『試験は暗記したら受かる。真面目に勉強したら落ちる』久保利英明×冨山和彦
久保利英明×冨山和彦(株式会社経営共創基盤共同経営者(パートナー)/IGPI グループ会長)対談Vol.1
(対談前)
冨山「ボストンコンサルティングに行きました。ちょっと変な就職をする走りの走り」
久保利「突破者(笑)」
冨山「事務所を立ち上げられたのは、おいくつの時ですか」
久保利「ちょうど23年目になります。森綜合というところも入った時はイソ弁ですけどその後パートナーでした。パートナーと言ったって5人か6人しかいなかったんですけど」
冨山「ああ、小っちゃい時だ」
久保利「小っちゃいですから」
冨山「そうかそうか」
久保利「どんどん大きくなって」
冨山「今、巨大な」
久保利「今、何百人」
冨山「会社みたいですね」
久保利「ファームですよね。日比谷を作ったのが98年」
冨山「わりと最近っちゃ最近なんですね」
久保利「(笑)最近」
冨山「一度一緒に仕事したことがあるんですよ。まだできたばかりですか。2000年ぐらいかな」
久保利「日比谷パークになってからだったと思います」
冨山「あれもかなり激しい」
久保利「あれもなんだかわけのわからない話で(笑)」
冨山「ええ。わけのわからない話で(笑)」
久保利「わけのわからない事件はね。うちにくるんですよ」
冨山「逃げちゃう事務所もありますよね」
久保利「僕らは面白そうだから(受ける)中村直人君という」
冨山「はいはい」
久保利「金よりは、その仕事が面白そうかどうかというんで「やらせろやらせろ」って」
冨山「はいはいはい」
久保利「弁護士もそういう点ではコンサルに似たようなところがあります」
冨山「そうですね」
(対談開始)
久保利「この赤いマスク(笑)」
冨山「久保利先生らしい(笑)」
久保利「洋服屋がね「いくらなんでも先生は白いマスクはしないでしょうから」と言ってね」
冨山「(笑)」
久保利「作ってくれる(笑)」
冨山「作ってくれるんだ。さすが(笑)」
久保利「すいません」
冨山「(笑)」
久保利「この間はありがとうございました」
冨山「いえいえこちらこそ」
久保利「文科省の改革会議のアドバイザーというんでしょうか。非常に貴重なご意見を頂戴しました」
冨山「とんでもないです」
久保利「少子高齢化してく中で、どういう教育をしていくべきなのか、どちらかというと僕も冨山さんも、いわゆるオーソドックスな教育を受けてはいるんだけど」
冨山「はいはい」
久保利「なんとなくそこからスピンアウトして違うものをやろうと」
冨山「(笑)そうでした」
久保利「司法試験受かった後に、すぐそのまま研修所行ったらロクな弁護士にならないと思って、アフリカインドに行きました」
冨山「はいはいはい」
久保利「お互い自分で自分を」
冨山「そうですね」
久保利「教育してきてるんじゃないかなと思うんです」
久保利「教育制度論みたいなものをガチガチに考えたって駄目で、いい人を作るためには結局、セルフエデュケーションというか」
冨山「そうですね」
久保利「自分で自分の方向性を決めていくんだよという感じは、僕はしてるんですね」
冨山「ええ。そのことを教えたほうがいいですね」
久保利「(笑)」
冨山「(笑)まさにだから」
久保利「そうです(笑)」
冨山「教科書的答えを覚えるってことには、道はないので、ただある程度言語能力ないと」
久保利「言語能力ね」
冨山「ものは考えられない」
冨山「そういう意味でですね。数学であれ自然言語であれ、まあ言語は」
久保利「はいはい」
冨山「学んだ方がいいと思うんですけど」
冨山「先生が言われたように、何を学ぶかを考えられる能力というのが大事だと思うんですね」
久保利「大事ですよね。僕そう思うんですよ」
冨山「ただそれを考えてると、試験の点数が悪くなっちゃう(笑)」
久保利「そこなんですよ。だから僕は、東大入試の時に失敗したんですよ。試験の時には、もういろいろと考えない。とにかく獲得目標は試験をパスすることにしないと」
冨山「ほお」
久保利「数学がね」
冨山「はいはい」
久保利「大嫌いでしてね」
久保利「なんで数学が俺はできないんだと、ずっと思っていたんです」
冨山「はいはい」
久保利「落っこちて予備校に行きました」
冨山「はいはいはい」
久保利「予備校の先生がね「君、なに。問題見てから考えてるの?」と」
冨山「ほお」
久保利「「あれは暗記科目だよ」と言ったんですね」
冨山「そうですね」
久保利「ええ」
冨山「ま、どっちかですよね。本当に数学できる奴はその場で考えるし」
久保利「もうね」
冨山「そうじゃなかったら、パターン認識ですもんね(笑)」
久保利「そうなのね(笑)パターンで考えなきゃならない」
久保利「僕は駿台予備校に行って、それまで地理だとか歴史だとか国語だとか、これ得意だったんですけど、そのうちね、数学が最大の得点源になりましてね」
冨山「おー、そっかそっか」
久保利「初めから教えてくれよと」
冨山「(笑)」
久保利「記憶力の勝負なんだ(笑)」
冨山「実は得意だったんじゃないですか。覚えられない人は覚えられないじゃないですか、パターンを」
久保利「覚えると思ったらね。整然とした理解をしたうえで覚えればいいだけだから、ようするに」
冨山「暗記量少ないですからね」
久保利「ね」
冨山「数学の方が全然。覚えなきゃいけないことが少ない(笑)」
久保利「そうでしょう。これ覚えりゃいいんだと思ったらね。世界のね4000年の歴史を覚えるより(笑)」
冨山「いや、全然全然、ちょっとですから(笑)ちょっと」
久保利「簡単ですよね(笑)」
冨山「司法試験は、どうなんですか、おんなじですか」
久保利「司法試験の時は、僕は一回で受かって」
冨山「ああそっか。すごいな」
久保利「一浪して入って、現役の4年生の時に受かりました」
冨山「4年で、すごい」
久保利「それはやっぱりね。これはやっぱりしょうがない。この試験は」
冨山「ああ、割り切ったわけですか」
久保利「つまんねーけども、一生懸命とにかく覚えてそれを吐き出すしかなくて、でも当時の司法試験は一行問題ですからね」
冨山「あ、まだそういう時代ですか」
久保利「「特別権力関係について」」
冨山「述べよ」
久保利「述べよ。っていう(笑)」
冨山「それ僕らの時、なかったなあ(笑)」
久保利「だからね。だんだん難しくなってきてはいるんですよ」
冨山「自分は司法試験の時に、久保利先生が高3の時に失敗した、同じ失敗1回やりました」
久保利「ああやっぱりね」
冨山「ちゃんと勉強しちゃったんですよ」
久保利「そうそう」
冨山「ちょっとね、法律学面白くなっちゃって」
久保利「ね」
冨山「結構(笑)真面目に勉強しちゃったら、わりとはまってちゃんと学問的に勉強しちゃったら落ちました」
久保利「ああ、もう最悪ですね、それは(笑)」
冨山「だめ(笑)」
久保利「試験というのは、そういうもんじゃないんで(笑)」
冨山「それで2回目、実質2回目ですね。割り切ってパターン認識でいったら、わりといい点で受かりました(笑)」
久保利「だから、そういうものなので、そのことがわかる人は、成績優秀者になれるんですよ」
冨山「そうですよね」
久保利「自分で一生懸命考えて真面目に勉強する子たち、場合によると、それ実務家になったときには、そっちのほうがいいんですよ」
冨山「そっちのほうが。わかります、わかります。すごくわかります」
久保利「そういうものなのに、誰もそれ教えてくれないで」
冨山「それに気づく人は意外と多くないってことか」
久保利「ね(笑)」
久保利「結局僕は、アフリカ行ってインドに行って、色んなことをやってるうちに、全部中に入ってたやつを忘れちゃいました」
冨山「それいいことですね。一回こう」
久保利「全部」
冨山「流しだして」
久保利「全部、もう消化しちゃってね。出しちゃってね」
冨山「なるほど」
久保利「で、もう「君は本当に白紙手形だね」と言われるぐらい、白紙の手形みたいにね」
冨山「はいはい」
久保利「何もわかりません、なんでしたか、それは」
冨山「そっかそっか」
久保利「というくらいで帰ってきて」
冨山「どれぐらい行かれてたんですか」
久保利「半年です。毎日、命がなくなるかもしれないという」
冨山「すごいとこですもんね」
久保利「帰ってきて、研修所に入るわけです」
久保利「研修所に入る人たちは、直前まで勉強してた人が受かって入ってくるから」
冨山「そっか、そっか」
久保利「それのかたまりなわけですよ」
冨山「そうか。間髪いかずに行きますもんね」
冨山「でもその半年間は大事な半年間でしたね」
久保利「多分。僕、人生の中で77年生きてきて、あの半年間が一番大事だったと思いますね。死ぬとか命がここでおしまいかもしれないという経験があるから、弁護士になって、怖いものなしですよね」
冨山「ああ、そっかそっか」
久保利「「殺すぞ」と言われたら「はいどうぞ」と。「ただ殺されないよ」と「お前も覚悟して来いよ」と」
冨山「先生が半年間」
久保利「ええ」
冨山「学ばれたようなことを本当はちゃんと学んでいくべきなんですよね」
久保利「だと思いますね」
冨山「大人になる過程で」
久保利「僕は当初は、横浜から出てシベリア経由でハバロフスクから電車で行くつもりだったんだけど、それじゃあね。6カ月しかないのに」
冨山「そっか時間が」
久保利「たまんねえというんで、急きょね。飛行機に乗り換えて、ハバロフスクからモスクワまでは飛行機で飛んで」
冨山「飛んで」
久保利「モスクワまで行けば、すぐヨーロッパですから」
冨山「そうかそうか」
久保利「あとユーレイルパスで、ダーッと」
冨山「下りていって」
久保利「下りていって。それで最後は地中海を船で渡って、あとナイル川を地元の人と一緒に」
冨山「エジプトのところに入っていったわけですか」
久保利「エジプトをずっとスーダンまで。地元の人と同じ。下層の方々とボートで一緒になってね。スーダンから上がって行って、アスワン・ハイ・ダムなんかをずっと」
冨山「おお、アスワン・ハイ・ダム」
久保利「スーダンからエチオピアにね」
冨山「はいはいはい」
久保利「トラックに便乗したりいろんなことして行って」
冨山「はいはいはい」
久保利「それでアフリカ、ケニア、タンザニア、ザンビアまで行きました」
冨山「ほお」
久保利「毎日毎日が死線をさまよっているみたいな感じでしたからね。だから僕は、あの半年間はすごい勉強になりました」
冨山「ちょうどあれですか。前の東京オリンピックぐらいの年ですか?」
久保利「東京オリンピックは入学した年でしたから、大学に一浪して入った年が」
冨山「64年」
久保利「64年。行ったのは68年なんです」
冨山「そっかそっか」
久保利「パリで学生革命が」
冨山「ちょうど大変な時だ」
久保利「カルチェ・ラタンとか」
冨山「第五共和制とかあのへんだ」
久保利「ああいう時代ですよね」
冨山「はいはいはい」
久保利「世界中でどんどん植民地になっていたところが独立をし始めて」
冨山「アルジェリアとかぐちゃぐちゃのときですよね」
久保利「全部ね、大変な時代なんですよ」
冨山「自分はそのころオーストラリアにいたんです。父親の仕事で」
久保利「あ、お父様の。そうですか」
冨山「うちは父がカナダ生まれの移民だったものですから」
久保利「ほお」
冨山「だから国籍はカナダ人なんですよ」
久保利「カナダ人」
冨山「戦争の時に帰ってきて、いわゆる帰米二世というやつです」
久保利「うんうん」
冨山「戦争の前に、直前に帰ってきたんですよね」
久保利「はあ」
冨山「そういうちょっとうちも変わった家で」
久保利「変わってますね」
冨山「いわゆる2つの祖国にこう分かれちゃった」
久保利「そっか」
冨山「色々あって大変だったんです。残っていれば強制収容所ですよね」
久保利「ですよね」
冨山「全財産没収で」
久保利「はいはい」
冨山「少しお金があったおかげで、うまいこと船を」
久保利「きっとね」
冨山「普通の人はやっぱ厳しかった」
冨山「ちょっと成功していたんでよかったんです。元々父の兄が成功していたものだから、ひと足先に帰って」
久保利「帰って」
冨山「東京帝国大学の法学部にいたんですよ」
久保利「はあ」
冨山「ところがですね、伯父は、学徒出陣に」
久保利「あ、そっか」
冨山「僕の伯父は亡くなっちゃうんですけどね、戦争で」
久保利「昭和18年ぐらいの例の神宮のとこ、あそこ行くやつですね」
冨山「歩いてましたよ、伯父は。うちの父親に言わせると「これがうちの兄貴や、兄や」って言うんですよ(笑)」
久保利「(笑)」
冨山「なんかね。いちおう銀時計組だったらしくて、前の方を歩いているんです」
久保利「ほぉ」
冨山「残念ながら亡くなるんですけど。父親はぎりぎり招集を逃れた」
久保利「そっか」
冨山「昭和6年生まれだったので逃れて生き残った。で、大学を出てすぐ商社に行って、ようするに英語はネイティブです」
久保利「あ、それはすごいですよね」
冨山「あの時代のネイティブって滅多にいないでしょう。敵性言語ですから」
久保利「ですよね」
冨山「それでずっと海外勤務だったので、僕が子どもの頃はオーストラリアで鉄鉱石を売っていました」
久保利「ふーん」
冨山「だから自分の最初の学歴はダルキース(Dalkeith)小学校というパース(Perth)の小学校です」
久保利「おー、パースなんだ」
冨山「いいとこでしたよ」
冨山「鉄鉱石が北で採れるんですよ。鉄鉱石。ジェラルトン(Geraldton)というとこです」
冨山「まだね当時白豪主義だったんで」
久保利「はいはい」
冨山「有色人種はいないんですよ」
久保利「イエローはダメなんでしょう」
冨山「ええ」
冨山「だからよくある話で、名誉白人的扱いだったんですけど(笑)」
久保利「オナラブル(The Honorable White)というやつですね(笑)」
冨山「ええ。ただやっぱり微妙な感じでした。小学校の中に日本の商社の人の子が数人いるんです。だからみんな見に来るんですよ」
久保利「ほお」
冨山「見たことないから有色人種」
久保利「これが有色人種かと」
冨山「ちょっと動物園みたいな感じで。まあね、もうちょっとわかっていたら「このやろう」と思ったんでしょうけど。そんな感じでした」
久保利「ほお」
冨山「先生のような生きるか死ぬかじゃないですけど」
久保利「いえいえ」
冨山「異文化」
久保利「異文化ね」
冨山「異文化体験」
冨山「元々ね、父親が異文化だったんですけど」
久保利「だから耐性があるんですよね」
冨山「そういうのは、ちょっとあるかもしれないですね」
久保利「ああなるほどね。なんかね。先生と僕、似てるよねと」
冨山「ああ。恐縮です」
久保利「(笑)考え方がすごい似てて。しかも」
冨山「まあそうかもしれないですね。同じ問題があると、似たような結論になっちゃいます」
久保利「なっちゃいますよね」
久保利「僕、ずっと法曹養成とか、ロースクール創ったり」
冨山「ああ。はいはい」
久保利「いろんなことしてましたけど、根本的にはやっぱり自分で学ぶしかなくて」
冨山「そうなんですよ」
久保利「ねえ」
冨山「試験でなんかやたら少なく選抜するって間違ってますよね」
久保利「アホでしょう」
冨山「ええ。通しておけばいいんですよね(笑)」
久保利「みんなどんどん通してね。バッジ一つで一生生きていこうって図々しい」
冨山「それは間違ってます、明らかに」
久保利「ねえ」
冨山「先生とも、この議論はしていますけど、今の仕組みがまた異様に中途半端ですよね」
久保利「異様でね。しかもしょっちゅう変わるでしょう」
冨山「昔は逆に少なすぎたんで。バッジつければ一応飯が食えるという時代だったじゃないですか」
久保利「うん」
冨山「で、それを止めるんだったら、今言われたように」
久保利「ねえ」
冨山「基本的に法科大学院卒業したら全部通して」
久保利「そういうことですよね」
冨山「ですよね」
久保利「お前、試験に通りたいのか、いい弁護士になりたいのか」
冨山「そうそうそう」
久保利「そこですよねと、僕思うんでね」
冨山「なんか旧試験そのものでしょう、予備試験」
久保利「いや、もう予備試験って完全に旧試です」
久保利「旧試そのまんまで受かってくる。旧試の方が新試よりも、ある意味では覚える要素が幅広いです。そうすると、それを全部深堀りして覚えてきちゃえば、新司法試験なんかもう100%近く受かる。今、93.5%ですよね。予備試験を経由してきた人の合格率は」
冨山「そっか、そうなっちゃうんだ」
久保利「東大だって50%割れてるわけです。東大ロースクール」
冨山「そうだそうだ、出てましたね、この前パーセンテージが」
久保利「試験というのは、素晴らしいプロフェッションを作るためにはね」
冨山「いやいやいや、全然関係ないですから」
久保利「ダメでしょう」
冨山「なんでみんなあんなにこだわるんですか。試験みたいなくだらないものに。くだらないって言わない方が(笑)」
久保利「いや、くだらないと思いますよ」
【冨山 和彦 PROFILE】
株式会社経営共創基盤共同経営者共同経営者(パートナー)
IGPIグループ会長
1960年生まれ
東京大学法学部卒 スタンフォード大学経営学修士(MBA) 司法試験合格
ボストンコンサルティンググループ
コーポレイトディレクション代表取締役を経て
2003年 産業再生機構設立時に参画しCOOに就任
2007年 経営共創基盤(IGPI)を設立し代表取締役CEOに就任
2020年10月IGPIグループ会長
2020年日本共創プラットフォーム(JPiX)を設立し代表取締役社長に就任
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