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『RRR』 爆発的なヒットの影で加速するヒンドゥーナショナリズム

『すずめの戸締まり』が興行を席巻し、爆発的なヒットを記録する影で話題を集めている映画がある。テルグ語インド映画『RRR』だ。2022年のインド映画における興行収入はNo.1。マーベル作品がひしめき合う全米興行ランキングでも初登場にして3位を記録。全世界での興行収入は1億6000万ドル(約220億円)を超える世界的大ヒット作となっている。監督を務めるのはS.S.ラージャマウリ。『バーフバリ』シリーズで知られ、日本でも大きな話題になったこのシリーズは応援上映も実施されるなど根強い人気を誇る。期待の新作『RRR』にはインド映画史上最高の製作費7200万ドル(約97億円)が費やされ、ハリウッド映画越えとも言われるスペクタクルが世界的な人気に火をつけた。

RRRのあらすじ
舞台は1920年、イギリス植民地時代のインド。南インドの小さな村から少女マッリがインド総督夫妻にさらわれてしまう。執念に立ち上がった屈強な男ビームは、マッリを連れ去ったインド総督のあるデリーへと向かう。一方、宗主国たるイギリスをインド大陸から追い払う大義のためにイギリス政府の警察となった男がいた。インド人でありながらもイギリスに忠誠を誓う警察として、同胞に対しても容赦のない振る舞いをする彼の名はラーマ。熱い思いを胸に秘めた二人の男は”運命”に導かれて出会い、唯一無二の親友となる。しかし、ある事件をきっかけに、それぞれの”宿命”に切り裂かれる2人はやがて究極の選択を迫られることになるのだった。
オフィシャルサイトを元に作成

インド映画の面白さを煮詰めたような奇想天外で度肝を抜かれるストーリー

魅力はなんと言っても3時間という長編の中で繰り広げられる壮大な世界観とストーリーを支えるインド映画ならではの音楽とダンスだ。インド映画は、配給と音楽レーベルと関係が深く、音楽ヒットチャートを映画の劇中歌が占めることも多い。劇中歌はサブスクリプションプラットフォームで配信されるほか、ダンスシーンがYouTubeに配信されプロモーションに用いられている。『RRR』の中では、”Naatu Naatu”という楽曲が高い人気を誇り、日本のファンの間ではこの曲に入る前にラーマの発する〈“ナートゥ”をご存知か?〉というセリフがミームとなっている。

また、同じくインド映画ならではの魅力として典型的なストーリー展開も挙げられる。『週刊少年ジャンプ』でいうところの「友情・努力・勝利」のように、インド映画では喜怒哀楽の全ての要素が極端に表現されるほか、男同士の友情や男女のロマンスがストーリーの中心をなすことが定石となっている。『RRR』では、主人公ビームとラーマのブロマンスを中心にストーリーが展開され、そこにビームの片思いやラーマの恋人シータとのロマンスが絡んでくる。このアツい友情や強い愛、そして主人公たちの奇想天外な行動とその顛末。何があっても絶対にめげずに立ち上がり、かならずや勝利を勝ち取る主人公の逞しさ。全てが予定調和で進む常識では考えられない奇跡の連続…。それが『RRR』の人気を決定的にしている。

虎と素手で戦うビーム

ナショナリスティックなストーリーへの違和感

一方で、この作品が日本をはじめ海外で「面白いもの」「ハリウッドを超えるスペクタクル」として手放しに賞賛されることはあまりにも危うい。というのも、この作品の背景には非常にナショナリスティックな思惑が明白であり、なおかつそれはインドの多元性を無視したヒンドゥー至上主義的な価値観に裏打ちされたものである。ヒンドゥー至上主義と一体となりやすい反イスラーム思想とはうまく距離を取りつつも、モディ政権化でヒンドゥーナショナリズムが高揚するなか、人々を熱狂させる娯楽映画にそれを補強する側面があることは無視できない。

前述の通りS.S.ラージャマウリ監督の『バーフバリ』は、日本でも絶大な人気を誇る作品である。もちろんこれも極めてヒンドゥー神話的な物語であるものの、あくまで「創作された神話、存在しない神話=フィクション」として受け入れられている。一方、『RRR』は1920年ごろのイギリス領インド帝国という舞台設定や、主人公であるビーム、ラーマが実在の人物である点など史実に則ったかのような演出がある点で注意が必要である。

映画表現を通した史実への「復讐」

史実を、映画表現を通じて乗り越えようとする作品は数多く存在する。その代表としてあげられるのはクエンティン・タランティーノ監督の『イングロリアス・バスターズ』だろう。この作品の舞台は、第二次世界大戦中のドイツ国防軍占領下のフランス。ナチス親衛隊大佐に家族を皆殺しにされたユダヤ系フランス人の女性と、ユダヤ系アメリカ人からなる秘密部隊を率いるアメリカ陸軍中尉が結託してナチスを駆逐するというあらすじとなっている。ユダヤ人が中心に築いてきたハリウッドらしい作品で、映画を通してナチスに復讐するストーリーには観る者を虜にする爽快感がある。

『RRR』も、物語の契機にはイギリスの暴力によるインド統治への怒りと憎しみがあり、映画表現を通して復讐する『イングロリアス・バスターズ』にも似た構造が見てとれる。問題なのは、それが「国家」という枠組みで行われていることと、実在する人物を英雄として描いていることだ。タランティーノの場合『イングロリアス・バスターズ』であっても『ジャンゴ 繋がれざる者』であっても復讐の対象は「人種差別」である。一方で、『RRR』は国家を標的とし、インドの勝利を描くストーリーとなっている点で注意が必要だ。

実在の人物の「架空の英雄伝」としての『RRR』

また、二人の主人公はそれぞれ実在する歴史上の人物に着想を得ている。「ビーム」は、コムラム・ビーム(1900または1901-1940)。ニザーム藩王国の先住民ゴンド族の革命指導者で封建的なイスラーム藩王に対する小規模反乱を率い、死後はアニミズム的な信仰と結びつきゴンド族コミュニティにおいて崇拝の対象とされている。「ラーマ」は、アッルーリ・シータラーマ・ラージュ(1897または1898-1924)。イギリスによる植民地支配への抵抗運動を指揮した革命家で、ゲリラ的な武装蜂起をインド各地で展開。イギリス当局は反乱鎮圧に苦戦を強いられ、1924年に彼を捕らえると直ちに銃殺刑に処した。ビームとラージュは生きた時代が多少重なるものの交友関係があった事実はなく、共通点は武力による直接的な反藩王国・反英抵抗運動を行ない、後世一部の人々に英雄として讃えられていることである。当然二人が結託してイギリスによる帝国主義的な支配に抵抗した記録はない。つまり、『RRR』で描かれるビームとラーマの健闘は、「架空の英雄伝」なのである。彼ら実在する人物を恣意的に用い、イギリス政府への直接的な武力抵抗をさせるストーリー展開を問題視する声は少なくない。

無視された「非暴力・非服従」の独立運動と
ヒンドゥー聖典になぞらえたストーリー展開

加えて、史実におけるインドのイギリスからの分離独立は知っての通りマハトマ・ガンディーによる非暴力・非服従を唱えた独立運動の果てに実現している。イギリスは、インドを支配する上で、この国の多様な宗教を逆手に取った分割統治を行い、怒りの矛先を宗主国たるイギリスではなく他宗教に向けさせた。そのため、イギリス入植後のヒンドゥーとムスリムの対立は「作られた対立」の側面が強い。ガンディーは、生涯ヒンドゥーとムスリムとの融和を目指し、根気強く対話を続けた。彼の願いも虚しく印パは分離独立し、彼自身は激昂したヒンドゥー右翼集団の少年に暗殺されてしまう。『RRR』は、インドのイギリスからの独立運動の柱となった「非暴力・非服従」をないものとして、徹底した暴力による勝利を試みているのである。

史実との乖離に加え、ストーリーの根幹がヒンドゥー教の聖典である古代叙事詩『ラーマーヤナ』および『マハーバーラタ』になぞらえて作られていることも指摘できる。『ラーマーヤナ』は、ラーマ王子が誘拐された妻シーターの奪還を目指し、大軍を率いてラークシャサの王ラーヴァナに挑む物語である。『RRR』で、ラーマはイギリスをインド大陸から追い払うという大義を成し遂げシーターのもとへと凱旋する。ビームは、『マハーバーラタ』に登場する超人的な怪力を持った英雄ビーマと重ねられる。つまり、『RRR』で描かれるインド人の勝利は、ヒンドゥー教徒の勝利なのである。

ヒンドゥーナショナリズムを補強する映画


インドの挨拶と言えば「ナマステ」。これはヒンディー語であり、インドはヒンドゥー教徒の国というイメージが強い方も多いかもしれない。しかし、インドには「2億人のマイノリティ」とも言われる多数のムスリムが暮らすほか、ターバンのイメージの強いシク教徒や、キリスト教徒、少数にはなるものの仏教徒、ジャイナ教徒も存在し、宗教的に極めて多様な国家である。また、言語もこれに付随して非常に多様で、『RRR』の中でも、デリーに移り住んだビームはムスリムに擬態して生活し、ウルドゥー語を話すシーンがある。(本作はテルグ語映画。テルグ語はドラヴィダ語族に属し、ヒンディー語やウルドゥー語はインド・ヨーロッパ語族で文法体系が全く違う。日本に住んでいるとなかなか理解し難いかもしれないが、これは方言とかの次元ではない。インドは言語も多様で州ごとに公用語が定められている。ヒンディー語はウルドゥー語と非常に近い言語でこれらはインド全体で往々に話されるものの近年は英語からの単語流入も多く、ヒンディー語映画などを見るとルー大柴並にところどころ英語が混じることがある。舞台がデリーに移ってからはヒンディー語やウルドゥー語が飛び交うのでここも注目だ。ビームがムスリムに擬態しているシーンも言語的な差異からもわかりやすい)インドは独立後、非宗教国家を目指し1979年には憲法に「世俗」を加筆。「インドは社会主義の世俗的民主共和国である」とし、世俗主義を掲げている。しかし、2014年にナレンドラ・モディ現首相が政権に就くと状況は一転。ヒンドゥー至上主義的な政策を推し進めている。そうした中で『RRR』のような作品がインド国内で最高収益をあげていることはインドのヒンドゥーナショナリズムの高揚を裏付けるものとも考えられる。インドでは、映画が上映される前に風に靡く国旗の映像とともに国歌『ジャナ・ガナ・マナ』が流れ、観客は立ち上がりともに斉唱することが義務付けられている。この『ジャナ・ガナ・マナ』の歌詞は概ね単語の羅列で、大部分をインド各地の地名が占める。『RRR』のエンディングで流れる楽曲”Sholay”は、インド各地の地名とその地が生んだヒンドゥーの英雄を紹介。『ジャナ・ガナ・マナ』にもなぞらえられているように感じる。

『RRR』が最高のエンターテイメント作品であることは否定できない。一方で、非常に宗教的かつナショナリスティックな側面があることもまた事実だ。特にインド国外では、ヒンドゥーナショナリズムへの関心は低く、認知度も低い。インドにおけるヒンドゥーナショナリズムの高揚を知った上で観ることで、さらにこの映画への解像度が上がるのではないだろうか。

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