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LifeStory Ⅶ ヨルダンのお話

オランダから
真っ直ぐ日本には
帰らなかった。


用意してた
自分へのご褒美。


ずっと行きたかった場所。
中東。
ヨルダン。
難民支援センター。


隣国、シリアでは
2011年から、内戦が始まり、
2015年、過激派組織による日本人殺害。
2017年、米国がミサイル攻撃を開始。
当時、シリアは入国禁止になっていた。


そのため、
JICAのシリア駐在員として務めていた友人は
ヨルダンで暮らしていた。


その友人のおかげで、
シリアから逃れてきた人たちが暮らす
難民支援センターへの入場許可がもらえた。


治安が心配だったけど
こんな機会、二度とないと思ったから、
日本へ帰る前に
ヨルダンに向けて出発した。



<ヨルダンという国>

これまで行ったどの空港よりも
セキュリティが厳しかった


あっちでもパスポート
こっちでもパスポート。
犬がクンクンして
荷物開けて、閉じたと思ったら
また開けて。
何度もチェックを受けて
ようやく入国。


女の一人歩きは、目立つ。
止まっていると、誰かが寄ってきそうで
とにかく早足で歩いた。



タクシー選びを間違えたら
“死ぬ”って考えてたから
心臓バクバクさせながら
交渉。


後から分かったのは、
実は、かなり治安が良いということ。

殺人や猟奇的な事件も
ほとんどない。

夕方や夜道は、
日本の昭和感があった。


地域にもよるけど
私が滞在した街は
日本よりも治安が良い気がした。



食べること
寝ること
それらと同じように
“祈ること”
繰り返される暮らし


1日5回
お祈りの時間になると
“アザーン”という合図が
街に鳴り響く。


そうなると
街の時間が止まる


お店の人も
お客さんも
外に出て
お祈りを始める


女性は基本的に
様々な形のスカーフで
肌や頭を隠す
それがまた美しく感じた


男女での身体接触はタブー
握手もダメ
異性と挨拶をするときは
胸に手を当てて軽く会釈


初対面でハグ&キス
オランダとはまるで違う


みんながみんな
そうしているわけではないけど
イスラム教のしきたりには
かなり気を遣いながら過ごした




街を歩いていると
おじさん達が
真っ昼間から道端で
ずっとおしゃべりしてる


毎日のように
大きな声で
口喧嘩


荒々しいけど
微笑ましくて


そんなに喧嘩するなら、
そばにいなきゃいいじゃない
って思った。



タクシーのドライバーさんは
日本人の乗客が珍しいからと
その場で家族に電話をかけた。
お客を忘れて、そのまま長話


バスは満席にならないと出発しない
時刻表なんてあってないようなもの
その間、おしゃべりをして待つ

行くのに1時間かかる場所は
3時間かかる。


人との繋がりが濃くて
コミュケーションがとても多い
働き者の印象は全くない。


働くよりも
人との関わりを大事にしていた。
オランダ人以上に。


私が出会った人は
みんな人懐っこくて
優しい人だった


中東が一気に好きになった。

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<難民支援センター>

私が訪れたのは
難民キャンプのような場所ではなくて、
3階建ての小ぶりなマンション。


シリアでは
父親を亡くしたら
母親が生きていても
“孤児”として扱われる。


孤児となった子どもと
その母親を受け入れて
保護している施設。
子どもたちは、そこから学校へ通っていた。


センター長さんは、女性。
教育への意識が高く
私のような縁もゆかりもない
来客を受け入れた理由も

“教育的意義のある活動を
子どもたちに与えてくれるであろう来客”

と見込んだから。


微妙に高いハードルで
日本を出発する前から
何ができるかをあれこれ考えた。


言語の違う子どもたちにできることは
言葉を必要としないこと


思いついたのが
バルーンアート


教育的意義は、
“想像力の育成”
と、こじつけた。



センターを訪れたのは2回。
1回目は、女子の日。
2回目は、男子の日。
男女は、同じ場所で学ばない。


国が違っても
子どもはやっぱり一緒


女子は、あれこれ考えて、
可愛いものつくり、見せ合いっこ。

男子は、何も作らず
長い風船のままで、戦いごっこ。


とにかく元気。元気。元気。
私もめっちゃはしゃいだ。

2回とも1時間もなかったのに、
ものすごい疲労感。




父親を亡くし、
母国を離れ
異国で暮らす。


一時的に、
目を背けることはできても
忘れることはできない経験


それらと共にいる
彼ら、彼女らが
ただただ尊かった。


センター長からお礼を言われたけど、
少しの時間でも
同じ空間に居られて
ありがたかったのは
間違いなく、私の方。


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<脆さ>

この国では
内戦、難民、貧困、暗殺、爆弾。
そんな言葉が、身近。


イエメンで、写真家として活動している
日本人に出会った。


お金を取り合う。
宗教でぶつかる。
人がゴミのように扱われ
簡単に、たくさん、死ぬ。

誰もが普通に暮らしていた。
それが一瞬にして壊されていく。

今日は、笑っているけど
明日は、どうなるか分からない。
人間も平和も脆い。

知らないだけで
変えることのできない真実の話を
夢中で聞いた。

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 photo: Yuichi Mori



<イスラム教>

日曜日。
モスクにはたくさんの人が集まる。


それは
子供の頃に見た
地域のお祭りみたいな風景。


モスクの中では、誰もが平等。
困っていれば、皆が助け合う。
だから、
貧富の差はあっても飢え死にはありえない
と教わった。


なぜ、彼らが仕事よりも
おしゃべりを優先するのか分かった気がした。


彼らにとって
働くことよりも
人と関わることが
人生のセーフティーネットになるからだ。


もちろん、人と関わることで
面倒になることもある。


でも彼らは、毎日の口喧嘩のように
その面倒なことに
人生の時間を使っていた。


友人が言った。
「面倒くさいっていうのは、言い換えれば“手厚い保護”なんだよね」


面倒なことを省いたことで
生まれた日本の孤独死


宗教の希薄化により
色濃くなったオランダの利己主義


世界が忘れているものが
ここにある気がした。


あるヨルダン人が話してくれた。

「中東は怖いと思われている。でもそんなことない。とても安全な国だ。
みんなが支えあって生きている。見れば分かるだろう?
イスラム教は神と個人とのやりとりだ。
神と個人との対話を通して、人として良い振る舞いになっていくための宗教だ。
人と人とが争うのは間違っている。
だから、イスラム教を守るために戦う時も必要。
でもそれはとても難しいこと。」


自分の経験から引き出せる返答がなくて、
何にも言えなかった。


ただ旅の最後が
この国で良かった
って思った。


オランダと同じくらい影響を受けた場所。

そんなヨルダンのお話。




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