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労働は割に合うかで考える
ここ1年ほどニート生活を満喫していたが、やりたいことや行きたい場所ができて、おまけに貯金が減ってきたのもあり、リゾートバイトで働くことにした。
これまでアルバイトで6つほどの職場で働いてきたが、振り返って考えると、続けられる労働の条件は、「割に合っているか」だった。
例えば、私は時給1300円でイベントスタッフをしたことがある。だが仕事の実態はお客さんのチケット確認や見回りくらいで、実に楽で暇な仕事だった。退屈な仕事は嫌だと感じる人もいるだろうが、私はボーッとしてたり、本を読んだりしているだけで時給1300円もらえるのは割に合う仕事だと感じた。
別の例だと、私はワーキングホリデーでオーストラリアのレストランで働いていたことがある。そこは作業に効率を求められ、店も繁盛していて、仕事終わりも夜10時過ぎのため朝型の私にとって過酷だった。だが私は当時、一度も遅刻したことはなく、熱を出しながらも(おそらくコロナ)働いていた。
過酷ながらもそんなことができたのは、時給が平日2400円休日3200円で、同僚とも仲が良く、お客さんとの距離も近く、学べることが多かったからだ。
つまり、どれだけ労働が大変でも、得られるものが大きかったので、私にとっては割に合っていた労働だったのだ。
その一方で、嫌だった労働もたくさんあった。その特徴はまとめて一言で表すと、「え!? この時給(報酬)でこれだけの労働をやらせるんですか!?」みたいなものばかりだった。
そう考えると一概に時給の高い低いでもなく、環境の良い悪いでもない、重要なのはそれらのバランスで、割に合っているのかどうか、が大事なようだ。
今まで読書をしてきてそれなりの知識や理論武装を身につけてきたが、体感した上での結論はこんな当たり前のことだった。こんなことを理解するのに26年も生きていたのかと少し悲しくなる。もしくは思考が一周したのかもしれない。
いまだ働く気はないが、短期的な目標のため、割の良い仕事をこなしつつしばらく生活するつもりだ。そしてもし私がnote上で怨嗟を撒き散らしていたら、外れを引いたのだと憐れんでくれ。
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