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26:眼差しの先に

5歳ごろ。
一緒に暮らしていた祖母は私にとって「厳しい人」だった。

褒められた記憶はない。
4:もっとも古い記憶」でも書いたが、私の記憶は、容赦ない祖母の言葉にショックを受けたところからはじまっている。

その影響の裏返しなのか、私はいつも「人に喜ばれたい」という気持ちが行動理由となっていた。
それはいまも変わらず、自分のやったことで、誰かに喜んでもらう、驚いたり楽しんだりしてもらうことが、一番大きな原動力となっている。

***

それはさておき、当時は欲しいものがあっても、そうそう手に入りはしなかった。
教育方針としては当然そうだろうし、祖母の厳しさも要因のひとつだったのではないかと思う。
「幼少期に祖父母にねだって欲しいものを買ってもらった」という、よくある話も、私にはない。
「甘やかすな」という大人たちの言葉を、何度か耳にした覚えもある。
当時の私には、人の持っている物を羨ましがるところが、少なからずあった。

そのおかげで「自分で作って遊ぶ」という私の基礎ができたのだろう。
『ないものは創ろう』の精神。
それこそが、大切な贈りものだと思っている。

一方で、手に入れたものはすべて「大事なもの」だった。
かぎられた遊び道具のなかで、ずっとあれこれと工夫して遊ぶ。
そこにひとつ素材(遊び道具)が増えれば、私は新たに何通りもの遊びを思いつくようなところがあった。

素材を観察し、想像の舞台で物語を描く。
他愛もない内容だが、私のモノ創りの原点がそこにある。
ひとつひとつの遊び道具に、血を通わせるようなものだったのだ。

やたらと物持ちがいいのは母親譲りでもあるが、輪をかけて物持ちがいいと思う。母が呆れるくらいに。
物への執着心ともいえるが、すべてが思い出とともにある「大事なもの」なのだ。

いわゆる「子供のおもちゃ」は押入れの収納にしまっていた。
それらの大半は、小学校高学年あたりに行われた、母による親戚への譲渡や処分によって、現在は手もとに残っていない。
しかし、その際に救出したいくつかの思い出深いものや、押入れではなく自分の部屋に置いてあったものなどは、いまも持っている。
それらは今後も、折に触れてこの記事で紹介していくつもりだ。

***

記事を書いていて、ふと思い出したのは、コンパクト型のレトロな時計。
探してみたところ「トラベルクロック」というものらしい。
記憶にあるのは、盤面も青く、外側も青いもの。

▼おそらくこれと同じものだ。

丸型で、外側が赤茶色のものもあった。
裏面にゼンマイがあり、それを巻いて動かす。なんともレトロだ。
親の持ち物だったはずだが、なぜかよくいじって遊んでいた。

親の持ち物といえば、だいたいのものは納戸の棚にまとめられていた。
木彫りの置物や、焼き物の人形。
星の砂を入れてコルク栓をした小瓶。
ベッコウ飴か琥珀のような素材の亀のキーホルダーや、ガラス製の置物。
貝殻を加工した亀の置物。
緑色のフロッキー素材で昭和らしい外見のカエルの貯金箱や、箱から出すとメロディが流れるキャンドルなどもあった。

それらはオーソドックスな子供向けのおもちゃではないし、遊び道具でもなかったのだが、記憶に残っている。
きっと父と母が旅行先で買ったものなどで、二人にとっての思い出の品々だったのだろうと思う。

***

赤い車の置物がある。

掌サイズのビートル

ずっと手もとにあるもののひとつだ。
母の友人U子さんから、だったように記憶しているのだが、そこは定かではない。

おそらく本来は、車の芳香剤を入れるものだったのではなかろうか。
天井の黒い部分が開くのだが、当時は残り香が強烈だった。
そのニオイは「いかにも車の芳香剤」という類のもので、私はその手のニオイが苦手なので、基本的に開かずに遊んでいた。
開かなくてもにおうので、遊ぶ頻度はそれほど高くなかったと思う。

さすがにもうニオイは消えてしまっているが、記憶に染みついたニオイは消えない。似たニオイが漂ってくれば、いまでもこの車を思い出す。

***

もうひとつ、この時期のものを挙げるなら、ゴリラのぬいぐるみもそのひとつか。

ゴリラ。それ以上でも以下でもないゴリラ。

なにかのキャラクターというわけではなさそうな、シンプルなゴリラ。
鼻の部分はプラスチックではなく革製で、妙にリアル。
姉の持ちものだったような気もするが、そもそもどういう経緯で家にやってきたのかは知らない。
子供が小脇に挟めるくらいのサイズで、ちょこんと座ったポーズ。
どことなく哀愁がある。

この、どこか奥まった寂しげな眼を見ると、なんとなく祖母を思い出す。
念のため書いておくが、祖母はゴリラに似ていたわけではない。
いつも険しい表情をしていた祖母は、遺影の写真でも眉間にシワを寄せ、こんな眼をしているのだ。

その「厳しさ」の裏で、祖母はなにを見て、なにを思っていたのだろう。

ゴリラのぬいぐるみは黙して語らず、いまもそばにある。


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