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みんなと同じものを撮るほうが難しい
写真という行為ができること、それは、ものごとを「どう見る」かだと思います。等しく目の前にひろがる世界を自分だけの目でどう見るのか。「何をどう見るのか」という眼差しこそがその人らしさを決めるのだと思います。
その対象は、なにも突拍子のないものや、誰も行っていないような場所、珍しいことでもある必要はありません。みんなが知っているものごとでもよいのです。むしろそのほうがおもしろくなると思っています。なぜなら、見慣れたものごとである分、その人だけの見方がより浮き彫りになるからです。
例えば、たくさんの人があつまる観光地。有名な建築物を見て「わたしもみんなと同じように撮ろう」と思うかもしれません。春になれば巷は桜の写真で溢れかえります。それを見て自分も撮りたい、と思うこともあるでしょう。いろいろ難しく考えずに済みますよね。そのほうが簡単だし、分かりやすいです。
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一方で、誰もが知っているものを、まだ誰も知らない部分や角度、距離感、そしてタイミングで「見る」こと、それこそが写真家の役目なのだと思っています。それが「何をどう見るか」ということなのだと思います。人物を撮るときだって同じです。いつも一緒にいる人でも、みんなが知っている人でも、まだ誰も見たことがない表情や素敵な部分を見つけることができるはず。
おのずと、ほかと違うものより、みんなと同じものや撮り尽くされたものを「どう見る」かのほうが難しくなるはずです。なぜなら、違いを出すのがより難しくなるからですね。その意味では、非日常的で刺激的なものを写してインパクトを残すことのほうが実は簡単とも言えます。
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でも、ほんとうは人には人それぞれの見方があるはずですよね。たとえ誰かと同じ場所に立っていても撮った写真がすこしずつ違うのは、やっぱりそれぞれの異なる眼差しがあるから。誰にだって自分だけのものの見方があるはずなのに、写真を撮ろうとしたときにそのことになかなか気づけないんですね。だからこそちゃんと「どう見る」かということが大切なんですよね。
ほとんどの場合、写真はもともとそこにあるものしか写せません。それらは誰かに見つけてもらうのを待っているのです。たとえそれが見慣れたものだとしても「こんな見方があったのか」という眼差しを提示することができれば、わたしたちの世界はもっとひろがるはずです。そう思うとさらに写真を撮ってみたくなりませんか?
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このテキストは写真本「ひろがるしゃしん」に収録予定です。
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