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ファンタジーショートストーリー ”ネージュ”

ネージュ

「見てごらん、この下の世界を…わたしたちには何の苦しみもないの」
「母上、苦しみとは何ですか?」
「ごらん、彼らの動きを」
「母上、分かりません」
「彼らは戦っているいるのよ。とても苦しんでいるの。武器と呼ばれる道具を使って命の奪い合いをしているの」
「そして、彼らはどうなるのですか?」
「彼らは死んでしまうの。でもわたしたちには死は来ない。永遠の命があるから」
「彼らは死んでしまった後、どうなるのですか?」
「わたしにも分からないわ。でも、わたしが幼い頃に聞いた奇蹟の話があった。下の世界の若者の・・・」

下の世界、あらゆる場所で彼らは命の奪い合いをしている。

ネージュは視線を移した。
そこは草原。たったひとりで数頭の羊を連れている青年が目に留まった。
彼の名はフレイム。

夕刻になると、青年は竪琴を弾きながら羊を眠らせる。そして彼は数え切れぬほどの星に向かって祈りを始める。
「幼い頃、戦いで生き別れた母を探しています」と。

わたしはわたし、彼は彼。下の世界に住む人間…ただそれだけ。


舞踏会が始まる。
ミーデの世界の舞踏会は、神から選ばれたカップルをつくるため。
神に決められた相手とカップルになる。ただそれだけ。

ネージュはある青年とカップルになった。

彼はネージュのことを「好きだ」と言った。

好きってどういう感覚? ネージュはずっとその感覚を知らなかった。
「好きって…なんなの?」
「君を愛しているということだよ」
「愛するって…なんなの?」

彼がネージュを抱きしめ、くちづけ、そして抱きしめる。
そして彼は神の許へ向かう。

フレイムを見つめているネージュ。
彼は歩き続けている。
羊が一頭倒れ、歩き続ける、また羊が一頭倒れる。

やがて、彼はひとりになった。

草原はやがて、荒野になっていた。そして砂漠に辿り着いた。
食べるものも、水ももうない。
あるのは背中の竪琴だけ。

フレイムは満天の星の下で、竪琴を弾く。
彼は倒れ、そして眠りにつく。

朝が来た。
太陽が彼を照らす。風が彼を撫でる。彼のくちびるが乾いてゆく。
動かないフレイム。

ネージュは彼の身体に雪を降らせる。雪は陽の中で融け、彼には届かない。

日が暮れ、星がひとつずつやってくる。

たったひとひらの雪がフレイムのくちびるに触れた。

かすかに瞼を開けるフレイム。
彼の傍らに佇む女性をネージュは見つけた。

あれはわたしだわ。

「フレイム」 彼の名を呼んだ。
「わたしよ、わたし ネージュよ」

ネージュは横たわったままのフレイムを抱きしめると、そのまま眠りに落ちた。

ネージュは夢を見る。
フレイムに抱きしめられる夢。空には数え切れない星。ミーデの世界は見えない。
「これが愛なの? もう二度とミーデには戻れないのね… この満たされた気持ちはなんなの?」

フレイムが目を覚ます。
「ネージュ…」
「そうよ、わたしはあなたを愛するネージュ、そうネージュなの」
「ネージュ…ネージュの瞳に…たくさんの星が見えるよ」

呼吸が消えてゆくフレイム。
ネージュは彼のくちびるに触れる。触れるか触れぬかのすきまで。

フレイムは炎…
ネージュは雪…

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