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『ジョンの魂』に触れる

多忙のため全く記事が書けておりませんでした。

宣言通り、ビートルズメンバーの記事を書いていこうと思います。

とは言え、実にパーソナルな雑感です。話もビートルズ時代に限りません。

メンバーの良いところを好きに書かせてもらいます。

まずはジョンから。


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かつて、俺はビートルズメンバー4人の中で好きな順番があった。

まずバンドのキャリアにおいて高いアベレージの曲を作り続けたポールが一番、次いで初期~中期のビートルズを引っ張ったジョン、後期になって自作曲のオリジナリティが確立されたジョージ、たま~に吞気な声で歌っているリンゴ。

こんな序列が自分の中であった。

が、しかしである。

近年になって、俺の中でジョンレノンに対する評価が爆上りした。

何故か。

表題の『ジョンの魂』を聴いたからである。

それまで俺はジョンレノンのソロ作にある種の先入観を持っていた。『Imagine』にあるような、いわゆる「love&peace」の人になっちまった、という見方だ。

そして、後期ビートルズにやたらと顔を覗かせたオノヨーコが深く絡んでいるのもジョンのソロ作を遠ざける理由のひとつだった。

嫁としてはよかったのだろうが、後期ビートルズのジョンはオノヨーコの影響を受け過ぎていて、その関係性が透けて見えるのがどうにも嫌だった。

その昔、試しに『Imagine』を聴いた時、表題曲はいいけど、他が自分の中であまりピンとこなかったのもある。すっかり「love&peace」の人になっちまった、と。

それからジョンのソロ作は遠ざけていたのだ。

ところが、最近になって表題『ジョンの魂』がサブスクリプションにあったので、なんとなく聴いてみた。

俺は1曲目の『Mother』からぶっ飛ばされてしまった。

あの『Imagine』の第一印象にあった「love&peaceの人・ジョンレノン」ではなく、「歌い叫ぶロックミュージシャン・ジョンレノン」がそこには居た。そして、感情剝き出しで己の内へ切り込んでいくような、プリミティブな叫びがあった。

俺は改めて、ジョンレノンという男の魅力、歌声の強さを思い知らされた。

加えて、拙いながらもバンドをやる人間として、ジョンの作る曲というのは、全然古くならず、時代に左右されない強さがあると改めて感じ入った。

シンプルで、時代を感じる余計な味付けの無いバンドサウンド、切なくも生々しい歌声、楽曲のクオリティ、そして楽曲に込められたメッセージ性は現代でも通じるものがある。

このアルバムがジョンレノンの真骨頂なのかもしれない、と思った。

これが今の自分には非常にしっくりきた。

それからしばらく、この作品をよく聴いた。

改めて、ジョンレノンはビートルズの中でも一番グレていて、ユーモアがあって、それでいてセンシティブなロックミュージシャンだった、と思い出したのだった。



改めて作品を紹介してみる。

『ジョンの魂』で歌われるのは、過去のトラウマであり、自分をビートルズに縛る世間への拒絶であり、まるで自己セラピーのように内省的な叫びだ。

特に『Mother』『God』は恐ろしい名曲だ。

作品を通して、ジョンレノンらしいユーモアや風刺も織り交ぜながらも自分を痛めつけるほどの歌詞、メロディ、歌がそこかしこに散らばっている。

ジョンの生々しい叫びは自らのトラウマを掘り返す鋭いメスであり、その刃がこちらにも向いてくるような切迫感がある。

このアルバムは、精神的なダメージの根っこを過去まで辿り、その内容を叫ぶ「原初療法」を受けたことが大いに反映されていることで知られているが、そうしたトラウマというのは、いつの時代も人々が抱える問題である。

そうしたトラウマを元ビートルズのジョンレノンがストレートに叫んだことに大きな価値があって、この作品が古くならないのは、聴いた人間に共鳴するような生々しい表現がなされているからだろう。

そうした作り方をこの年代で既にやっていて、それをパッケージとして出したジョンは、陳腐な言い方になるが、やっぱり凄いミュージシャンだったのだ。

自らの楽曲で自らのインナースペースを掘り返す、内省的なロックのひとつの正解がここで提示されていたように思う。



恥ずかしながら俺も曲を作ったりするが、大体みんなそこまで剝き出しではやらないのである。

自分を切り売りするような作り方は、身を滅ぼしかねない。
ある程度で抑える、もしくはぼかす。

それをあまりにもクリアに、正直に、感情の向くままに。

そうしたあまりにも「生」な叫びがパッケージされているのが、この作品である。



しかし、ご存知の通り、ジョンレノンは1980年に熱狂的なファンが放った凶弾に斃れた。

80年代。

音楽的には、ロックミュージックがダンスミュージックやポップスやヒップホップに押されていた時代である(良いものもあったけれど、アングラに潜ってしまった感がある)。

その鬱屈を晴らすかのように、90年代は各所で新しいロックミュージックの潮流が生まれたけれども、仮にジョンが生きていたとしたら、その中でどういった音楽、曲、歌声、叫びを示しただろう、とよく考える。

きっと、ベテランになっても、時代を切り取り、それでいて長く残る音楽を作っていたのではないか、そんな気がしてならない。



この作品は、今のギスギスした世の中でもがき苦しむ人々にも、切迫感のあるメッセージとして響いてくるはずだ。

これを読んでくれた方で『ジョンの魂』に触れてくれる方が1人でも増えてくれることを祈っている。

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