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公立学校の”希望”と「絶望」

少し前に
何気なく買った本。


何気なく
2冊まとめて
読んでみた。


1冊は、公立学校の希望を感じる本
もう1冊は、絶望を感じる本



<希望の本>

この本、読んだら
元気出た。


最初は、
ICT教材を導入した成功例
みたいな感じでしかないと思って
結構、斜めに読んでた。


全然違った。


コロナ禍で
オンライン授業を導入した地域は
珍しくない。


でも、この本の舞台である
熊本市のように
47000人もの児童・生徒
オンライン授業を行き届かせた例は
他にない。


その動機には
熊本地震での経験があり


そこから生まれた
教育長や市長の想いがあった。


だから、
オンライン授業を実施することを
目的にしてわけではなく



「子どもの学びを止めない」
「一人一人のニーズに寄り添った教育を」
「150年間続いてきた形を本気で変えていく」




そういうビジョンがあって
徹底して行動したから
結果、オンライン授業ができた。


そういうことだと思う。


「この本、おもしろーい」と
思ってて、
最後のコラムまで行き着いたら
「自由の相互承認」という言葉が出てきて
初めて気づいた。

そうだ。
熊本市の教育委員会には
苫野一徳さんがいた。


納得。
全部、つながった。


久しぶりに
公立学校の希望を感じた本だった。



<絶望の本>

そんなご機嫌な気持ちで
読んだ2冊目。


正直、暗すぎて
気持ちが悪くなり
読了はできなかった。



すごいタイトルの本だなとは
思ってた。


内容は、
いじめを隠蔽する学校や
行き過ぎた指導により
子どもを自殺に追い込んだ指導死の話。


指導死とは
自殺した児童の保護者
考えた造語。


二度と同じことを繰り返さないように
つくられた言葉。


暗い映画を観るのも苦手なので
いじめや体罰の詳細が書かれた文章は
読むのが、結構しんどかった。



ただ、本当に残念なことに
学校の中では
ありえてしまう話だなとも思った。


いじめや体罰は
個人対個人の問題じゃない。
集団や組織の問題。


だから真実が
見えにくくなる。


そして見て見ぬふりをする
傍観者が増えれば増えるほど
事態は悪化していく。


傍観者になる子どもたちを減らしてくことが
教育現場の役割であるはずなのに、


そこにいる大人たちが
こぞって傍観者であること
本当に悲劇だと思う。


この本のサブタイトルは
「教える側の質が劣化したこの社会で」


最後まで読めていないので
ちゃんとした感想は言えないけれど


2冊セットで読むなら
「学校が子どもを殺す日」
を先に読んで

「教育委員会が本気を出したらスゴかった」
を後で読んだほうが、いいと思う。


絶望より
希望を感じて
夜は眠りたい。




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