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全開アイ・ラブ・ユー 2日目その2

また新たな漁港を置き去りにした。はじめの三つまでは数えていたのだが、もう数えるのもやめた。名も知らぬ港に番号を振るのは無粋だ。邪魔くさくなったからというのもあったが、前の理由にしておいた。
海岸道路に出てからというもの、前にもバックミラーにも車が現れない。漁港を抜ける時、路肩に停る軽トラックを躱すという事はあったが、走る車は珠に会う二三台連なる対向車の車列くらいだった。だから自分の心地よい速度で走ることができた。今の速度は100キロと少し。体がこの速度が良いと欲していた。
何度かの漁港を越えると、海岸道路は海から離れ、高度を上げた。両脇に浅葱色の野原が広がる。道に合わせ数度、右に左に車体を倒しこみ、丘の上へと駆け上がる。カーブの出口で車体を起き上がらせると、前方に黒い排気を人いきれ吐き出すダンプの車列が現れた。五台あった。同じ尻が等間隔で連なっていた。
すぐさま追いついた僕は、最後尾のダンプの尻に行く手を塞がれた。緩やかな登りとはいえ山道だ。背に積む荷物の重さを加算すれば重力に抗い走る彼らのペースが、愛車より遅いのは致し方ないのだが、炭より黒い排気ガスを、アクセルを踏み込むたびに吐き出されるのは、顔を晒す形のジェットヘルを着用している僕には堪えた。煙く苦く、視界も黒い霧に覆われ、参った。
せっかく乗ったペースも乱された。ダンプだって70は出ていたろうが、この速度では今の僕には居心地が悪かった。気持ちが乗らぬのだ。
何とかしてペースを取り戻したい。
黒い煙の中、僕は車体を目いっぱいセンターラインに寄せて、身を乗り出し、前を覗き込んだ。
大きな尻が五つ。
一番先頭のダンプの前まで一体どれほどの距離があろうか。ダンプの車長だけで十メートル弱。それぞれが車間距離を少なく見積もっても三四十メートルは取っているだろう。しかも相手も走っている。それもかなりの速度で。
数学が得意な奴なら、全てを抜き去るのに何キロ何メートル必要だ、と計算するのであろうが、僕はそこまで勉強熱心な性質ではなかった。だから目算も立たない。
ただ言えることがある。普段なら絶対に抜きを掛けたりはしない。という事だ。片側一車線の山道だ。一台なら考えた。しかし五台が連なる。
だけども今は旅の空だ。いつもとは違う。このままダンプの尻に尾いて、この道を往くのか?
無い。ありえない。僕は思考するより前に、感覚で答えを出した。
なら、どうする?
対向車線に出て、一台、一台、また一台と抜いてゆくか…。それも面白くない。そんな風に思いながら、ダンプの尻に付いて走っていた僕の視界がパッと開けた。丘の上に出たのだ。両側は真っ平らな草原。走る道はそれを真っ直ぐに貫く。最後尾のダンプの尻の端から身を乗り出し、覗き込んだ視界の一番奥に左に折れるカーブが見えた。直線道の端まで先頭ダンプの前方にまだ何キロか余裕がありそうだ。対向車もいない。
行くなら今しかない。しかもやるなら五台いっぺんに、だ。
きっと無駄、無理、無茶に無謀が加わる。
ダンプ五台ぶっちぎりを決めた僕は、対向車線に躍り出て、敢えて四速に一段落としアクセルを目いっぱい絞り上げた。みるみる加速に乗る。一台目を抜き、二台目の横っ腹のあたりで五速にシフトを上げた。クラッチを離すと同時に再加速。三台目に取り掛かったところで、前方カーブの先から対向車が現れた。
対向車が到達する前に五台目まで抜ききれるか?
出来る。と僕は判断した。根拠はない。やりたかったから、やれると踏んだ。五台いっぺんに、ってのがやりたいのだ。舞台、登場人物全てが揃うこんなシュチュエーションは二度とない。
だからスピードは緩めなかった。
だが、こちらは百数十キロ。対向車もきっと三桁に近い速度だったはずだ。両者の距離はみるみる縮まり、姿は大きくなり、三台目を抜いたところで相手の運転手の顔が拝める距離に近づいた。このままでは正面衝突だ。対向車線の優先権は当然向こうにある。
僕は已むなく、四台目と三台目の隙間に愛車を捩じ込んだ。
対向車がクラクションを鳴らしながら、交差する。風が乱れた。ダンプの間で。馬鹿ライダーを咎める風だ。
三台だ。抜き去れたのは。五台抜く、と息巻いていたというのに。
バックミラーを覗く。真後ろを走る三台目のダンプ運転手も、この馬鹿なにをしてやがるんだ、という目で僕を見下ろしているように見えた。
確かに何をしているのだ、だ。
彼らは同僚達と日常の運搬作業をしているだけなのだ。此方が勝手に追い抜きをかけ、そして敗れた。勝敗なんて無かったが敗れたのだ。
しかしながらこのまま、ダンプにサンドウィッチされ進むわけにも行かないので、僕はまた覗き込んで、対向車線にその身をさらした。加速をかける。あれほど長かった直線の終わりも近づいている。ワインディングの追い越しになる前に、と後の二つに追い抜きをかけた。四台目を抜き、五台目を抜く前に直線の終わりが来た。
一度、走行車線に戻った僕は、曲路を前に速度を緩めた先頭車に再度、反対車線に躍り出て加速をかけ、抜きに掛かり、カーブと一緒に置き去りにした。車体を起こし直しバックミラーを見やる。ダンプはもう既に小さくなっていた。そして僕の背後に消えた。
無益だ。無益な勝利だ。勝ったかどうかも怪しい。
丘を駆け下ると、また海岸沿いの道になった。北日本海の青が眩しかった。丹後半島あたりの日本海より青が鮮やかに見えた。気分的な問題ではなく、色彩的にも色が違った。水彩画の大家なら一段明るい色を使うはずだ。そんな色だった。
切り立った断崖が直接、日本海に落ち込む。僕は、その淵を切りとった海岸道路を自分の速度で走った。せり出す断崖をくり抜いたトンネルを幾つも超えて、北へ向かった。
小樽を発って二時間近く経ったろうか。古いカワサキ車である。燃費はすこぶる悪い。それは自覚していた。此処まで大体、100キロ巡航。距離は時間の割にかなり稼いでいる。そうなるとタンクの燃料残量が気になった。
国道にかかる標識を見た。
増毛。聞いた事のある町だ。この次の街まで一体どれ位あるのか、見当もつかない。これまで走ってきた道も小さな漁港は幾つも越えて来たが、ガソリンスタンドのある町というと数える程だったように思う。
と、するとこの町で給油をしておいた方が良さそうだ。
増毛市街地という標識に従って国道から離れ、速度を緩めて、町の中へ入っていった。背の低い町だったが、石狩川を越えてから初めてのまともな町。のろのろと進んだ。時速百キロの風圧が無くなると腹の辺りから背中、そして手足へと体温が巡ってゆくのが感じられた。これだけ風によってぬくもりが奪われていたのだ。僕は不意に小便をしたかった事を思い出し、目に入った屋根も無いスタンドに愛車を滑らせた。
出てきた店主に「レギュラー、満タン」と依頼し、脇に見つけた四角いコンクリート製のトイレに駆け込んだ。
尿意をもよおしてから軽く一時間半は経っていた。よくもまあ漏らさなかったものだ。というより、もよおしていた事すら忘れていた。旅が体をそうさせたのか、と止まらぬ小便の突き刺さる便器に、推理を張ってみた。
答えなど出ない。一人旅など初めてだったし、小便の切れにも出にも頓着した事すらもない。背中の震えと共に最後の一滴まで絞り出した僕が愛車に戻ると、もう給油は完了していた。
「京都から?」料金のお釣りを返してくれた店主が愛車のナンバーを見て、尋ねてきた。
「ええ」
「今日はどこから?」
「小樽からです」
「朝一番に出たんだ」
「ええ、まあ」
 彼はこの地の者で、僕は旅の者。同じ言葉を操っているのに、立っている場所が違っているようで、何故か遠く感じた。
でもだからこそ、地元の人は、僕にはまるで掴めないこの大地の距離感がよく分かっている。だから訊いてみた。
「稚内までって、どれくらい掛かりますか?」
「うーん、単車なら四時間くらい見とけば」店主は僕の愛車を一瞥して言った。
 四時間か。今が九時過ぎなので十三時。昼過ぎには着く計算だ。一日でたどり着けるか不安だった場所が、手に届く場所になった。
というより半日で着くのは、いい事なのだろうか? 
只の先を急ぐ人になってはいないか?
一人旅。旅を始めて最初の会話で考えた。
ただ言える事がある。ガソリンスタンドの軒先を借りて考える事ではない。そんなこんなや、あれやこれやを置き去りにするのが、単車旅だ。特段、ややこしい人間関係を憂いての旅ではなかったし、孤独に苛まれてもいなかった。単純明快。先があるから進む。行きたいところに行けばいい。
エンジンに火を入れた僕は、国道に向かうなら町を突っ切ってゆけ、という店主の言に従って元来た道に戻らず、町の中を突っ切った。同じ道を二度使うのは敗北だ。初めての土地では、初めての道を使うべきだ。なんとなく単車乗りの格言。
だから僕は、普段の一日ツーリングでも行きと帰りは違う道を使うようにしていた。大した意味はない。きっと新たな電柱を見つけるたびに、小便を引っ掛ける野良犬に似た衝動だ。
 店主の言うとおり、スタンド前の道を進むと、町のはずれで国道にぶつかった。国道は地図によると町の周りをぐるりと囲むように通っていたので、この小さな町の大きさだけショートカットできたという事になろう。
 海沿いの国道に戻ると、また僕はスピードを増した。あの風を感じていなくてはいけない、と思うようになっていた。そうして漸く乗っている、と体感できた。
 増毛を越えてしばらく進むと海岸国道は、留萌という町に行き着いた。増毛よりも大きな町だ。町の中を時速百キロでは走れない。減速を余儀なくされる。国道はそのまま町の中を二三分走ったあと突っ切り、町のはずれの川を渡ると、名を232号と変えた。
 また、ブンっとアクセルを振り上げる。
今走っている道は別名、天売国道だったり、オロロンラインなどと呼ばれているようだ。路肩の看板がそれを教えてくれた。
天売とは、この先にある北日本海に浮かぶ天売島の事だ。オロロンとは、その島に棲むウミガラスの事だそうだ。兎に角、北へ向かう道って事だろう。
きっと深く調べれば、歴史的なトリビアの一つや二つは出てくるのだろう。
冬のある日、催した日本海へのキャノンボールで使った道だってそうだ。

今年の二月の日曜日、朝目覚めた僕は、冬にはめずらしい青空に、まだ単車では行った事の無い日本海に行こうと思い立った。いつか行きたいと思っていただけで、計画を立てていたわけでもなかった。ただ行こう、と思えば止まらなくなっただけだ。無為な日曜を過ごすよりは有益だし、タンクの中の燃料も満タンに近いくらい残っていた。
そして、いつもより中に一枚多く着込み、内ゴアのびっしり付いたデッキコートを羽織った僕は、日本海に向けて飛び出した。
道順は大体だ。手探りで丸太町通の先に出て、京都の街のはずれから国道162号線に乗った。これが別名、周山街道。北山杉の植林山の中を進む道だ。山に入ると路肩には前日に降った雪が白く積もっていた。僕にとっては十分山道だったのだが、タカオ兄によると、この十年ほどで街道は山を貫くトンネルまみれになりワインディング道としては死んだ、のだそうだ。その頃を走ったことのない僕には意味がよく分からなかったが、タカオ兄が真新しい白い壁のトンネルは全て、その山を登り下るワインディングだったと思え、と言っていたのを思い出し、トンネルを越えるたびに壁を注視していると、なるほどと唸るしかなかった。
京都市の果て、旧京北町との間のトンネル以外は全て白い壁のトンネルだった。この全てでワインディングがなくなったのだ。
そう考えると車の通行性は抜群に向上したが、単車乗りの遊興性はタカオ兄の言う通り、死んだと言える。
周山街道は北山杉の山を抜け、しばらく進むと山の中で福井県に変わった。福井県になった途端、ダウンヒルになり、ナタショーという名の村に入った。福井に入れば直ぐに日本海が拝めるのかと思ったが、そう甘くはなく、川に沿って田舎道をひた走って小一時間、やっと小浜の町に入ることができた。今度は海への入口を探す。岸壁では駄目だ。砂浜でなければ海へ近づけない。市内を流し、コンクリートの先に海浜公園を見つけた僕は、愛車を路肩に停め、砂浜に殺到した。厚手のグローブを外し、潮水に手を入れた。冷たい。それ以上だ。凍る。そして僕は踵を返した。キャノンボールだ。取って返さなければならない。アホな事をしていると自分でも思った。だが、すぐさま帰路に付かねばキャノンボールとなりえないのだ。単車に飛び乗った僕は、帰り道に京都と小浜を繋ぐもう一つの道、鯖街道に乗った。名の由来は、中世に鯖をはじめとする日本海の海の幸を、京の都に運んだ運搬道であった事に由来する。歴史の勉強だ。その昔は天秤棒などを担ぎ、京都までこの山の中の道を歩いたのか、などと思い、単車を走らせると往時が偲ばれる。
僕は道なりに進んだ。なぜか琵琶湖に出た。途中で近江なる文字が出て、嫌な気がしていたのだが、湖西線の線路を潜ったところで諦めた。愛車を路肩に停め、近江今津の浜に腰掛けた。一時間ほど前に日本海にタッチして、さっさと立ち去ったのは何だったのか。琵琶湖ならいつでも来られるのだ。KHを手に入れてからも一度、ぐるりと一周しているし、南端の大津のあたりだと京都から二十分も掛からない。淡水には用はなかったはずだ。
もはや弾丸ではなく、流れ弾になっていた。ため息をついて漸く僕は、キャノンボール中であることを思い出した。鮎のいる湖のほとりで。
鯖街道を進んでいたはずだった。どこかで曲がらなければならなかった事は明白だった。このまま湖沿いのバイパスを進んでも京都には帰れる。むしろ早く着く。だが鯖街道を無視して帰れるのか? それは道に反する。何事にも初志貫徹を強いていたわけではなかったが、自分の気まぐれで始めたことまで、やり遂げぬというのは違うと思った。だから戻らねばならぬのだ。来た道を。鯖街道とぶつかる何処かまで。
僕は愛車に戻り、キック始動した。エンジンが掛かりやがらない。真冬だ。しばらく置いていた間に冷め切りやがったのだ。KHは一度こうなると手に負えない。結局、嘔吐く程の回数キックを呉れ、やっと始動した。跨るとすぐさま走りだし、アクセルをぶん回して機関を強制的に暖めた。
湖西線をもう一度潜り、一時間前に越えた山へ向かう。あの前方に見える比良山系の山塊のどこかに鯖街道への入口があるはずだ。
三十分ばかりかけ、脇道が交差する山の中の信号で標識を発見した。木々が巧妙に覆い、一時間と少し前には見つけられなかったものだ。鯖街道は国道のはずであったが、入口は随分と細いものであった。此処を先程は真っ直ぐ突っ切ってしまったのだ。
鯖街道へと左に折れると、すぐさま山あいの集落に入った。中央線と路肩に小さな穴が一メートル毎に開いており、そこから細く噴水のように水が弧を描いていた。雪を溶かすためのものだと理解した。北近江は山ひとつ挟んで北陸と隣り合う近畿でも有数の豪雪地帯だ。だからこのような設備が必要なのだ。初めて見る路肩噴水に濡れる集落道を、珍しげに見下ろしながら、滑らぬよう減速して進んだ。ジーンズに噴水がかかった。裾が濡れる。冷たい。走っているうちに風で乾くだろうが、勘弁してくれよと僕は思った。鯖街道は集落の中の坂を登り、山中へと入ってゆく。快調だったはずのエンジンが、アクセルに応えてくれなくなった。裾が濡れているという事はそういう事である。僕は視線を下ろし、エンジンをのぞき見た。湯気が上がっていた。水をかぶったのだ。そして蒸発している。この回転数では止まる、と判断した僕はクラッチを切り、アクセルをぶん回した。タコメーターが跳ね上がり、比良山中にカワサキトリプルの爆音が木霊した。
ブンッブンッブンッと三度目くらいの跳ね上げの後、ストンとエンジンは黙り込んだ。
山中である。助けはいない。集落は眼下に広がる。だからどうした俺は一人だ。
ライダーの孤独を感じた。
タカオ兄は確か逆輸入車をいじったものだ、と言っていた。カリフォルニアあたりでは雨は降らないから、こういう改造をするのだ、と奈良在住の男に説明された。ここは高温多湿の日本だ。そして今いるのは路肩に雪の積もる福井と滋賀の県境に近い山中だ。
パワーフィルターはいらない。
タンクの塗り替えや灯火類は新調したにも関わらず、キャブレターを正規のものと取り替えなかった叔父に、何か言ってやりたくなった。
単車を降りた僕はしゃがみこみ、散水を吸い、意固地になったパワーフィルターの付くエンジンを恨めしげに覗き込んだ。白い湯気が立ち上っていた。
エンジンはまだ暖かい。これが冷えてしまえば事だ。だから冷え切る前になんとかしなければならない。
押し掛けってのも試みてみたが、何せやった事のない技だ。うまくいくはずもない。ルマン方式と言うらしいが耐久ライダーは、どうしてああも上手く、エンジンをかけられるのであろうか。
ガードレールに腰掛けて途方にくれた。すぐに尻が冷たくなった。どこも濡れてやがる。きっと今朝まで雪が降っていたのだ。
振り返ると、背後には今登ってきた下り坂が、集落まで伸びていた。
下り坂なら単車は転がる。多分そうなる。希望的観測。
前輪を坂の方に向け、愛車に跨った。不格好に足をパドリングさせ、下り坂に乗った。思いのほかユラユラのろのろと愛車は下る。クラッチを切って、繋いだ。よくわからぬが適当にやってみた。エンジン始動。火が入る。消してはならぬとアクセルをぶん回した。やり方が正解かどうかは分からなかったが、現にエンジンは掛かっている。間違いではないはずだ。エンジンの仕組みなんてどうでもいい。掛かっちまえば、こっちのもんだ。だが集落の散水にかかっては、また元の木阿弥になる。集落まで下りきる前に、狭い下り坂で不格好に何度か切り返してUターンをして、鯖街道を南に向けて走り出した。
鯖街道は周山街道と比べても細く、日の当たらない街道だった。景気に於いても日照時間に於いても。なんだかずっとジメジメしていた。路面の状態も悪かった。均しきっていないのだ。だからダンプに引っかかり、ケツに付いて走っていたら、雪解け水の水たまりを跳ねて引っ掛けられ、またもやエンジンは不調になった。
いや、もう止まるな。
クラッチを握り締め、ブンブンと空吹かして事なきを得た。多分エンジンには悪いのだろうが、山中で止まるよりはましだ。スパルタだ。
ダンプとは車間距離を取り、二次水害を食い止めた。でもこれでは面白くない。道なりに京都府に入ると道が良くなった。ダンプのスピードが増す。これでは追い抜く事も、もうできない。
ダンプの背の影から現れた標識には大原、とある。
京都大原三千院の大原だ。唄は聞いたことはあったが、此処だったとは知らなかった。このまま京都市街まで、ダンプの後ろというのはつまらないので、僕は観光をする事にした。寺院巡りなど女子旅がする事だ。
だから僕は、三千院の境内を忍ぶように歩いた。
周りのすべての女が、恋に破れた女に見えた。
もうキャノンボールでもなくなっていた。

#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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