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六道輪廻の「哲学的本質」について、にわかに考えてみた。 今回は「深遠なる皮肉」に取り組んでみた実験文章です。

地獄絵図と六道輪廻

あたしの幼少時、
家の隣にある、構えがちょっと大きいお寺に
しょっちゅう遊びに行くことが多かった記憶があります。

昔はお寺の境内は絶好の遊び場であり、
時々住職さんが本堂で遊ばせてくれたり、
「仏様の絵本」を貸してくれたりしていた記憶があります。

そんな中で、本堂の一角に
「地獄絵図」というものが祀られていました。
これが恐ろしく、大人たちにも
「悪いことをしたら死んだあとここに行くんだよ」
と、それは恐ろしい口調で言われていたから、
純真な少年であったあたしは
夜も寝られないほど怖かったのを覚えてます。

この地獄は、仏教の教えの中に出てくる
「六道輪廻」という考え方から来ています。

この「六道」とは
【地獄・餓鬼・修羅・畜生・人間・天上】のことで、
どれも迷いの世界を示しているんです。

そして「輪廻」とは
「その迷いの世界をグルグル廻って出抜けられない様子」
のことを言うのです。

輪廻とは生まれ変わりの連続ではない

「輪廻」といえば、「輪廻転生」とか言うように
死んでは生まれ変わりというイメージがつきまとうのですが、
本来の仏教には、「転生」という概念はありません。

よく爺さん婆さんに向って、田舎のお説教坊主が、
死んでから地獄へ落ちたり
極楽へ生まれたりするように説いている向きもあるんですが、
あれはあれで、方便として良いかも知れないですけど、
元来仏教ではそんなことは言っていません。

 地獄をはじめとした六道とは、死後の世界ではなく、
自分自身の「心の中の世界の様相」をあらわしているからです。
そして、「極楽浄土」とは
まったく別系統のあり方なんです。

 六道とは心の在り方である。
というような内容については、「観音様」の記事で触れたので、
今は詳しくはふれせんが、
今回はこのうち「天上界」の事について話題にしてみます。

では天界とはどんな世界か。

天界とは天人が住む世界です。
天人は人間よりも優れた存在とされ、
寿命は非常に長く、兜卒天の一日などは人間界の400年に相当し
寿命は4000年と、途方もない時間を過ごします。

また苦しみも人間界に比べて、ほとんどないとされます。
空を飛ぶことができ、享楽のうちに生涯を過ごすといわれます。
フーテンの寅さんに登場する「柴又帝釈天」の帝釈天も
天人のうちの一人です。

有頂天という言葉がありますけれど、
有頂天とはこの色界の中の頂点(色究竟天 )のことを言っており、
有頂天になるとは、すべての物質を手に入れた
天界にいるがことくの幸福感」の状態にある
と言うことなんですね。

しかれども、このすばらしい天界は、
あくまでも「六道の迷界」の中にあるわけです。
ここに住む天人も、
必ずほかの六道に落ちるものであるとされています。

天人が寿命を迎えると、

 天人五衰といって、五つの徴候があらわれるそうです。
経典によって多少の違いはあるのですが、
大槃涅槃経によれば、

一・衣裳垢膩(衣服が垢で油染みる)
二・頭上華萎(頭上の華鬘が萎える)
三・身体臭穢(体が薄汚れて臭くなる)
四・腋下汗出(脇の下から汗が流れ出る)
五・下楽本座(自分の席に戻るのを嫌がる)

とあり、必ずそうなってしまうことで、
天人は天界から去るものである
とされています。

なお、正法念経には、この天人の五衰の時の苦悩に比べると、
地獄で受ける苦悩は、その16分の1に満たないと説いています。

天人は、快楽が多い分だけ
それがなくなるときの苦しみは
増えるものなのだ
ということなのです。
すなわち「六道」は具体の世界があるわけでなく、
仏法の真実の目から見れば、
心の現象であるということです。

この観点で「天界」と「天人五衰」を見ると、興味深いものが見えてきます。

 
この観点での「天人」は
眞・善・美を愛する人という事になります、
つまり哲学や科学・倫理や道徳・美術や芸術に
打ち込んでいる連中
をさすというわけです。

 連中といっても職業人とか専門家とかいう意味ではなく、
まあ教養の高い方の集まりが「天界」という事になるでしょう。
しかし、のぼりつめても、六道輪廻も免れる事が
出来ないというのは、こういった端から観察すると

たとえ高貴で高尚な世界にいたとしても、
やれ派閥だの解釈だの、弟子だの家元だの、
諍いがない状況を見たことがないですよね、
高貴なものも本来の目的を忘れ、醜く変化します

政治家にしても初めは「有頂天」だったものが、
現実にふれ、だんだん貧相な顔つきになってきましょう。
まさに「天人五衰」といえます。

権力や権威から落ちることは
凡人の何倍ものつらさを感じる
という事からも、
この状況がわかるというものです。
だからこそ「執着」するので、どんどん醜くなり、
しまいには地獄の責め苦に陥るのです。

権力者に限らず、すべからく現代人は便利になり、
自由に表現できる「ツール」も手にしています
過去の人から見れば「天人」そのものです。
だけど、これは矛盾した脆弱な「世界観」にあり、
ふっと吹けば消えてしまうそんな中にあります

天界がいわゆる仏の境地ではなく
「迷界」である六道にあるということは、
まさにこういうことを言うのかもしれません。



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