4:もっとも古い記憶
記憶をたどっていくと、行き着くところがある。
あなたにとって、もっとも古い記憶はいつのことだろうか。
この人生をたどるシリーズも、これまでは母の記録が頼りだったが、ここからは自分の記憶を軸に書いていく。ときどき、父母の記憶や記録も拝借しながら、欠けた日々のピースを可能なかぎり集めつつ。
今回は私の、一番古い記憶について書こう。
***
2歳くらいのことだ。私の記憶は、ここからはじまる。
頼りなくも、記憶を刻む歯車がカラカラとまわりはじめたのは、あの日の出来事があったからなのだろう。
同居していた父方の祖母は「厳しい人」だった、とは前にも書いた。
よく聞く話では、世の祖父母というのは孫に甘く、なにかにつけては欲しいものを買い与えるようなところがあるらしい。
それほどではなくても、よき理解者だったり、味方でいてくれる「あたたかな存在」として聞くことが多い。
ところが私には、祖母に優しくされた記憶がまったくない。
2歳くらいのある日、私は4つ歳上の姉と、そして祖母とお風呂に入っていた。浴室に充満する湯気。白い壁と床の青いタイル。まだ夕方で、外は真暗ではなかったと思う。
姉は湯船につかり、祖母は石鹸のついたタオルを私に持たせて背を向ける。
促されるまま、私はタオルを手に、祖母の背中をこする。
一生懸命やった。そもそも手を抜くことなど知らない。力のかぎりやった。
「そんなナメクジの這うような力でつまるか」
イラ立った口調で放たれた祖母の言葉である。
ちょっと辛辣すぎやしまいか。
幼心に祖母の言葉がショックで、杭を打つように深く記憶に刻まれてしまったのである。
ある人は言った。
言葉を借りるなら、これが「私の心が記憶した最初の出来事」ということになるのかもしれない。
2歳のころのことなど覚えてない、という人も少なくない。せいぜい小学3年生くらいからの記憶しかないという人も。平均的にはどうなんだろうか。
私は記憶の解像度が比較的高いらしく、鮮明に覚えていることもそこそこにある。
ちなみに友人Kに訊いてみたところ、同じく2歳か3歳くらいの記憶が最初らしく、三輪車に乗って一人で近所のお店に駄菓子を買いに行き、帰ってからこっぴどく叱られたらしい。お金も持ってないのに行ったそうな。
そう考えると、叱られたことで記憶がはじまることが多いのだろうか。
話を戻そう。
この出来事以降も、祖母がいつも観ていたテレビのクイズ番組(※)がはじまっているよと教えに行ったり、どうにかして喜ばれようとしていたことが思い出される。当時は番組タイトルの『HOWマッチ』という言葉が理解できておらず「はるまっち」と言ってしまい、姉に笑われていた。
「喜んでもらえない自分は、ここにいていいんだろうか」
おぼろげな記憶のなかの私は、そんなふうに感じていたような気がする。
姉にとっては、優しい祖母だったという。
私にとっては、厳しい人。容赦のない人。
思い浮かぶ祖母は、いつでも眉間に皺を寄せて顔をしかめている。
私が忘れているだけなのか、祖母がケラケラと笑っている覚えもない。
姉に対するあつかいとの差からして「男たるものかくあるべし」という、祖母の理想ありきの厳しさだったのか。いまとなっては不明だが「甘やかしてはならん」という考えは間違いなくあったと思う。
***
私の記憶はこうして、祖母の叱責からはじまった。
実はこのことが、現在まで私についてまわっている。
いまでこそ、ジャンルにとらわれずいろんなことをやっているけれど、私には得意なことなどなかった。
明確な数字で表されるような事柄が苦手で、算数も大嫌いだった。はじめから数字で答えが決まっていることを、公式に則ってなぞるように導き出すことにも、まるで興味をもてなかったのだ。
その一方で、作文や絵などは、いわば正解がない。得意なことのない私にも「表現」の世界では、曖昧な部分が味方をすることになる。
そして絵を描けば、どんなに下手でも「上手い」と褒められた。幼心には、お世辞でもよかったのだ。
いまにして思えば、国語や図工を好んだことも「解釈による余白」があって「正解」がないからだったのだろう。
絵は、しばしば私を救った。
誰かが好きなものの絵を描く。マンガの模写をする。
誰かの誕生日などに、似顔絵や手紙を書く。
驚かれ、喜ばれる。
そうやって認められる分野が、やがて私の居場所となっていった。
祖母の叱責からはじまった『喜んでもらいたかった』私の記憶。
「喜ばれること」を求めて、私は「正解のない世界」(洒落ではない)へと、歩みを進めていくのだった。
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