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わたしの映画日記(2022年4月2日〜4月8日)

4/2

『PASSION』 濱口竜介 2008年 日本(シネモンドにて上映)

タクシーに乗った男女が向かった先は同級生の集まるレストラン。彼女の誕生会を兼ねた席で二人は結婚を発表する。すでに結婚している友人は祝福モードだが、その他のメンバーの様子がおかしい。女友達は急に泣き出し、男友達は動揺する。和やかな雰囲気が一気に冷めてしまい誕生会は解散。女性たちを先にタクシーに乗せて、残った男3人が別の同級生の女性の部屋になだれ込む。この日、この部屋での再会と出会いが登場人物たちのその後を大きく変える。

結婚を予定しているカップルを演じたのは河井青葉と岡本竜汰。誕生会の一波乱で岡本演じるプレイボーイの女癖の悪さが暗示される。河井演じる女性教師は浮気に薄々気づいていながらも相手から離れられない。このアンビバレントの関係にどんな結末が待っているのか。

男たちは目の前に決まったパートナーがいながら全然違う人のことが好きになってしまう。表面的に見ればモロに不道徳な男性たちが本当はどう感じているのか。本音と建前ではなく本音の奥に潜む本当の本音が出てきたとき、それが相手に受容されようが拒絶されようが”一歩前進した”ように思わせる。

恋愛・友情・性愛・暴力にまつわる価値観に揺さぶりをかける会話劇。とりわけ女性教師が自分の受け持つクラスで披露する「暴力論」は、一見すると物語全体から完全に浮いているようにも思えるが、後半にはっきりと表れる暴力を気持ち悪いほどに引き立てる効果があると思った。伏線のようにも見えるし、伏線ではないようにも見える。どちらかというと物語の独立した各部が共鳴しているとでも言ったら良いのか。『ドライブ・マイ・カー』でも指摘されているが、劇中に登場する女性たちが男性にとってあまりにも都合の良い存在に見える場面が多々あるので、大いに人を選ぶ作品ではあると思う。同じく濱口監督の『偶然と想像』と合わせると味わい深い。


4/3

『親密さ』 濱口竜介 2012年 日本(シネモンドにて上映)

特筆すべきことはいくつかあるがまずは上映時間。4時間15分とはあまりにも長い。果たして最後まで寝落ちせず耐えられるか心配な反面、『ドライブ・マイ・カー』の時もそうであったように途中から物語に引き込まれて時間の感覚が麻痺するのではないかと期待もしつつ。

結論から言うと「何かすごいものを観た」に尽きる。

新作舞台『親密さ』の上演を控えた演出家(平野鈴)と脚本家(佐藤亮)のカップルが、稽古と私生活の両方ですれ違う。自分たちは今回出演せず他のメンバーに配役を譲るが一筋縄では行かない。脚本家はすべてが頭に入っているだけに役者に厳しく接してしまう。それを咎める演出家との間で摩擦が生じる。外の世界では朝鮮半島で勃発した戦争の足音が聞こえ始め、”義勇兵募集”のメッセージがチェーンメールのように飛び交っている。上演の日付が迫る中、演出家は舞台とは関係のないように見える俳優へのインタビューや戦争に関する講義を企画する。演出家の焦り・脚本家のいらだち・俳優たちの不安が最高潮に達したときのひと悶着。その後の対立と和解を経て『親密さ』上演の日を迎える。

ここまでが最初の2時間。その後の2時間は『親密さ』が演じられる。詩を詠む集いの参加者とその友人たちの群像劇。突然別れることになったカップル、血のつながっていない兄と妹、その兄の交際相手と紹介されたが実はこちらも疎遠だった妹、兄とルームシェアしている郵便局員、詩の集いに来ているトランス女性。複雑な人間関係のもつれが生み出す独特なグルーヴにすっかり引き込まれてしまった。

映画のなかで演劇上演に向けて奮闘する若者たち、演劇のなかで様々な葛藤を抱える若者たち、その両方を包み込む外の世界で起きている戦争。現実と虚構が何重にも重なり最後には爽やかであっけないエンディングを迎える。平時に見れば劇中の”戦争”は虚構に違いない。しかし2022年における”戦争”は間違いなく現実。決して好ましい状況ではないものの、今このときに観ることができたのは人生における大きな財産だと思う。

4/4

この日はU-NEXTでジェレミー・ブレット版『シャーロック・ホームズ』が全話配信されていることを発見。NHKで放送されている吹替版しか知らなかったが、実際の声を聞くと彼が原作に近いホームズと言われるのも納得だった。そしていろいろとつまみ食いしているうちに映画を観るのを忘れていました。写真は『空き家の怪事件』でワトソンの前に3年ぶりに姿を見せたホームズ。この不敵な笑みが最高。

4/5

『去年マリエンバートで』 アラン・レネ 1961年 フランス(U-NEXT)

言わずとしれた難解でスタイリッシュな名作。恥ずかしながら今回が初見でした。

ゴシック調のリゾートホテルで出会った男女。男は「去年同じ場所であなたに出会った。駆け落ちの約束までした」と言い、女は「全く覚えていない」の一点張り。その全てを知っている女の夫の視線を感じながら一年前の出来事がフラッシュバックする。言った・言わない/覚えてる・覚えてないの応酬をスタイリッシュに描く。モノクロの画面にココ・シャネルが手掛けた衣装も相まって色彩がないのに鮮やかに感じられる。

ストーリーを追うこととは別に、こんなところにウェス・アンダーソンが!と思うシーンがいくつかあった。(本来はウェス・アンダーソンが『去年マリエンバートで』を引用しているわけで、この言い草はアラン・レネには失礼かもしれないが…)一回観て終わりというよりは、何度も観て味わうタイプの映画だと思う。


4/6

『驟雨』 成瀬巳喜男 1956年 日本(U-NEXT)

佐野周二と原節子が演じる倦怠期を迎えた夫婦が日曜の朝から些細なことでケンカする。お互いに不満をぶつけ合うが対立は平行線のまま。そしてお隣の夫婦にそれぞれが羨望の眼差しを向ける。同じようにお隣の夫婦も倦怠期の彼らに羨望の眼差し。隣の芝生は青いものの何の解決にも至らない。家に寄り付いた野良犬が悪さを繰り返すうちに、口うるさい近隣住民からもクレームが寄せられる。佐野周二は家のことを原節子に任せっきりで相手にしようとしない。浮かび上がってくるのは「妻は夫の所有物」という価値観。夫のダメさ加減に最初から最後までうんざりさせられる。ただこの映画の救いは原節子が健気ながらも持ち前の気の強さで夫に楯突くことだ。へそを曲げて台所に立ったままお茶漬けをかきこむシーンなど、未来永劫に永谷園のCMに使われるべきだと思った。同じく成瀬巳喜男監督作『めし』と共通するところはあるものの、妻に改心させるオチではないところに好感が持てる。小津映画を散々観たあとの口直しにベストな作品。


4/6

『My Fat Arse And I』 Yelyzaveta Pysmak 2020年 ポーランド(MUBI)

ある日ズボンを履こうとした若い女性がジッパーが上がらないことで悶絶する。鏡に映った半裸の自分がみるみる醜くなっていく。無理なダイエットでやせ細った彼女は、2本の足と尻に羽の生えた生き物が暮らす妄想の世界に入り込む。歪んだボディイメージと本来の自分の狭間で巨大モンスターと戦い、セーラームーンのように変身し、再び現実の世界へと戻ってくる。

画面に映る尻の数々がクレヨンしんちゃんを連想させることも無きにしもあらず。セーラームーンへのオマージュの前後では日本語セリフも挿入されていることを考えるとYelyzaveta Pysmak監督はかなり日本のカルチャーに影響を受けているように思える。

監督は97年生まれのウクライナ出身。ポーランドでアニメーションを学んだ経歴を持つ。若い才能が戦争で失われないことを祈りたい。


4/7

『The Hawks and the Sparrows』 ピエル・パオロ・パゾリーニ 1966年 イタリア(MUBI)

邦題『大きな鳥と小さな鳥』。散歩に出かけた父と息子が哲学的な言葉を話すカラスに出会う。突然物語は正フランチェスコの時代に遡る。親子は鷹と雀をカトリックに改宗させるために奔走する。そして舞台は再び現代へ。ドタバタとシュールが散りばめられていることはわかるのだが…”パゾリーニがカトリシズムとマルキシズムを解体した寓話”と説明されているものの面白さがいまひとつ掴めなかった。

イタリア版チャップリンとも言えそうな風貌で登場する俳優の名はTotò。劇作家、詩人、作詞家、脚本家と多才な経歴の持ち主である。イタリア喜劇の象徴的な俳優とみなされているそうだ。その風貌からバスター・キートンやチャップリンなどのコメディアンやマルクス兄弟とも比較される。最晩年は舞台照明に長時間さらされたために悪化した脈絡網膜炎のためにほぼ全盲だったとされる。

主演が伝説的な喜劇人であるだけでなく、エンニオ・モリコーネが音楽を手掛けているところも注目ポイント。面白さは掴めなかったものの、いろいろと文脈を理解した上で見直すことにしたいと思った。

4/8

『ドライブ・マイ・カー』 濱口竜介 2021年 日本(MUBI UK)

映画館と合わせると通算3回目。「映画館で観るべき」などと言うつもりは毛頭ないがパソコンの画面ではドライブ感は失われてしまうのが残念だった。もう一回ぐらいは映画館で観てもいいかな。

高槻(岡田将生)が絡むことで結果的に家福とみさき(三浦透子)の距離が縮まっていく。韓国人夫婦の家で運転を褒められた三浦透子のなんともいえない表情がとても良かった。


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