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様々な情報源から推理する歴史の流れと、そこからみえるこれからの生き方のヒント⑤-1 日本人の精神の確立


前回、様々な民族が混血し、日本人になっていったプロセスを見て来ました。




今回は、江戸〜近代について見ていきたいと思います。





江戸までの流れ


江戸まで一気に飛ぶので、それまでの流れについて、簡単にまとめてみたいと思います。



大陸に隋・唐という強力な軍事国家が出来たことで、日本が一つにまとまる必要が出て来ます。



そういった、日本という国をまとめる流れで、古事記・日本書記が編纂されます。


おそらく、その時にあった歴史書や、様々な民族の歴史を、うまく一つの物語にして、日本を一つにしようと、作られたものではないかと思います。



個人的に、気になる部分を挙げてみます。



1、この国の理想は「よろこびあふれる楽しい国」(日本書紀)


戦前までは国史で神話を学んでいましたので、この国の理想「豈國(あにくに)=よろこびあふれる楽しい国」は、国民全員に共有されていました。




2、聖徳太子の「17条憲法」が載っている(日本書紀)


17条憲法の中で一番重要なのは、第1条でしょう。



一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

[現代語訳]
おたがいの心が和らいで協力することが貴いのであって、むやみに反抗することのないようにせよ。それが根本的態度でなければならぬ。ところが人にはそれぞれ党派心があり、大局をみとおしているものは少ない。だから主君や父に従わず、あるいは近隣の人びとと争いを起こすようになる。しかしながら、人びとが上も下も和らぎ睦まじく話し合いができるならば、ことがらは道理にかない、何ごとも成しとげられないことはない。

Wikipedia


「和(やわらぎ)を以て貴しと為す」


これは、日本人の精神の根本にある、と考えられます。



3、シラス統治(古事記)


日本はウシハク(国の主人となって領土領民を私的に支配する)ではなく、シラス(特定の権威のもとに、みんなが集い、そこで情報を共有化して、みんなで、何事かを行う)統治だと、古事記に書かれています。



実は大国主の治政のやり方は、国の主人となる、すなわち領土領民を私的に支配してその上に君臨する、という統治形態であったとわかります。
この統治手法、すなわち「領土領民を私的に支配する」という方法を、「ウシハク」といいます。
「主人(うし)」が「履く(はく=所有する)」つまり、主人が自分のものにする、という統治手法です。

ですからこの「ウシハク」は、「国の主人となって領土領民を私的に支配すること」、すなわち西洋や大陸のかつての王国で行われたことや、国家による他民族の奴隷的支配構造などにおける統治手法を示す言葉です。

そして大国主が、この統治手法の神であったことから、天照大神(あまてらすおおみかみ)様を筆頭とする高天原の八百万の神々は、これを否定します。
天上の神々は天の安河(あめのやすのかわら)で会議を開き、地上の統治を天上に委ねさせることに決定したのです。

そして天照大神(あまてらすおおみかみ)の使いは、次のように大国主神に述べて、国譲りを迫りました。
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天照大御神の命もちての使せり。汝(な)が領(うしは)ける葦原の中つ国に、我(あ)が御子の知らさむ国と言よさしたまへり。かれ汝が心いかに。(古事記)
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使いとなられたのが武門の神様である建御雷神(タケミカヅチノカミ)です。
古事記には、建御雷神が出雲の国の伊耶佐(いざさ)小浜(おはま)に降りたたれ、そこで剣をいて、波の上に逆さに刺(さ)し立てて、その剣の切っ先に大あぐらをかいて、大国主神に国譲りを迫ったとあります。

そしてこのときの言葉の中に、
1 大国主が領(うしは)ける国
2 我(あ)が御子の知らさむ国
という、明確な対比が出てきます。

この「知らさむ国」の「知らさむ」が、「シラス」です。
「シラス」は、古い日本の言葉で、「シラス、シロシメス」などと活用されています。
「シラス」は、「シメラフ」とも活用され、これを漢字で書くと「統(し)めらふ」、つまり「統(す)めらみこと、いやさか」の「統(す)める」となります。

どういう意味かというと、これは「知らしめる」で、いま風にいうと、何かをやろうとするときの情報の共有化です。
つまり「知らせ」を聞いたみんなが情報を共有化し、互いに必要な役割を定め、みんなで一致団結、協力して国造りをする。
そのときの中心核が「シメラフ」御存在となります。

情報は、共有化しただけでは、何も生みません。
そこに協力と共同があって、はじめて、具体的な動きとなります。
つまり特定の権威のもとに、みんなが集い、そこで情報を共有化して、みんなで、何事かを行う。
これが「シラス」における統治手法です。

シラスとウシハク



図を見ると、この違いが分かりやすいかと思います。


(図の引用:昔の日本の農家には名字がなかったのか?



民衆は天皇の大御宝(おおみたから)で、権力者はその宝物の統治を親任されている、という統治システムです。




こういったシステムだったので、戦国時代、戦がある時は、民衆はそこから離れていて、戦が終わったら戻って来て、勝った方に統治される、という形だったそうです。



こういった日本の統治方法がずっと続き、江戸時代は265年も平和な時代が続き、日本の文化は成熟期を迎えます。



この時の日本人の様子は、こんなだったそうです。


「この民族は笑い上戸で心の底まで陽気である」

「日本人ほど愉快になり易い人種は殆どあるまい。良いにせよ悪いにせよ、どんな冗談でも笑いこける。そして子供のように、笑い始めたとなると、理由もなく笑い続けるのである」

「私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい」

「彼らにそそがれる愛情は、ただただ温かさと平和で彼らを包みこみ、その性格の悪いところを抑え、あらゆる良いところを伸ばすように思われます。日本の子供はけっしておびえから嘘を言ったり、過ちを隠したりはしません。青天白日のごとく、嬉しいことも悲しいことも隠さず父や母に話し、一緒に喜んだり癒してもらったりするのです」

「日本人は至って快活な気風を持っている。私は親しい日本人達が暗い顔をしているのを見たことは一度もない。彼らは面白い話がすきで、よく冗談をいう。労働者は何かする時には必ず歌を歌う。またたとえば艪をこぐとか、重い荷をあげるとか云ったような歌の調子に乗る仕事なら、皆が歌うのである」

逝きし世の面影



自己肯定感が高く、幸せそうな日本人の様子が伺えます。




しかし、この時すでに、西洋化への歩みは始まっていました。




少し長くなりましたので、二つに分けます。



⑤-2に続きます。




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