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「これが正解!」って「正解」って何だそれ?何ドヤ顔してんの?っていう話。

コロナがウザイし、満員電車がウザイし、トイレットペーパーを買い溜めしまくるほどお腹の調子が悪い人が多い今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。コロナのワクチンより、まずは整腸剤を配りましょう...。

最近、耳にした言葉の中で一番違和感があって、とても気持ち悪い言葉が「正解」という言葉。まぁ、その時のエピソードは特に意味はないので省きますが、一体何なのコレ?っていう話です。とりあえず、憲法とか法律とかそういう類のものは全く別の話なので横に置いておきます。

一般的に何でもそうだと思うんですけど、人間が何かをするときに「これが正解!」っていうものがあるものなのでしょうか?例えば、カメラを買いましょう!ってときに、どのメーカーのどのモデルを買うのが「正解」とかってあるんですかね。Nikon?Canon?Sony?Leica?フルサイズ?APS-C?いや、iPhoneだ!?訳分からんとです。レンズもまた然りです。いわゆる大三元が「正解」ですか?標準レンズの50mmf1.4の単焦点が「正解」ですか?いや、オールドレンズだ!?ピンホールだろ!?は?何言ってんの?

風景写真を撮ってみましょう!三脚を立てて、絞りまくって、パンフォーカスにするのが「正解」です!とかって、「は?」としか思えないんですよね。手持ちで、絞り開放で、前景をボカしまくったらダメなんですか?「不正解」なんですか?みたいな感じです。ってな事を言うと、「ではお前は三脚使わないんだな!」とか「絞るんじゃねぇぞ!」とか、そういう輩が湧いてきそうですけどね。

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◇Canon EOS R + Carl Zeiss Planar T* 1.4/50 ZE (ISO100 f/1.4 1/8000sec)

で、お前は何を考えてるんだ?というと、「正解」なんてものは存在しないでしょう?と。どんな機材で、どんな風に撮ったとしても、何れかのひとつだけが良いわけでなくて、みんな良いんじゃないの?もっと言えば、あなたがしたいと思うことが出来るのであれば、その手段は何でも良いんじゃないの?それに、あなたと私がしたいことが例え同じであっても、その手段が同じじゃなくても問題ないでしょ?ってこと。

でも、写真家の〇〇先生がセミナーで言ってたから、これが「正解」なんだ!とかっていうのは、まぁ出てくるでしょうね。ここまで来ると、何も言えねぇ〜!の境地になってくるのではありますが、何故「正解」に拘るのかなぁ?というところは、何なのだろう?とは思うわけで。

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◇Canon EOS R + Carl Zeiss Planar T* 1.4/50 ZE (ISO100 f/16 1/2sec)

こういうところの話は、ちょっといろんな意見を聞いてみたいってところもあるので、続きはまた気が向いたら書いていこうと思います。まぁ、それにも「正解」は無いとは思うんですけどね。

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