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お盆に実家の青森県三戸町へ帰ってました


動機はとても不純なものでした。

日程的にはお盆は仕事が入っていたのですが
台風の発生で興行が中止を判断しぽっかり空いた状態。
盆中はゆっくり休めそうな感じになりました。

しかし今現在は私は仕事の日以外の日、つまり休日は
鬱のせいだとは思うのですが
一日15時間くらい寝てしまうという悩みがありまして
どうせそうやって時間を無駄にしてしまうくらいなら
ここで一回実家に帰省したほうが有意義に過ごせるんじゃないか
思い至ったことです。

あとスピリチュアル的な話ですが
何か物事に悩んでいる人がよく「お墓参りをしなさい」
「先祖に挨拶をしなさい」と言われているのをみたことあるのもあって
約20年くらいまともにしてない
……確かにこれはよくないかも
なんて思ったことも起因しています。

いわゆる神頼み。こういうのって全然信じていないんですが
特に生活に変化なくてもただの現状維持ですし
どうせ部屋に居ても寝てしまうので好転するならめっけもん、
くらいの気持ちで帰路の高速バスを予約しました。
幸い、金銭的には借金を完済してから困ってはいなかったので。

それに、親の年齢も随分と重なりました
次帰る時はもしかしたらお葬式かもしれない。
そんな悲しい未来は想像したくないんですが必ずやってきます。
その前に少しでも顔を合わせておきたいな、と思います。
特に最近は。

そんな感じで片道9時間かかる実家への旅路は始まりました。


変わり果てた実家

まず到着したら親が八戸駅まで迎えに来てくれていました
実家は三戸町という南の田舎なので
ここまで来るのに車で40分くらいかかります。

しかし、どうやら三日に一回くらいは八戸まで来てるということで
全く苦にはなっていない様子。
そのままのあしげく通う温泉へと連れて行ってもらいました。

たっぷり3時間。
両親は長湯なので私は早めに上がって本でも読んでようと思ってたのですが
自分もおおよそ同じくらいの時間浸かっていました。
滅多に行かないけど行ったら行ったで堪能するんだな自分。
両親を急かすようなことにならなくてよかったなとほっとしました。笑

そのあとは超大型スーパーへ。
まぁこれといった特別なものは買ってないです。
昼食ということでご当地弁当を食らったくらいです。
十和田の牛肉弁当。東京の弁当より数段美味いです。
もう米が違いますね。

途中途中お店へ寄って買い物を済ませながら荒れ果てた実家へ到着
――というのも、
子供のころ過ごした元実家のほうは老朽化により地面陥没等が起こり
つい3か月前に引き払ってしまったとのことでした。

今住んでるとこの前にこっちに連れてくる両親。笑
一応まだ中にも入れて、
斜めになった畳地面をみて「これはひどい」なんて笑ってました。
季節も季節で蔦も絡みつきまくり、見事な廃墟と言える様相。

40年以上住んだもんなぁ。むしろ長く住んだほうでしょう。
多少寂しいなと思うことはありますが
新居のほうが立地的にも建物的にも良い気がするので
ぜんぜんこれでよかったと思います。

というわけで新実家に到着。キレイです。
元実家は山の上にあったので人里に降りてきた気分です。
……まぁ田舎なのでのどかなのは変わりませんけどね。


新実家からの風景

「実家の新居」という謎のワード。
初めて入る住居でゆっくり過ごすという不思議体験です。
ホテルに泊まるのに近いんだけど実家にあったものが揃ってる新感覚。


一番の目的はお墓参り

まずは実家の仏壇で祖母にご挨拶。
今尚母を見守ってくれてありがとうと心の中で述懐。

実家に帰るのもその祖母の葬式以来でした。
そのときも10年ぶりくらい。
当時はほんとにそれに参列するためだけだったので
ゆっくりとは過ごしてません。

今回はそれから8年ぶりくらい。
それくらい私は帰ってませんでした。
18年ぶりくらいに実家でゆっくり過ごしています

年のせいでしょうか。
あのときは何もない田舎が暇で暇でしょうがなかったのですが
今回はこのゆっくりした時間がとても尊く思えました
来年も、いや以後は毎年帰って来よう。
この時なんだかそう思ってしまいました。
老い先はまだまだあると信じたいお年頃ですが
それでもきっとくるその日までは、こうして顔を見せることが
おそらく親にとっても嬉しいことなのかもしれません。
そう信じられるうちは、なるべく帰って来よう。


まずは同じ町内にある父方の実家へ。
いとこにもご挨拶しお墓参り。
ぜんぜん立ち寄らなかったので実に22年ぶりでした。
ぜんぜん会いに来なくてごめんなさい。
墓前でまず思ったことは謝罪でした。
床屋なので子供の頃はしょっちゅうお邪魔してたんですけどね。

次に県外にある母方の墓地へ。
もうここには誰も住んでないので実家等はありません。
祖母の葬式以来の岩手県。
母方の祖母の家にはよく泊まりに来ていたので思い入れが強いです。
なのでこちらもしばらく来れなかった謝罪もあるのですが
やはり母親を見守ってくれてありがとうと感謝のほうが先に来ました。

――と。まるで自分は見守られていないかのような書き方をしていますが
自分は両親からの愛情を十分に受けていますのでそれ十分というか
現在進行形で受けている恩恵のほうが大事というか、そんな感じ。
先述のとおりあんまりスピリチュアルは信じていないもので。
これまでの私に先祖を敬うような行動ができてなかったというのもありますが。これで見守ってほしいなんておこがましいというか。


晩飯はそれはそれは大量でした。
裕福なわけではないので豪勢とは形容しがたいのですが
父親とは乾杯もできて母の手料理もふんだんに並べられて
歓迎されているのをひしひしと感じていました。

家庭の味ってなんなんですかね
うちは父親も料理をするのですが、もうつまみも美味い。
母親のカレーがこの世で一番美味いとすら思ってます
変わらないその味に舌鼓を打ちながら
テレビでだけど高校野球の青森県出身校を応援もできて
なんだかゆったり幸せでした。


様々な家庭環境があると思います
年を経るごとにいろんな人の家庭や事情を知る機会が訪ずれるわけですが
それらを訊くとうちは随分と恵まれているなぁと感じるのです。

ちゃんと両親が健在で関係性も悪くない
確かに金銭面とか田舎という環境とかで裕福とは無縁だったけど
こうして五体満足で生きてるだけでとりあえずは幸せでしょう。

結婚しないという親不孝はしています。
胸を張って何かを成したということもありません。
そのあたりの成功体験はすべて弟が果たしてくれているので
あとは私が元気で生きることでしょう。
……まぁその弟はしょっちゅう両親とぶつかってるようですが。苦笑
その愚痴を訊くのもまぁ、幸せの一つなのかな。
全くの音信不通よりは幾分かマシでしょう。俯瞰してみたらね。

両親との死別は、遠くない将来、必ず来ます
それまで、何かをしてあげるということはできないかもしれないけど
私が笑顔で会いに来ることでも何か一つ、
伝えられてるものがあるかも
という感覚はあります。

何かひとつ目に見えるもので証明できたら楽なんですけどね。
一応今回一つ、
前職でCDに私の名前が記されたものを見せられることができました。
8bitBRAINに"Artist Manegiment"と表記されているものです。
それにはしゃいでくれた母親。
それを見ると、やってよかったな、と泣きそうになる自分がいます。

こういうのを今後も見せていけたらな。
次はどんな形になるかわからないけど、
そういうものの積み重ねを、棺桶に詰められたら私は本望です

お父さん、お母さん、これからも私は元気で生きていきますよ。
その姿を、なるべく長く見守ってください。
貴方の愛する息子より。


Afterword

時間はゆったりあったので、無駄に広い町内を車でぐるっと回って
あそこが変わった・変わってないって言いながらツアーもしました。
中学校はなくなっていて小学校と合併して一貫校になってたり
十数年ぶりならではの過ごし方ができたかもしれません。
お盆なのに昔の友人とか知り合いとは会えませんでしたが。
みんな多分こんな田舎出てったっきりだろうしなぁ。

今回のサムネは我が古郷唯一の観光スポット、三戸城。

対して賑わってないですが、街の象徴的なモニュメントではあります。
ここの景色も変わってないなぁ。
盆地なので周りが山だらけで当たり前かもですが。


余談ですが、
青森から帰ってきてすぐ九州に行く仕事が入ってしまったので
一日で日本列島を縦断する羽目になりました。移動距離すご!

東京から飛行機で1時間半で福岡行けることを考えると
青森まで9時間かかるバス移動は骨が折れますね。
まぁ好きで選んだ交通手段ですが。


そんな感じで、私の旅路は続きます。
帰る場所があるというのはいいことですね。
来年も、なにもない田舎へ帰れることを祈りながら
今日一日を過ごしていこうと思います。

……とかいいながら
今日起きたのも17時とかなので過眠癖は治りませんでした。
これどうしたらいいのさ!?


最後まで長文お読みいただき誠にありがとうございました。 つっこみどころを残してあるはずなので 些細なことでもコメント残してくれると嬉しいです!