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「世の中、変人しかいない」と変人に言われて妙に納得してしまった変人が、改めて「ふつう」を考えて見た。

こんばんは。もやもやが止まらない今日この頃、以前言われたことをふと思い出したので、そこから少し潜ってみた。もやもやの原因はこちら。

そんなこんなで、思い出したこのセリフ、「世の中、変人しかいない」ってやつ。すごいシンプルなんだけど強烈で、160km/hのど真ん中ストレートくらい強烈すぎて見逃してしまいそうな、そんなひと言。多分、たいていの人は言うだろう、「自分はふつうだ」と。そうだね、ふつうだよね!って同意してあげたい気もするけど、どう見てもあなたは変人だよね?あなたと同じ人はどこを探しても見つからないよ?えっ?それでも変人じゃなくてふつうだって?じゃあ、あなたの彼女はふつうの人の中から何であなたを選んだの?あなたがふつうだったら、あなたの彼女は別のふつうの人のところに行ったって良いよね?ふつうなんだから、どっちでも変わりはないよね!ってなことを言いたくなるわけで。

「人はその周りの五人の平均値だ」という言葉がある通り、社会的ステータスの近い人々は集まりやすく、自分の見えている物が世界の「ふつう」であると錯覚してしまいます。しかし、自分の見ている世界は社会のほんの一部にしかすぎません。

ということについて、

全くその通りだと思う。

と書いたのだが、しかしながら、これは必ずしも正しくはないと思い直ってきた。

これを是としたら、学校でのイジメも不登校も、村八分も起こりえないんじゃないか?むしろ、この時点でズレが生じているんじゃないか?と。朝食はご飯派ですか?パン派ですか?目玉焼きには何をかける?醤油?ソース?何もかけない?お菓子は、きのこ派?たけのこ派?あなたの好きな教科は何ですか?好きなスポーツは?好きなアイドルは?
全ての価値観が同じであれば、つまり、全てふつうであれば、何ら問題も起きないわけで、何らかの違いが生じたとき、つまりは変人がいたときに起こる反応があるんじゃないかな?などと思う。

世界に75億くらいいるのに、あなたはひとりしかいないんだから、どう考えたって変人でしょ?というのは否定出来ないし、逆に、ふつうって概念はいったい何なんだろう?ってなってくるんだけど、単純に考えるとマジョリティーってことなんだろうか?でも、変人の集合のマジョリティーにどういう意味があるのだろうか?

ふつうという言葉は、ふつうに使われているのだけども、何となく、この辺りのことを深く潜って考えた方がいいだろうなぁ、という気になってきた。どことなく、Negative capabilityの匂いがプンプンするのだが…。

何となく思うことがひとつあって、ふつう、ふつう、と言っているところは、多分、世界の中心であるように思われているのではないか…ということ。世界の片隅にはふつうは無いのではないか?ということがありそうだ。

カメラ片手にゆっくり考えていこう。

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