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わたしの映画日記(9月8日〜9月10日)

9/8

『Lata』 Alisha Tejpal 2020年 インド/アメリカ(MUBI)

中年の選挙委員がマンションの一室を訪ねる場面から始まる。「◯◯という名前の人は住んでいるか?」と住人の若い女性に聞くと「それは祖母です。しばらく前に亡くなりました」との返答。選挙人の登録に関する短いやり取りが交わされる。

選挙委員はこの部屋にもうひとり別の女性がいることに気づく。「あなたは登録しているのか?」と彼女に聞くと「私の父が登録してくれました」と答える。明らかに家族ではないこの女性は何者なのか。続くシーンの台所仕事をする後ろ姿でピンとくる。彼女は住み込みのお手伝いなのだ。

洗濯物にアイロンがけをしながら故郷のボーイフレンドと電話でおしゃべり。しかし主人が帰ってくると彼女は電話を切り仕事に戻る。トイレ掃除をしていると主人がズカズカと入ってきて彼女は扉の外で立って待つ。ソファーの上でくつろぐ一家を横目に彼女は忙しく食事の準備をする。ちなみに彼女の食事スペースは洗面所。

印象的なシーンがあった。マンションのロビーで彼女がエレベーターを待っていると、年配のお手伝いと住人が楽しく談笑している様子が目に入ってくる。会話が弾んでいる様子からすると身分の差をあまり意識していないようにも思える。しかし一連の会話が終わると住人はエレベーターへ、年配のお手伝いは階段へと向かう。そのあまりにも自然な流れに、無意識かつガッチリ制度化された階級制度が見て取れる。

この短編のラストは主人公のラタが故郷の祭りで激しく踊っているシーンと、彼女が住み込みで働く家の中から遠くに聞こえる祭りの音楽の対比で終わっている。彼女が休みを取って故郷に帰ることができたのか、できなかったのか。はっきりとした結末は描かれていない。おそらく帰ることができずに寂しい思いをしている心象風景を伝えているのだろう。

9/9

『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』 シャンタル・アケルマン 1976年 フランス(シネモンドにて上映)

思春期の息子をひとりで育てる女性の3日間を描く3時間20分。1日目で彼女の家事ルーティーンが脳裏に植え付けられ、同じことが2日目も徹底的に繰り返される。同じように見える光景の中に小さな変化が積み重なり大変なことになる。

3回同じことが繰り返され、なおかつ微妙に変化していく展開はホン・サンスの映画を連想させる。結末は彼の最初期作『豚が井戸に落ちた日』に近い。それにしてもシャンタル・アケルマンは当時25歳でこの映画を撮ったとか凄すぎる。

「これぞ真のアクション映画」との声もあるが本当にそのとおりだと思う。劇中のジャンヌ・ディエルマンが動くリズムが観客に叩き込まれ、後半にかけてそのリズムが崩れていく。画面に映っているものだけを見ればただの家事。そこから浮かび上がる抑圧やかき乱される心が手にとるように伝わってくる。

ジャガイモをむいたりコーヒーを淹れる単調極まりないショットに釘付けにさせられる。”ジャガイモはナイフを手前に引いて剥くのか””お湯を注ぐときはちゃんと蒸らしてるな”とか考えながら彼女の動くリズムから何かを読み取らざるを得ない。

事前情報を全く入れずに観たことで、衝撃的なラストに殴られたような感覚になった。傑作という言葉では全く足りない。人生で一本出会えたら素晴らしいレベルの作品だった。

9/10

『Falling Leaves』 Alice Guy-Blaché 1912年 アメリカ(MUBI)

結核を患う少女が”木の葉が落ちる頃までの命”と医師から宣告される。それを聞いた幼い妹は木の葉を紐でくくって姉の命を救おうとする。偶然通りがかった謎の男が経緯を聞いて心を痛め救いの手を差し伸べる。アリス・ギイ=ブラシェによる1912年の短編作品。

音声がないことで俳優の感情表現がより豊かに感じ取れるような気がする。セットの作り込みも豪華かつ精緻。100年以上前の作品だが全く色褪せることがないことに感動した。

『こちらあみ子』 森井勇佑 2022年 日本(シネモンドにて上映)

”少し風変わりであまりにも純粋な小学生”が同級生や周囲の大人たちを巻き込み大きな変化をもたらす。どう考えても辛い話のはずなのに終始軽やかなのは大沢一菜さんの佇まいがあまりにもリアルだからだろうか。自分が彼女だったら、彼女を育てる側だったら、といろいろ考えてしまった。

物語の中では主人公のあみ子が発達障害であるとは断定されない。明らかに作り手の意図があるのだろう。(今村夏子原作は未読)彼女の純粋さゆえにズタズタに傷つけられる尾野真千子があまりにも痛い。”子を理解できないことに苦しむ母親”で言えば『明日の食卓』もある意味でよく似た役柄を演じていた。

個人的には当事者やその家族をどのように支援するべきなのか?という問いが脳裏から離れず、終盤にかけてあまり楽しむことができなかった。身近にあみ子のような子供、もしくはあみ子のような大人がいると、作品の受け止め方が大きく変わってくるのではないだろうか。

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