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実家から持ち帰ったもの

お盆休みということで、久々に実家へ顔を出した。


たった一晩の滞在で翌日には帰宅したのだが、両親から近況や仕事のことを色々聞き出されてなかなか面倒だった。とは言え、実家との付き合いとはこういうものだと思うようにしている。


そろそろ帰るかと思っていると、母が書類やノートを無造作に突っ込んだ手提げ袋をクローゼットから引っ張り出してきた。


一体何だと思ったが、聞けば俺の小学生や中学生時代の思い出の品々とのこと。

どうする?持って帰る?

と母。

俺は答えに窮してしまった。見返すのがとにかく恥ずかしかったのである。



試しに当時使っていた「自由帳」をパラパラ捲っていくと、ポケ〇ンやドラ〇エのキャラクターを描いたヘタクソな絵ばかり。

自分の恥部をほじくり返される感覚がして、すぐに破り捨ててやりたくなった。

おまけに「今日はプールへいったよ」なんて文章と共に、首が複雑骨折して手足があり得ない方向に曲がった人間の絵が付いた絵日記まで出てきやがった。

ボロボロで、拙い文字、文章、絵、そして昔の写真。

しかも、写真はどれも髪型がスポーツ刈りに統一されているときた。

無知で純真だった昔の自分の思い出は恥ずかしいことばかりで、昔の自分を抹殺してやりたいと思っている俺としては、今すぐ焼却処分したい品々である。

要るか、こんなもん!

だが、両親に処分をさせるのも忍びない。


どうしたものか、俺は思案した。

しばらく考えて、これは俺の思い出であるわけだし、こんなものが後に俺が処理できなくなってから出てきても困ると思い直し、持ち帰ることにした。

そんな特急呪物を、両親に持たせてもらった食料品と一緒に俺はこわごわと持ち帰った。



帰宅。

持ち帰っては来たが、なんとも忌々しい。

怖いもの見たさで最初にめくってみたのは、小学校3年生の頃に書いた文集である。

酷い絵が書かれた表紙、裏表紙を見て、俺は既に負け戦を予感していた。



好きな授業は?

楽しいことは何をしている時ですか?

好きな給食は何ですか?

どんな時に友達がいてよかったと思いますか?



そんな質問に律儀に答えている俺と他のクラスメイト。

その回答、似顔絵を見ていった。

これは他のクラスメイト約20人の弱みを握ったようなものだと思った。

客観的に見たら面白くなってきてしまった。



さぁ、肝心の俺のページを観てみよう。

各質問に律儀に答えている俺。

クラスの他の男子よりやや理知的で文章がしっかりしている。いいぞ俺。

そして、最後に似顔絵と共に当時の自分を表した詩とも作文とも取れない短い文章が書いてあった。

題と文章が空欄になっていて、自分で考えることになっている箇所らしい。

つまり、俺の最初のオリジナル作品だ。


それを見て俺はたまげた。



題:自分

本文:なんでぼくはこんなにダメなんだ、ケンカも弱いし、運動も出来ないからぼくはダメなのかな。でも生きてなきゃ何もできないからね。


俺だ。紛れもなく俺だ。

小学校3年生にして、既に死生観にまで言及しているのが将来哲学科に入ることを予見しているようにも思う。

何より驚いたのが、ネガティブな思念に始まっても最後は「生きてりゃいいさ」に着地する、根明だか根暗だか判然としない今の俺と全く同じ感性を小学校3年生にして会得していたことである。

そして、小学校3年生、まだ10歳にも満たない年齢で「諦念」というものに触れていたのである。

俺は、これまで「どこで人生間違ったかな」と思うことが多々あったが、違うのである。

スタートから方向が狂っていたのである。

もっと小学生らしくしろ、とすら思う。



何よりも捻じ曲がって、捻くれて今の俺になったと思っていたのにスタートから俺が俺だった、という事実に改めて驚いた。

今回、実家へ帰った一番の収穫がこの1文であったと言っても過言ではない。

「三つ子の魂百まで」なんて言うが、確かにそうかもしれない。

とは言え、これらの品々、どう処理したものか。

処理の仕方を誤ると自分のルーツを知る術を永遠に葬ってしまう危険があり、同時に自分の中でアンタッチャブルにしてきた恥部に触れてしまい、立ち直れなくなる危険性も孕んでいる。恐ろしい品々を持ってきてしまったものだ。

お盆休みの最終日。

そんな思い出の処理方法に悩んだが、答えは出ないままに今だ爆発寸前の状態で放置されている。



気付けば8月も半ばを過ぎました。

皆さんも体調にお気を付けて。

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