恐れることなく、むしろ「生の完勝」として捉え、新たな生へと繋がるものだと語りました。そして、日本民族の再生への期待を表明し、若者と共に学び続けることを誓いました。この対談は、行徳氏の深遠な思想と松岡氏の率直な言葉が交錯し、読者に深い感動と示唆を与えました。人間としての在り方、生き方について、改めて考えさせられる内容となっています。

「師資相承」の在り方は?

 行徳・松岡両氏の対談は、まさに「師資相承」の在り方を示す好例といえます。

 まず、行徳氏の教えは、単なる知識や技術の伝授にとどまらず、生き方そのものを問いかけるものでした。松岡氏は、行徳氏のBE研修を通じて、自分自身の弱さと向き合い、それを乗り越える力を得ました。これは、単なるテニスの技術指導ではなく、人間としての成長を促す「心の教育」と言えるでしょう。

 また、行徳氏は自らの師である田里亦無氏から「無礙自在」の境地を学び、それを松岡氏にも伝えています。これは、知識や技術だけでなく、師の生き方や哲学そのものが弟子に受け継がれていることを示しています。

 一方、松岡氏は、行徳氏の教えを自分なりに解釈し、実践することで、独自の道を切り拓いてきました。例えば、「修造チャレンジ」でのジュニア選手への指導は、行徳氏のBE研修のエッセンスを取り入れながらも、松岡氏自身の経験や個性が反映されたものです。これは、師の教えをそのまま受け継ぐのではなく、それを発展させ、新たな価値を生み出すという「師資相承」の理想的な形と言えるでしょう。

 さらに、松岡氏は、行徳氏だけでなく、テニスの師であるボブ・ブレット氏からも多くのことを学びました。二人の師の教えをそれぞれに吸収し、自身の成長に繋げてきた松岡氏の姿は、多様な価値観に触れ、それを統合することで、より豊かな人間性を育むことができるという「師資相承」の意義を改めて示しています。

 今回の対談で、行徳氏は「弟子を育てるというと思い上がりが出るから、若者と共に学んでいきたい」と語りました。これは、師と弟子の関係が一方的なものではなく、互いに学び合い、成長し続ける関係であるべきだということを示唆しています。

 このように、行徳・松岡両氏の対談は、現代における「師資相承」の多様な形を提示し、その重要性を改めて認識させてくれるものでした。知識や技術の伝承だけでなく、生き方や価値観を共有し、互いに高め合う関係こそが、真の「師資相承」といえるのではないでしょうか。


仕事と人生に生かすドラッカーの教え(佐藤等さん)p104

 マネジメントの大家であるピーター・ドラッカーは、日本人が学習を単なる技能習得のためだけでなく、精神的な完成と自己啓発のために一体として行う特別な能力を持っていると指摘しています。これは、西洋的な実利主義の学習観とは一線を画すもので、自己成長を重視する日本の伝統的な価値観を反映しています。

 しかし、現代の日本では、多くの人が仕事やプライベートに追われ、学習時間を十分に確保できていないという現実があります。総務省の調査では、日本人の一日の平均的な学習時間はわずか13分であり、就業者全体の約56%が業務外の学習時間を全く取っていないというデータもあります。これは、忙しい現代社会において、多くの人が学習の優先順位を下げざるを得ない状況を浮き彫りにしています。

 ドラッカーは、未来を変えるためには、過去にとらわれず、未来を見据え、自分の強みや能力を生かせる機会に目を向けることが重要だと述べています。また、知識社会においては、継続的な学習能力が不可欠であり、絶え間ない知識の蓄積が自己成長と社会への貢献につながると説いています。

 日本人は古来より、「求道」という言葉に象徴されるように、精神的な完成を目指す学習能力を培ってきました。例えば、剣豪の宮本武蔵は、剣術の技術だけでなく、人格を練り上げるために生涯を通じて鍛錬を続けました。これは、自己の完成を目指し、決して満足することなく学び続ける姿勢を示しています。

 しかし、現代の日本では、短期間で成果を求める傾向が強まり、継続的な学習の重要性が軽視されている可能性があります。特に若い世代を中心に、「タイムパフォーマンス(タイパ)」という言葉が流行しているように、効率性や即効性を重視する風潮が見られます。

 私たちは、日本人が古くから培ってきた、精神的な完成を目指す学習能力を見つめ直し、継続的な自己成長を追求すべきです。それは、目先の成果にとらわれず、長期的な視野で自己を磨き続けることであり、ひいては、より豊かな人生を送ることにつながるのではないかとのことです。

 企業人事としてどう考えるか。佐藤さんのこの記事は、社員の継続的な学習と自己成長を促すための重要な示唆を与えてくれます。

 まず、社員が学習時間を十分に確保できていない現状を改善するため、企業は学習しやすい環境づくりに取り組む必要があります。
 例えば、業務時間内に学習時間を設けたり、オンライン学習コンテンツを提供したりすることで、社員がより気軽に学習に取り組めるようにすることができます。

 また、社員の学習意欲を高めるためには、目標設定や評価制度との連携も重要です。学習目標を設定し、達成度に応じて評価や報酬に反映させることで、社員のモチベーション向上を図ることができます。さらに、社内での学習成果発表会や勉強会などを開催することで、社員同士が学びを共有し、互いに刺激し合う環境を醸成することも有効です。

 ドラッカーが提唱する「知識社会」においては、継続的な学習が企業の競争力向上に不可欠です。社員一人ひとりが自己成長を追求し、常に新しい知識やスキルを身につけることで、企業全体の能力向上につながります。人事担当者は、社員の学習を支援し、成長を促進することで、企業の持続的な発展に貢献することができます。

 さらに、この記事で紹介されている「求道」という概念は、社員のキャリア形成を考える上でも重要な視点です。単なるスキルアップではなく、自己の精神的な成長を追求する姿勢を育むことで、社員はより高いレベルでの貢献を目指し、企業へのエンゲージメントも高まることが期待できます。

 人事としても、この記事の内容のように、社員の継続的な学習と自己成長を支援するための施策を検討し、実行していくことが重要です。それは、個人の成長を支援するだけでなく、企業全体の競争力強化にもつながる、重要な取り組みとなるはずです。



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